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醍醐山の裏手にある神社で、近所にある同名社と区別するために東笠取清瀧宮と呼ばれています。西笠取清瀧宮の参拝のあとにむかったのですが、来た道と微妙に違うせいでかなり迷いました。
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醍醐山の奥地にある神社で、近くに同名社があることから区別して西笠取清瀧宮と呼ばれています。社名は醍醐寺の守護女神である清瀧大権現さまが由来と思われます。
水道橋駅近くにあるこんぴらさんです。元々は江戸時代に板橋市左衛門さんの邸内祠として創建され、明治になって香川の金刀比羅宮の境外末社として認定されました。しかし太平洋戦争で焼失し、この地にあ…続きを読む
あざみ野駅近くにある驚神社です。誰かが何かに驚いてこの社名になったのかと思えば、どうやら馬を大切にする地域性であったことから「敬馬」→「驚」という字になったそうです。名前のインパクトなら今…続きを読む
大田区の羽田神社です。800年前に祇園信仰の隆盛により創建され、江戸時代には徳川家や島津家、藤堂家に篤く崇敬されていました。明治に神仏分離によって八雲神社として独立し、社名を変えて現在に至ります。
武蔵国都筑郡の式内社「杉山神社」の論社です。他の同名社との混同を避けるため地名を取って星川杉山神社と呼ばれています。他の神社と違って高台の住宅地の中にあるため、徒歩で行くとかなり疲れます。
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紀伊国名草郡の名神大社です。竈山神社の十字路対角線上の丘の中にあり、現在は境外摂社として扱われています。 この神社も園部の伊達神社、中之島の志磨神社とともに「紀三所社」と呼ばれています。
紀伊国名草郡の式内社です。初代神武天皇さまの兄君である彦五瀬命さまをお祀りする神社で、本殿の背後にはその彦五瀬命さまが葬られているとされる竈山墓があります。当社と日前神宮・国懸神宮、伊太祁…続きを読む
丹後国加佐郡の式内社です。奈具神社は丹後国に加佐郡と竹野郡にあり、『延喜式』神名帳では丹後国の欄に一番最初に書かれている神社でもあります。社名は「奈具志久(なぐしく)=おだやかに」から来て…続きを読む
日笠山の麓に鎮座している天満神社で、別名"岩神社"とも呼ばれています。この名前は菅原道真公が大宰府に向かう途中にこの日笠山で休憩されたと伝わっており、その際に座った腰掛け岩に因んでいます。
ホテルなどが立ち並ぶ高台の一角、住宅街の奥にひっそりとなんか変わった名前の神社が!これは行ってみるしかないと思い参拝してみました。なんというか神社らしいようでらしくない雰囲気でしたね。
丹後国の式内社「久理陁神社」の論社です。延喜五年に沖から船に乗ってきた住吉大神さまがこの地で休憩された地に建っており、宮津藩の歴代藩主も参詣するほどに大事にされてきた神社です。やはり海沿い…続きを読む
丹後国与謝郡の式内論社です。栗田大明神とも呼ばれ、この社名から同音異字であると思われます。 この近くの神社は半島の湾内に沿うように神社が面しており、この神社も海が見えつつ森の近くに神社があります。
丹波国の総社に比定されている神社で、宗社大明神とも呼ばれていました。鎮座地の屋賀が室町時代の絵図にて「国八庁」とあり、集落に国府という地名があったことが比定の根拠になっているそうです。
記念すべき900社めの投稿はぁぁ!!!なんとぉ!!!大神神社摂社の狭井神社だぁぁぁぁぁあ!!!! 大和国城上郡の式内社で、『延喜式』神名帳では「狭井坐大神荒魂神社 五座」と記載され、大神…続きを読む
大和国城上郡の名神大社です。数ある古社の中でも古事記日本書紀で崇神天皇さまの御代に創建までの経緯がしっかりと書かれた日本最古と言っても過言ではない神社の一つです。創建の由来から見るならば今…続きを読む
大和国城上郡の式内社です。生根神社というと住吉大社の隣にある"奥の天神"や西成区の"上の天神"と呼ばれる生根神社は有名ですが、こちらも御祭神が共通しています。やはりこの「生根」というのが薬…続きを読む
大和国城上郡の式内社です。『延喜式』神名帳に記載されている○○山口神社の一つで、この忍坂山口神社を含めて六社の山口神社が『延喜式』内の祈年祭祝詞に出てきます。
遠江国長下郡の式内社です。「甕」というのはお酒を醸造する際の瓶、またはお酒を入れた瓶子のことを指します。 古来よりお酒は神様へのお供え物として現在まで伝えられているものですから、そんな社…続きを読む
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