オススメの有名人のお墓 の神社・お寺まとめ 61~70件を表示 / 全129 件

天鷲寺(大阪府 四天王寺前夕陽ケ丘駅)

大阪府 大阪市天王寺区六万体町3-18

柴田勝家と、その妻で織田信長の妹・お市の方の供養塔です。まず北ノ庄城や賤ヶ岳の戦いを連想するところですが、実は大阪にあります。摩耗していて読みにくいですが、向かって右側の石碑部分に2人が自害したとされる天正11年4月24日の日付や、それぞれの戒名である「摧鬼院殿(前越州太守従五位下)台岳還道大居士」と「自性院微妙浄法大姉」がはっきりと刻まれていますね。  娘の淀殿が建立し、大坂の陣後に荒廃していたのを子孫が復興したものだとか。鬼柴田と戦国一の美女は、四天王寺前夕陽ヶ丘駅の裏にある天鷲寺墓地に静かに眠っています。
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超願寺(大阪府 天王寺駅)

大阪府 大阪市天王寺区大道1-14-1

天王寺の超願寺にある、竹本義太夫の墓です。ちかえもんでは北村有起哉が演じてますね。道頓堀に竹本座を建て、新派浄瑠璃人形芝居を始めた人物。そして、この竹本座に座付作者として入り、人形浄瑠璃を大成したのが近松門左衛門です。
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久成寺(大阪府 谷町九丁目駅)

大阪府 大阪市中央区中寺2-1-41

本堂前を抜けると、珍建築マニアには有名な、窓がない緑一色の怪しい雑居ビル「バロン・ベール」裏側へ出る。本日は『曽根崎心中』のお初の墓を見に来た。彼女が登場するあの『ちかえもん』では、『マッサン』のすみれ役だった、元ももいろクローバーZの早見あかりが演じている。  なぜここに墓があるか?といえば、彼女がいた北新地の、「天満屋」という遊廓がもともと檀家で、その縁で建てられたからだとか。明治になって廃仏毀釈に遭遇し、墓の行方が分からなくなり、300回忌をきっかけに2002年になって再び建立されている。「妙力信女」と表に、側面に彼女の墓である旨刻まれた、本当に本当に小さな墓碑。  もう一カ所、徳兵衛と一緒になった墓も、八尾にある。ただ、江戸時代の心中は重罪で、遺骸は埋葬どころかゴミのように捨てられたというから、谷町、八尾ともに、実際に葬られているわけではなく、形だけのものと考えてよさそうだ。  なお、久成寺は3月場所で毎年高砂部屋が宿舎として利用する場所でもあって、近松好きだけでなく大相撲ファンの聖地でもある。
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法妙寺(大阪府 野崎駅)

大阪府 大東市寺川4-8-1

生駒の山麓にある法妙寺を訪ねて来た。近松門左衛門の妻の、実家が檀家だったそうで、過去帳などもこちらで保存されているという。急坂を登ると山門があって、向かって左手に石碑が並ぶ一角がある。真ん中にあるのは「近松門左衛門の供養墓」。谷町のものによく似せて作られている。左側にあるのは、大正時代に建立された、太田南畝による「平安堂近松翁墓碣」という碑。右側は、大坂の陣での犠牲者を弔う供養塔で、戦が終わってすぐに作られた400年以上前のものだ。昨年堺の南宗寺に行ったとき、寺の関係者からこの供養塔の存在を聞いて気になっていた。かなり大きな碑だが、犠牲者の名前が4面に渡ってびっしりと刻まれている。
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上善寺(京都府 鞍馬口駅)

