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阿弥陀寺ではいただけません
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あみだじ|浄土宗蓮臺山

阿弥陀寺
京都府 鞍馬口駅

9時~16時。本堂は通常非公開。6月2日の信長公忌のみ開帳される。

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

20台

その他の巡礼の情報

洛陽四十八願阿弥陀如来第16番

阿弥陀寺について

織田信長・信忠の墓所


本能寺の変が起こった日、織田家と深い親交があった清玉上人は本能寺にかけつけ、織田信長、信忠父子及び家臣百有余名の遺骸を当寺に埋葬したといわれています。本堂には織田信長、信忠父子の木像等が安置され、墓地には信長、信忠や本能寺の変討死衆の墓があります。本堂は非公開ですが、毎年6月2日(本能寺の変が発生した日)の信長公・信忠公を供養する法要(信長忌)の際、一般公開されているそうです。

戦国の美少年、森蘭丸たちも眠る


本堂裏手の墓所には、信長をはじめ信忠や森蘭丸、坊丸、力丸の三兄弟、家臣たちのお墓が並びます。織田家の末裔・親族の方たちも毎年訪れ、先祖を供養されているとか。一般の方も眠る墓所ですので、マナーを守ってお参りしましょう。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年06月27日(木)
1973投稿

またまた京都にとびます。未投稿がたまっているので だらだら投稿してしまいすみません。
こちらの阿弥陀寺さん 以前にもお参りしたことがあるのですが 境内塔頭をお参りしていなかったこともあり 再び訪れました。写真が少ないのはそのためです。すみません。
織田信長の墓があることで知られるお寺です。
と言っても 織田信長の墓があるお寺 京都だけでも複数あります。

山号は蓮台山 院号は総見院 宗旨は浄土宗 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は天文24年(1555年) 開山は玉誉清玉です。
由緒については
天文24年(1555年)に浄土宗の玉誉清玉が 近江国坂本に創建したのが当寺の始まりである。
その後 清玉は自身と縁のある織田信長からの帰依を得ると 上京の今出川大宮に寺基を移す。
天正10年(1582年)6月2日に信長が本能寺の変で自害すると 清玉は自ら合戦中の本能寺に赴いて信長の遺灰を持ち帰り 墓を築いたとされている。
後に織田信忠の遺骨も二条新御所より拾い集め 信長の墓の横にその墓を作ったという。
さらに本能寺の変によって討死した名の分からぬ多数の犠牲者も当寺に葬って供養したという。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉の京都改造により現在地に移転した。
とありました。

阿弥陀寺(京都府)

山門は閉じられているのですが 横の戸から入れます

阿弥陀寺(京都府)

鐘楼

阿弥陀寺(京都府)

本殿 裏手に信長公の墓があります

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歴史

蓮台山と号する浄土宗の寺院で、本尊は丈六の阿弥陀如来である。当寺は天文年間(1532〜1554)清玉上人の開創になり当初は西ノ京蓮台野芝薬師西町(現在の今出川大宮東)に八町四方の境内と塔頭11ヶ寺を構えていた。また当時、正親町天皇は清玉上人に深く帰依し、東大寺大仏殿の勧進職を命じるとともに、当寺を勅願寺とされた。
清玉上人は織田家と深い親交があり、天正十年(1582)6月2日の本能寺の変の折、本能寺等にかけつけ織田信長・信忠父子及び家臣百有余名の遺骸を当寺に埋葬したといわれる。
本堂には織田信長、信忠父子の木造等が安置され、墓地には信長・信忠や本能寺の変討死衆の墓、儒者皆川淇園、俳人蝶夢の墓等がある。京都四十八願寺巡拝の十六番札所でもある当寺は、天正十五年(1587)蓮台野からこの地に移され、現在に至っている。

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阿弥陀寺の基本情報

住所京都府京都市上京区鶴山町14
行き方

バス停河原町今出川 徒歩約8分

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名称阿弥陀寺
読み方あみだじ
通称信長公本廟所 寺町 阿弥陀寺
参拝時間

9時~16時。本堂は通常非公開。6月2日の信長公忌のみ開帳される。

参拝料

1000円6/2

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号075-231-3538
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号蓮臺山
院号総見院
宗旨・宗派浄土宗
創建時代天文年間(1532〜1554)
開山・開基清玉上人
ご由緒

蓮台山と号する浄土宗の寺院で、本尊は丈六の阿弥陀如来である。当寺は天文年間(1532〜1554)清玉上人の開創になり当初は西ノ京蓮台野芝薬師西町(現在の今出川大宮東)に八町四方の境内と塔頭11ヶ寺を構えていた。また当時、正親町天皇は清玉上人に深く帰依し、東大寺大仏殿の勧進職を命じるとともに、当寺を勅願寺とされた。
清玉上人は織田家と深い親交があり、天正十年(1582)6月2日の本能寺の変の折、本能寺等にかけつけ織田信長・信忠父子及び家臣百有余名の遺骸を当寺に埋葬したといわれる。
本堂には織田信長、信忠父子の木造等が安置され、墓地には信長・信忠や本能寺の変討死衆の墓、儒者皆川淇園、俳人蝶夢の墓等がある。京都四十八願寺巡拝の十六番札所でもある当寺は、天正十五年(1587)蓮台野からこの地に移され、現在に至っている。

体験御朱印武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
阿弥陀寺(あみだじ)は、京都市上京区にある浄土宗の寺院。山号は蓮台山。院号は総見院。本尊は阿弥陀如来。織田信長の墓があることで知られる。
歴史
歴史[編集] 天文24年(1555年)に浄土宗の玉誉清玉が、近江国坂本に創建したのが当寺の始まりである。その後、清玉は自身と縁のある織田信長からの帰依を得ると、上京の今出川大宮に寺基を移す。 天正10年(1582年)6月2日に信長が本能寺の変で自害すると、清玉は自ら合戦中の本能寺に赴いて信長の遺灰を持ち帰り、墓を築いたとされている。後に織田信忠の遺骨も二条新御所より拾い集め、信長の墓の横にその墓を作ったという。さらに本能寺の変によって討死した名の分からぬ多数の犠牲者も当寺に葬って供養したという。 天正13年(1585年)に豊臣秀吉の京都改造により現在地に移転した。 延宝3年(1675年)...Wikipediaで続きを読む
引用元情報阿弥陀寺 (京都市上京区)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E5%AF%BA%20%28%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%B8%8A%E4%BA%AC%E5%8C%BA%29&oldid=101234752
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