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楽しみ方星田妙見宮のお参りの記録一覧
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星田妙見宮様へ到着しました🚗=3
御祭神は
天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)
をお祀りされています。
弘法大師が獅子窟寺様の奥之院で秘法とされる
仏眼仏母尊を唱えたところ七曜星(北斗七星)が
星田妙見宮様、光林寺、星の森の八丁三所と言われる
3ヵ所に降り注いだのが始まりとされています。
816年に実際に この地に隕石が落ちた記録があり
弘法大師の修行と結び付いたと考えられています。
明治の神仏分離以前は「神福寺」や「星田神禅寺」と
呼ばれ真言密教の修行の地でした。
御神殿の奥にお祀りされている磐座の影向石は
空から降りた神仏の依り代とされています。
境内にある登龍の滝の滝壺は すり鉢状の地形を
していて実際に落ちた隕石のクレーターでは
ないかと考えられています。
200段を越える石段を登ると社殿が見えてきます。
磐座の影向石は圧巻で登龍の滝では周囲の音が
吸い取られているような静謐な空気が
充ちていました。
境内のあちらこちらで圧倒されながら
手を合わせさせていただきました(-人-)



【空海がひらいた七夕の聖地・星田妙見宮(大阪)でサポーターさんの幸せと健康をご祈祷】
今月のホトカミサポーターさんの幸せと健康のご祈祷は、
大阪府交野市にある星田妙見宮さんにて、お願いしました。
星田妙見宮は、弘法大師・空海がひらいた聖地にある神社です。
古くから、星が落ちた場所として大切にされていました。
江戸時代までは、空海の真言宗のみならず、天台宗や日蓮宗、陰陽道なども含めて、いろんな宗派の聖地として、多くの方々がお参りされていました。
妙見信仰では、調和がとれていること、聖徳太子が第十七の憲法で制定した「和をもって、貴しとなす」ことが大切にされているそうです。
和を大切にする考え方から、宗派や考え方を越えて、
多くの人々を受け入れてきたのだろう、と神主さんにも教えていただきました。
また、古くから、七夕のおまつりも行われています。
江戸時代の有名な貝原益軒の紀行文『南遊紀行』にも、「此谷のおくに、星の森有。星の社あり。其神は牽牛織女也。」と、残っています。
牽牛織女とは、彦星と織姫さまのことです。
江戸時代から七夕の名所として有名だったことが分かります。
しかし明治に入り、神仏判然令が出され、廃仏毀釈の運動が起こります。
そこで、さまざまな価値観を受け入れてきた、星田妙見宮は神社の道を選ぶことになります。
その後次第に、広い境内の整備も難しくなっていき、いまとは全く異なる状態だったそうです。
40年前に、現在の宮司さんが星田妙見宮で奉仕するようになりました。
はじめはまったくの明かりもないような状態だったそうです。
そんな状態からスタートして、4名の総代さんと一緒に、手作りで絵を描いて看板をつくり、石段を整備したり、お社に色を塗ったりと、少しずつ境内を整備していかれました。
実際に今でも神主さんたちが総代さんと協力して境内を整備されているそうで、朱色輝く鳥居や玉垣なども、手作業で塗り直したり、されているそうです。
お参りした際はぜひ、「ここは最近キレイになったんだろうな」などと、思いを馳せながら、お参りしてみてください。
そうした40年の地道な努力の結果、7月7日の七夕の日には、1日で2万人もの方がお参りされるほど、人気で全国からお参りの方が集まる神社となったそうです。
そして来年は、創建1210年の節目を迎えられるそうです。
星田妙見宮さんの中興の祖ともいえる、宮司さんの息子である佐々木さんは、「これからも神社が続いていけるように、精一杯奉仕していきたい!」と熱く語って下さいました。
佐々木さんは、私のことを大阪の神主さん向けの講演会へ2回も呼んで下さったり、ホトカミのこともいつも応援して下さっています。
今回のご祈祷での祝詞(のりと・神さまへ願いごとを伝える)でも、「100年後に神社お寺を残す」ホトカミは〜と、特別な祝詞を奏上して下さいました。
今回もしっかりと、全国のホトカミサポーターさんの幸せと健康を祈願させていただきました。
星田妙見宮の皆さま、本当にありがとうございました。
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