インターネットにて期間限定発売中! 赤い名鉄車両や、織田豊臣徳川の家紋が入った名鉄御朱印めぐりのための特別な御朱印帳です。
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ご祭神は手力雄神で道を開けひらく大変力の強い神さまで織田信長も戦勝祈願をしたという、勝運・開運の神様です。拝殿の龍の彫り物が抜け出して畑を荒らしたという伝説があります。
岐阜滞在時間の許す限り、急ピッチで移動しなくては!😖と、手力雄神社の次に護国之寺へ。
天平18年(746年)に、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したお寺です。御本尊は十一面千手観世音菩薩...
織田信長公が長篠の合戦を控えて家来に命じて結大明神に七日間の戦勝祈願をさせ、その折に信長公から朱印状と槍が奉納されています。照手姫と小栗判官小次郎助重との愛と信仰にまつわる伝説も残っています。
ようやく時間ができたので、御朱印巡りをすることにしました。まずは安八町にある結神社にお邪魔しました。こちらは名前通り縁結びの神社として有名です。
【美濃国 式内社巡り】
伊富岐神社(いぶき~)は、岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹にある神社。式内社で、美濃国二之宮。旧社格は県社。祭神は多多美彦命(伊富岐神、社殿背後の伊吹山の神)、八岐...
2021.02.21参拝 岐阜県大垣市神社さん巡り(1) (*´꒳`*)
この日、夜勤明けで一睡もしないで神社さん巡り (*´꒳`*)
車を愛知から岐阜に走らせながら神社さんを...
昔から、どんな人でも自由に出入りできた温泉寺。今は宿泊はできませんが、日の出から日没までは自由にお参りしていただけます。警備も案内人もおりません。なるべくご自分の気のおもむくままにお参りしていただきたいからです。ただ、それゆえに、御朱...
森水無八幡神社から歩いて15分ほど、長い階段の上にあるこちらのお寺は、名前の通り下呂温泉の発祥の地だそうです。ゆっくりと階段を登った先のお寺からは、温泉街を一望できます。書き置きの御朱印はいくつ...
藤原高光公による魔物退治の伝説がある。国道256号から橋を渡るとても道が場が狭い。円空ゆかりの地。神社の隣に「関市洞戸円空記念館」がある。神社に行く途中にある「神水庵」で御神水がいただける。
次は関市に行くことにしました。「関」という言葉に親近感を覚えるのか、どうしてもそっちの方に足が向いてしまいます(笑)そればかりでなく興味深い神社仏閣が数多くあるのも理由の一つですが。 二ノ...
周辺地域には、天照大神が生まれた際の胞衣(えな)と産汚物(さんわいぶつ)を洗った池が「血洗池」となったとされる血洗神社や、産湯に浸かったとされる「湯舟沢」という温泉地(日帰り・ホテル)もある。祭典時以外は神職常駐しておりませんので、御...
中津川インターから車で20分くらいの場所にあります。以前岐阜県内の職場だった頃、顧客巡回でよく中津川には来ていましたが、こちらには参拝していなかったので、お詣りさせて頂きました。御朱印は宮司さん...
神職さんは常には在住しておりません。社務所15日祭のみ(限定御朱印、御守り)授与品お下がり(撤饌)をお頒ちいたします。神社では祭典の度に神様にお供え物をしますが、この時に捧げられた食べ物やお神酒を神饌(しんせん)といいます。そしてこの...
桔梗塚の言い伝え…白山神社に隣接する林の中にある桔梗塚は明智光秀の墓とされています。光秀は、本能寺の変の後に身代わりとなった影武者「荒」木山城守行信に恩の「深」さを感じ荒深小五郎と改名しました。その後、関ケ原の合戦で徳川家康に従軍しよ...
大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれている明智光秀が崇敬した神社。 隣には光秀公のお墓があります。
本能寺の変の後も実は生き延びてい明智光秀が、影武者として散った荒木山城守行信への深い感謝か...
関ヶ原から醒ヶ井に移動する途中で参拝しました。
歴史好きの息子は、徳川家康腰掛石に座ることが出来て満足。私も娘も座って祈ってきました。
お寺がとっても綺麗で広くて整備されてて良かった...
こちらのお寺さんは どこか懐かし感じさせてくれるお寺さんで 時々参拝に伺ってます
父方祖母の生家とは違う こじんまりとした臨済宗のお寺さんです(*☻-☻*)
今日は…
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松寿丸こと黒田長政手植えの銀杏がある「五明稲荷神社」
岐阜r53(伊吹ばら街道)沿いに大きな看板があるのでわかりやすい。 周囲は田んぼばっかり。 併設駐車場はないが、お隣の公民館の前の...
「島津の退き口」ゆかりの地を巡りました。樫原の名主だった三輪内助入道一斉が豊久公の遺骨を納めて菩提寺としたお寺です。島津義弘隊が敵中突破した時、多くの東軍の武将達が若い頃義弘公のお世話になったの...
境内に長寿院盛淳のお墓があります。長寿院盛淳は義弘公の家老で豊久公に次いで捨て奸(がまり)を行いました。義弘公より賜った陣羽織を身につけて義弘公の身代わりとなって討死しました。島津家には「大将が...
「かねみねじんじゃ」です。 藤原高光公による妖魔退治の伝説がある高賀六社のひとつ。 退治した妖魔を追ってきた藤原高光が、この地でその形を確認した事からこの辺りを片知(かたぢ)というようになっ...
「揖斐川町(旧春日村)方面の関ケ原合戦史跡巡り」で、敗れた西軍の武将の敗走路をたどりました。宇喜多秀家公が約40日間匿われた矢野家を訪れた後、参拝しました。小西行長公が逃れて来て匿われたお寺です...
美濃和紙の産地:『和漢三歳図絵(わかんさんさいずえ)』(寺島良安編 1713年)の障子の頁には、「濃州寺尾より出るものもっとも佳し。」と書かれている。 伝説:6月21日は神様が通る日「6月21日は神様がお通りになる。不敬にならぬよ...
拝殿の周りは紅葉がとてもきれいでした。 みかんを持ってきたので幣殿の前の階段にお供えしました。 拝殿に箒があったのでふりつもった紅葉と桧葉をお掃除させてもらいました。
この、拝殿からの...
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