にちりゅうぶじ|高野山真言宗|大日山
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楽しみ方日龍峯寺(高澤観音)(美濃清水)のお参りの記録一覧

「中濃八十八」第61番、「美濃新四国」第24番札所です。
標高434メートルの高澤山中腹にあります。
両面宿儺がこの地方に被害を及ぼしていた龍神を退治し、龍神の住んでいたこの山に祠を建立したのが始まりと伝わります。
鎌倉時代、北条政子によって再興されたと伝えられています。
室町時代、応仁の乱によって多宝塔を残し堂宇の大半を焼失し、江戸時代になって現在の伽藍が整えられました。
また本堂が京都の清水寺本堂に似た舞台造り(懸崖造)であることから「美濃清水」との異名があります。
美濃新四国第24番は元々各務原にある「薬王院」でしたが、無住の為こちらに札所が変わりました。
お昼時でしたが、丁寧に対応頂きました😌









岐阜県関市の大日山日龍峯寺です。真言宗、ご本尊は千手観音菩薩です。
朝、温泉に行こうと思い立ち、周辺の神社仏閣を検索後、岐阜へ出発。道の駅平成でお腹を満たした後、参拝しました。
多宝塔は時の尼将軍北条政子によって建立されたと伝えられています。
納経所のお母さんがとてもいい方で、私の御朱印帳が墨の吸いが悪いことを教えていただき、ドライヤーで丁寧に乾かしていただきました。月に2〜3人そのような御朱印帳に出会うそうです。ありがとうございます!

本堂。
京都の清水寺に似ていることから、美濃の清水と言われているそうです。

仁王門



鐘楼

多宝塔


本堂内。色々なものがギュッと凝縮されております。

大黒天

おびんずる様

天井画

本堂裏の洞窟から湧き出るみたらしの霊水。120円てペットボトルを買って持ち帰れます。




美濃西国三十三観音霊場 9番目の参拝は 関市にある第1番札所大日山日龍峯寺(にちりゅうぶじ)にお参りしました。
千手千眼観世音菩薩を本尊とする 高野山真言宗の寺院です
千手観音は 合掌する2本の腕とそれ以外の40本の腕の合計42本の腕を持ち、その腕d25の世界を救うとされ 40(腕の数)×25(各腕が救う世界の数)=1000になることから、計1000の世界を救うと考えられています
また、それぞれの手のひらには目がついていて 苦しんでいる人を見つけるためだそうです。
本堂は、間口8間(15.6m)奥行5間(12.6m)の入母屋造り 高澤山中腹の岩盤傾斜地に建立され 美濃の清水寺 高澤観音として多くの参拝者で賑わっていました。
歴史は、仁徳天皇の昔、両面宿儺(すくな)が開基 行基菩薩が伽藍を整えたと伝えられる
鎌倉時代尼将軍政子の時、伽藍再興され栄えましたが、室町末期の戦乱にて焼失 その後復興、江戸時代には尾張藩の保護を受けました
美濃清水と称される檜皮葺の本堂は 寛文11年(1671)に再建されました。

寺号標

境内地図

手水舎 キレイな水がコンコンと

本堂から善の綱が長くおりています

本堂

御朱印

ミモザの木 黄色い花が目立ちます リース作りたいなあ😊

高沢山、大仏山、本城山に登るために来ました。
知人に登山口を聞いたところ、このお寺から登るのが普通だということだったので来たのですが、たまたまそこにお寺があったので、まぁついでにということで参拝しました。
そして本堂前に来てみたら、びっくらたまげました!
清水寺みたいな舞台で、本堂まで上がってみれば、自分以外に誰もいないとは思えない厳かな緊張した空気。
歩けば揺れるその足元ですが、江戸時代の建築だということで、数々の大地震を切り抜けてきた強靭さを持ち合わせているのですよね。それでもここで地震に遭ったら生きた心地はしないでしょう。
びんずる様もここにずっと昔からいらっしゃるのでしょう。幾万の人々に撫でられ続けて目は無くなり、頭も大変に摩耗しています。どれほどの人たちがその効用に浴したことか。
籠堂は中には入れませんが、軒裏を見上げると、江戸時代当時のものと思われる何かの書き込みがあり、歴史を感じます。
本堂裏に回れば湧き水の横に宝篋印塔があって、源頼朝の骨が納められているというからこれまた驚きです。誰が何を想ってここに安置したのか。安置した時の気持ち、想いは想像することすらできません。
素晴らしいお寺に巡り会えて幸せです。




















「美濃西国三十三観音」で、1、2を争う程、訪問して驚いたお寺です。
細い山道を車で10分ほど登っていくと、広い駐車場が現れ、そこから徒歩。
すると小さな門が現れ、御朱印の受付は9時からとの表示が・・・。
訪問した時刻は午前7時、流石に参りましたが仕方ありません。
経験上、三十三観音のお寺は朝7時から受付というところがほとんどですのでびっくりでした。
時間がたっぷりあるので、ゆっくりと参拝しようと本殿を探したんですが見える範囲には
それらしきものがありません。そこで徒歩で登ってくる途中にあった看板を思い出し確認すると
どうやらさらに山を登って行かなくて本殿に行けないことがわかりました。
だらだらと登って行くと、櫓や塔が現れ、その先に進んでいくと高いところ建物が・・・。
大きな木に隠れていて最初はわからなかったんですが、近づくに従って、木組みの上にに社殿が
あることがわかりました。少し小さい清水寺、そんな印象です。
山の中にあるので、訪問者は少ないように思えましたが、もう少し場所が良かったら
大変な観光名所になってただろうと思いました。
残念なのは山道が狭く、乗用車でも怖いくらいの道幅なのでバスは無理・・・。
三十三観音巡りをしてなかったら訪問することは無かったと思いますが知らない立派なお寺が岐阜にはいくつもあることが分かりました。
近々、百観音が満願になりましたので結願寺の豊川稲荷に行ってきたいと思います。



御朱印は9時からです。












仕事の休み時間に行って来ました。
山の中にあるとはいえ、昼間だったので非常に暑く汗をかきながらの参拝でした💦

3種類あるうちの1番気に入ったものにしました。

駐車場までは山道なので離合する箇所はありますがほぼ車1台分の道幅です。

神社までの参道は木陰もあり落ち着いてました。


山の傾斜に立てられており、小さい清水寺って感じです。


5世紀前半両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族が、高沢の峰に住み村人に危害を加えていた龍神を退治し、この峰に寺を創建したと伝わる。
旧本堂は鎌倉時代北条政子が寄進したものであったが、応仁の乱で焼失。現在の本堂は1670年の再建である。舞台造りの建築で美濃清水とも称される。
多宝塔は鎌倉時代中期、鎌倉将軍家によって建立されたとされ重文指定されている。

本堂

本堂

本堂

本堂

本堂

本堂






参籠所(籠堂)1806年建立

参籠所(籠堂)1806年建立

参籠所(籠堂)1806年建立


宝篋印塔
源頼朝を分骨埋葬したといわれる

宝篋印塔

千本桧

千本桧

白山鎮守社(1534年建立)

仁王堂(1718年建立)



不動堂(1793年建立)

薬師堂(1684年建立)

薬師堂(1684年建立)


鐘楼(1936年再建)

鐘楼(1936年再建)

梵鐘

多宝塔・金毘羅堂

金毘羅堂(1820年)

金毘羅堂(1820年)

多宝塔

多宝塔

多宝塔

多宝塔

多宝塔

結構坂道で、狭いので気をつけて登ってください。
裏参道は、もっと気をつけ移動してください。







周り風景と、マッチして、エモい。


目が怖い、大黒様。






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