ほしだみょうけんぐう
星田妙見宮公式大阪府 星田駅
8:00〜16:30(土日祝〜17:00)
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方御朱印
当宮では通常の御朱印以外に、四季毎やお祭り毎に様々な御朱印をご用意しております。星の信仰に想いをはせ御朱印をお受け頂ければ幸いです。
星田妙見宮の御朱印
右上にに北斗七星の図と「奉拝」を組み合わせた印、真ん中に神社印が押されています。
神社印の上から「星田妙見宮」と墨書きされています。
大阪府交野市星田、JR学研都市線
星田駅から徒歩約20分超。大阪の御朱印巡りの締めに降星伝説のある星田妙見宮に参拝。生駒山系に残る数少ない磐座信仰の霊場のひとつ。ご祭神の天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)は仏教では「北辰妙見大菩薩」と呼ばれていて、最高神であり、北極星を司るそうです。
御朱印と御朱印帳をいただきましまた。
高台にある本殿からは街を見下すことができとてもいい景色でした。
1615年(慶長20年)の大阪夏の陣に向かう徳川家康が近くにある星田公園で軍議を開き、出陣したと伝わる場所。徳川家康もこの辺りから大阪を見下ろしていたのかなぁと思いました。
正式名-小松神社
主祭神 - 天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神
社格等-星田神社の境外末社
・映画「君の名は」のモデル
隕石の落ちた場所。
「伝家康ひそみの藪」物語
天正十年(1582)6月2日の明け方に織田信長が京都本能寺にて家臣明智光秀の反逆によって果てたとき、信長と同盟を結んでいた徳川家康は身の危険を察知して、すぐさま訪問先の堺を退去して本国三河に帰ろうとし、6月2日の深夜には星田に、星田の伝承では星田炒見宮の参道の入口の北(鳥居に向かって左側)に
地元の人は家康の藪くらがあったところといっていて、俗にいう「けんしきの藪」、家康が堺から三河に逃げ帰る(伊賀越え)の途中、一時この藪に潜んでいたと言い伝えがあります。
このあたりは豊臣方寄りの安全ではないエリアなのに隠れて生き延びたり、出陣して勝利、家康とは縁があり何かの加護でももらったのか不思議な感じがしました。
本殿への登り口
手水舎
本殿に向かう階段
本殿
隕石が落ちたとされる場所が、境内の「登龍の滝」になります
御朱印帳
御朱印
ご祈祷詳細情報
ご祈祷受付時間:午前10時~午後3時半
平日、土日、祝日も受付いたします
ご祈祷は予めご予約をお願いします
(☏072-891-2003)
当宮の縁起によりますと平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(810~824年)に、弘法大師が交野へ来られた折、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、3ヶ所に分かれて地上に落ちました。現在もこの伝説は当地に残っており、星が地上に落ちた場所として、一つは星田傍示川沿いの高岡山東の星の森、もう一つが、この星田乾にある降星山光林寺境内、そしてもう一つがこの当宮の御神体であると伝わっています。後に弘法大師は当宮の地に赴き、大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、「北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳」、「神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山」としてお祀りされました。後世には淳和天皇、白河天皇、後醍醐天皇を始め楠木正成、加藤清正以下、農民にいたるまで崇敬を集めたと伝わっております。これらの由緒は平安時代貞観17年(875年)の『妙見山影向石縁起』並びに江戸時代に書かれた当宮の縁起書に記載されています。(HPより抜粋)
名称 | 星田妙見宮 |
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読み方 | ほしだみょうけんぐう |
通称 | 小松神社 |
参拝時間 | 8:00〜16:30(土日祝〜17:00) |
参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 四季毎に様々な御朱印を授与しております。
|
限定御朱印 | あり |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 072-891-2003 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.hoshida-myoken.com/ |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ) 高皇産霊大神(タカミスビノオオカミ) 神皇産霊大神(カミムスビノオオカミ) 仏教では北辰妙見大菩薩 道教・陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神 |
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ご神体 | 磐座 |
創建時代 | 弘仁年間(810~823年) |
創始者 | 弘法大師空海 |
本殿 | なし |
ご由緒 | 当宮の縁起によりますと平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(810~824年)に、弘法大師が交野へ来られた折、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、3ヶ所に分かれて地上に落ちました。現在もこの伝説は当地に残っており、星が地上に落ちた場所として、一つは星田傍示川沿いの高岡山東の星の森、もう一つが、この星田乾にある降星山光林寺境内、そしてもう一つがこの当宮の御神体であると伝わっています。後に弘法大師は当宮の地に赴き、大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、「北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳」、「神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山」としてお祀りされました。後世には淳和天皇、白河天皇、後醍醐天皇を始め楠木正成、加藤清正以下、農民にいたるまで崇敬を集めたと伝わっております。これらの由緒は平安時代貞観17年(875年)の『妙見山影向石縁起』並びに江戸時代に書かれた当宮の縁起書に記載されています。(HPより抜粋) |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り伝説 |
概要 | 小松神社(こまつじんじゃ)は、大阪府交野市星田にある神社。別称である星田妙見宮の名で知られる。生駒山系に残る数少ない磐座信仰の霊場のひとつである。 |
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歴史 | 歴史[編集] 当社の伝承によれば、平安時代の弘仁年間(810年 – 823年)に空海が交野に来、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入って秘法を唱えたところ、天上より七曜の星(北斗七星)が降り交野の3ヶ所に分かれて落ちた。このうちの一つが当地であるとされる。後に空海が当地に赴くと空海自ら「三光清岩正身の妙見」と称し、「北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳」、「神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山」として落ちてきた星を御神体として祀ったと伝わる[1]。 平安時代には当社は「神禅寺」と称しており、河内長野市の天野山金剛寺の古文書にも「嘉承元年(1106年)9月23日、星田神禅寺」と見える。また延宝6年(1678年)...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] JR学研都市線 星田駅より徒歩約20分。 京阪交野線 私市駅より徒歩約30分。 JR 星田駅、京阪 交野市駅より京阪バス17,17A乗車、『妙見口』バス停下車。一の鳥居まで徒歩約15分。 |
引用元情報 | 「小松神社 (交野市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E4%BA%A4%E9%87%8E%E5%B8%82%29&oldid=101197540 |
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