御朱印・神社お寺の検索サイト
熊野三山へ向かう途中の山の中で見つけた神社です。山の中の小さな集落ではありましたがやはり神社というのは目を惹いてしまいますね。というかここの村が龍神村というなんかフィクションに出てきそうな…続きを読む
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丹後国熊野郡の式内社です。聴部氏という一族が奉斎していた神社で、山の裾に鎮座しています。御祭神が菊理比売命さまで社名はそこから来たという説があるそうです。
越前国丹生郡の式内論社です。深い森の入り口に位置しており、近くに複数の寺があります。かつては鎮守神としての立場があったと思われます。鎮座地的に確かに避雷針になってくれそうなところに立っていました。
越前国丹生郡の式内社「雷神社」の論社です。別名で賀茂下上大明神と呼ばれており、京都の上賀茂、下鴨神社を兼ねているとのこと。近世になると福井藩主が代替わりするたびに必ず参拝するほど長らく崇敬…続きを読む
鯖江市の剣神社です。福井県にはいくつか剣神社があり、そのほとんどは素戔嗚尊さまか日本武尊さまに由来した神社であることが多いのですが、こちらは全くの別系統で氣比神宮の摂末社に関係している神社です。
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遠江国磐田郡の式内社です。『延喜式』神名帳には"豊雷命神社"と"豊雷売命神社"、そして"生雷命神社"とそれぞれ別々の神社(神名)として記載されており、どの神様も記紀神話において出てこない遠…続きを読む
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遠江国磐田郡の式内社にして、同国の総社です。夏には近くにある天御子神社さんから祇園祭で神輿が当社まで巡幸し、秋には矢奈比賣神社さんから見附天神裸祭で神輿がやってくるという、両方の式内社の祭…続きを読む
越前国坂井郡の式内社で、こちらは本土側にある陸宮です。神主さんは基本的にこちらにおり、授与品もこちらで拝受できます。御朱印もいただきました。
越前国坂井郡の式内社です。鎮座している雄島自体を御神体とした古い祭祀形態を持つ神社で、この地を拠点にしていた三尾君という豪族が祀っていました。それから現在まで動かぬ島にて変わらぬ信仰を持ち…続きを読む
加賀国能美郡の式内社…かと思いきやそれはどうやら小松市の菟橋神社だったようで、おそらくそこからの勧請された神社だと思われます。明治までは諏訪神社でした。
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明治にできた神道系新宗教「大神教」の総本部で、大神神社の大鳥居のそばにあります。明治には神社が政府の管理下に入り、神主や崇敬者が行っていた布教活動ができなくなってしまいます。そのため崇敬者…続きを読む
大和国城上郡の式内社で、現在は大神神社の摂社とされています。大神神社とは御祭神が親子の関係だとされており、古文書にも"御子宮"として載っているそうです。
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大神神社の境外末社です。拝殿から南に抜けていく途中にあります。この辺りは大神さんを中心とした三輪講が強いですが、稲荷講もあったんでしょうか?
大神神社の境外末社でかつては祇園社と言われていました。祇園社自体が神仏習合の強い信仰であったため、現在でも仏教色の色濃く残る境内となっています。
近所にある大和国一宮の大神神社と同名社ですが、大和国城上郡の式内社"桑内神社 二座"の後裔社とされています。後裔社の根拠としては地名の粟殿(おうどの)が社名の桑内(おど)と読めるからとされています。
大和国城上郡の式内社です。大神神社の境外末社であり、大鳥居の南側に静かに鎮座しています。かつては大神さんにおける祓殿の役割を果たしていました。式内社にも神社によって社勢の関係によって大小あ…続きを読む
越前国坂井郡の式内後裔社です。直接な式内社とならないのは式内社"三國神社"は中世に廃絶してしまい、16世紀に兵庫川に流れ着いた当社の御神体を正智院の境内に祠として再建し、これを明治に三國神…続きを読む
加賀国加賀郡の式内社です。航海の途中に拾われた猿田彦神さまを神明社の隣に祀ったことが神社の始まりですが、現在は別表神社に数えられるような大きな神社へと成長しました。こちらの社紋が"洲浜紋に…続きを読む
加賀国加賀郡の式内社です。全国に式内社神田神社は複数あり、加賀国も石川郡にもう一社ありますが、この神社は加賀国一宮・白山比咩神社の神田、神領地の鎮守社として扱われていた歴史的由緒のある神社です。
加賀国石川郡の式内社です。北陸視察に訪れていた武内宿禰命さまによって創建された神社の一つで、加賀郡にも神田神社があります。やはり加賀百万石と言われる通り、昔から米の多く取れる国だったという…続きを読む
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