なんしゅうじ|臨済宗大徳寺派|龍興山
南宗寺大阪府 御陵前駅
9:00~16:00
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楽しみ方
境内を少し北に戻って南宗寺様へお参りに
向かいました。
南宗寺様は臨済宗大徳寺派のお寺様です。
御本尊は釈迦如来をお祀りされています。
南宗寺は1557年にの三好長慶が父の元長の菩提を
弔うために建立しました。
長慶が初代の住持として招いたのは大林宗套です。
大林宗套は京都の大徳寺様で第90世住持を務めた
最高峰の禅僧です。その名声と徳の高さは朝廷にも
響いていて後奈良天皇から「仏印円証禅師」の禅師号を
正親町天皇からは「正覚普通国師」という国師号を
ダブルで授与されています。時の天皇から公認された当代一のカリスマ僧でした。
大林宗套は武野紹鴎や千利休を弟子として直接教化し
禅へと導いています。利休が24歳の時に大林宗套から
「宗易」という法諱を授かっています。因みに「利休」は
後に正親町天皇から賜った号です。
後に天下一の茶人となる利休の精神的バックボーンを作ったのが大林宗套であり彼こそが堺に「茶禅一味」
(茶の湯と禅は一体)の文化の基礎を築いた人物です。
調べていて少し疑問に思ったの長慶の父の元長は
法華宗(日蓮宗)の信徒だったのでは?と言う点です。
元長が主君の細川晴元や一向一揆に攻められて自害に
追い込まれた場所は法華宗の顕本寺様です。
長慶が元長の二十五回忌などの法要を営んだのも
元長の墓所があるのも顕本寺様です。このように
三好一族は法華宗に深く帰依していました。
しかし長慶は室町幕府を実質的に圧倒し新たな畿内の
支配者として君臨しようとしていました。
当時の室町幕府と密接に結びついていた「五山十刹」は
政治腐敗や応仁の乱を経て形骸化しつつありました。
その一方で林下にありながら独自の厳格な禅風を守り
堺の経済力を背景に台頭していたのが大徳寺様です。
長慶が五山ではなく敢えて大徳寺様を選んだのは
林下ならではのメリットがあったと考えられます。
1つは旧権力の象徴である五山ではなく反骨精神に
満ちていて俗世の権力から一定の距離を置いていた
大徳寺様に肩入れすること自体が旧体制への
牽制になると考えたこと。
そして もう1つは応仁の乱で荒廃した大徳寺様を
一休宗純と共に復興させたのが堺の町衆です。
長慶にとって大徳寺派の寺院を建てるということは
堺の経済と直結することを意味しました。町衆と同じ信仰のプラットフォームに立つことで彼らの莫大な
経済力と情報力を味方につけることが出来ると
考えたこと。
最後に林下の大徳寺様は茶の湯と禅を融合させた
「茶禅一味」の思想の中心地でした。長慶という人物は
ただの武力一辺倒の武将ではなく和歌や茶の湯を深く
愛する文化人でもありました。
堺の茶人達と南宗寺様の大林宗套を介して交流する
ことは最先端の文化的なサロンを主宰することに
なります。それが「三好政権の格」(文化的権威)を
中央に示す最高のプロパガンダになると考えたこと。
父の元長の非業の死を乗り越えて法華宗の強固な
ネットワークも維持しつつ 公的な顔としては
林下の二刹の1つの大徳寺様を迎え入れることで
堺を掌握した三好長慶。彼の天下人としての冷徹かつ
高度な政治センスがこの南宗寺様でのチョイスに
凝縮されていると感じました。
そして大坂夏の陣で焼失した南宗寺様を再興させた
人物が沢庵宗彭です。
沢庵和尚は大徳寺様へ入りますが当時の京都禅宗界は
権力者や豪商と結びつき貴族のように煌びやかで
世俗的でした。絶望した沢庵和尚が流れ着いたのが
南宗寺様です。沢庵和尚は20代後半から30代にかけて
南宗寺様で徹底的に泥臭い修行を重ねます。
その後その優秀さから37歳の若さで大徳寺様の
第154世住持に大抜擢されます。しかし名誉や地位を
極端に嫌う沢庵和尚は僅か3日で大徳寺住持を辞任し
荷物をまとめて再びお気に入りの南宗寺様へ逃げる
ように帰ってしまいました。
1615年の大坂夏の陣で灰塵に帰した南宗寺様を
自らが住持となり堺の有力商人である谷正安らの
経済的支援を取り付け見事に南宗寺を現在の姿へと
再建しました。
南宗寺様では妙國寺様と同じくボランティアの方の
説明付きの案内を受けることが出来ます。
受付を過ぎると撮影禁止🈲️になるので気をつけて
下さいませ(^-^)b


戦国武将の三好長慶が父・元長の菩提を弔うため、弘治3年(1557)に大林宗套を開山として建立した南宗寺。臨済宗大徳寺派の寺院で、創建当時は壮大な寺院を造営し、著名な禅僧が来住して自由貿易都市として栄えた堺の町衆文化の発展に寄与しました。
中でも、千利休の師である武野紹鷗は、大林宗套に参禅して「茶禅一味」の言葉をもらいわび茶を深め、千利休も第二世笑嶺和尚に参禅して禅に開眼。日常の俗世を離れて禅の修行に入ったような茶の湯の生活や、知識ではなく体で会得していく茶の湯の方法を確立し、茶人としての素養を深めました。
| 住所 | 大阪府堺市堺区南旅篭町東3-1-2 |
|---|---|
| 行き方 | 阪堺線御陵前駅より徒歩5分 |
| 名称 | 南宗寺 |
|---|---|
| 読み方 | なんしゅうじ |
| 参拝時間 | 9:00~16:00 |
| 参拝料 | 大人400円、中人300円、小人200円 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 072-232-1654 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 和泉西国三十三箇所 客番札所 | ご本尊・ご祭神:聖観音 |
|---|
| ご本尊 | 釈迦三尊 |
|---|---|
| 山号 | 龍興山 |
| 宗旨・宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
| 創建時代 | 1557年(弘治3年) |
| 開山・開基 | 大林宗套/三好長慶 |
| 文化財 | 仏殿・山門・唐門(国の重要文化財)
|
| ご由緒 | 戦国武将の三好長慶が父・元長の菩提を弔うため、弘治3年(1557)に大林宗套を開山として建立した南宗寺。臨済宗大徳寺派の寺院で、創建当時は壮大な寺院を造営し、著名な禅僧が来住して自由貿易都市として栄えた堺の町衆文化の発展に寄与しました。
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