京都府 京都市北区上善寺門前町338

禁門の変で、久坂玄瑞と共に鷹司邸で散った松下村塾四天王のひとり入江九一。『花燃ゆ』では要潤が演じていた。鞍馬口の、六地蔵巡りで知られるこの上善寺には、彼のほか7人の首を埋めた首塚がある。  ここは越前福井藩菩提寺で、変時には鷹司家からほど近い堺町御門付近を福井藩が担当していた。ある福井藩士が松平春嶽の許可を得てここに8人の首を運んだそう。残念ながら東側にあるらしい首塚は見学できず。
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玉祖神社(大阪府 服部川駅)

大阪府 八尾市神立443番地

天誅組の足跡をたどっている。特に大きな勢力を占めていた河内勢については、とにかく参加人数が多いため調べれば調べるほど史跡の存在を知ることになる。そんな河内勢の、首領格の一人に伴林光平という国学者がいた。道明寺の出身で、五條代官所襲撃後の、十津川村あたりまで敗走した折には斥候に出ていて、東吉野村の鷲家口で行われた最終戦闘には加わっていない。それからおよそ一か月後、現在の生駒市にあたる田原村で捕縛され、翌年京都の六角獄舎で斬首されている。享年52歳。八尾の神立という山の上にある地区に玉祖神社があり、自転車で急坂を登っていく。その参道脇に有志が建てた墓(贈従四位伴林光平之墓)があり、見学する。
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養楽寺(大阪府 川西駅)

大阪府 富田林市甲田2-6-14

近鉄川西駅から石川側に向かう。甲田という古くて曲がりくねった住宅地の中にある「水郡邸」を見ていく。幕末当時、伊賀神戸の代官を務める家であった。天誅組が堺に上陸後、大阪狭山を経てこの屋敷に入り、軍議を行い一泊している。当時の当主・水郡善之祐は、息子の英太郎と周辺の村からの同士など数十名を率いて中山忠光と会見。かねてより蓄えてあった武器や食料などを天誅組の人たちに提供している。天誅組は彼ら河内勢の加入がなければ成立しなかった。もっと言えば、この富田林という地域が豊かであったからこそ挙兵が可能であった。 水郡家の菩提寺である養楽寺へ。邸から歩いてすぐのところにある。天誅組の人数が多いため、吉村寅太郎ら土佐藩勢は水郡邸ではなくこちらに宿泊したという。門が閉まっていたので住職に来意を告げ墓所へ案内していただいた。本堂にある鐘を天誅組は陣鐘として持って出陣したそうで、明治後に返還されたそうだ。水郡善之祐の墓と、隊士・森本伝兵衛の記念碑がある。
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極楽寺(奈良県 五条駅)

奈良県 五條市本町1-4-7

五條市役所から北東に歩いて極楽寺という寺の墓域へ。天誅組に斬首された鈴木源内ら6人の墓がある。
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法界寺(兵庫県 三木(神戸電鉄)駅)

兵庫県 三木市別所町東這田51

別所一族累代の菩提を弔う霊廟がある法界寺。長治の首のない遺体を埋葬した場所と言われています。ここにも彼の騎馬像があります。また、毎年四月に合戦を絵物語にした掛け軸を用い絵解きをすることで有名な場所ですね。法界寺の裏山は、三木合戦時に羽柴秀吉軍の付城が置かれていました。重臣だった宮部継潤が城主を務めていたと記録にあります。なお、別所氏を支援する毛利氏の軍勢が、明石方面から三木城へ物資を搬入するのを防ぐため、この城を起点に織田方が築いた土塁が南東側に6つ、残っているそうです。
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常楽寺(兵庫県 宝殿駅)

兵庫県 加古川市東神吉町神吉1413

『軍師官兵衛』ではナレーションだけで終わってしまいましたが、別府城や野口城(現野口神社)など三木合戦における出城のひとつで、その中でも屈指の激戦地になった神吉城址へ。荒木村重が信長謀反を決意するきっかけのひとつになったともいわれるこの戦い。現在は常楽寺という寺があります。境内には、この戦いで三万もの織田方に抗い、死んだ神吉頼定の墓があります。播州武士の典型として語り継がれる存在ですね。
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