御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

いせのくに してんのうじ|曹洞宗塔世山

伊勢の国 四天王寺

公式三重県 津駅

参拝可能時間:午前7時~午後5時(通年)
対応できる時間:午前9時~午後4時
御朱印受付時間:午前9時~午後4時

投稿する
059-228-6797

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

現在の御朱印・御朱印帳

聖徳太子1400年限定御朱印(2種)と通常御朱印(2種)

①3月限定「宝石と観音さま」(直書き・書き置き・郵送対応あり

②四天王寺を100年見守る薬師如来像の御朱印(直書き)
(西国四十九薬師霊場第三十四番札所)

③織田信長も祈った三面大黒天の御朱印(直書き)
(津七福神 大黒天)

合計3種類の御朱印を頒布しています。

3月限定「宝石と観音さま」【聖徳太子1400年限定御朱印】

3月限定「宝石と観音さま」

1,000円
直書き・郵送対応あり

5つのこだわりポイント

【御朱印に込めた想い・郵送対応など】詳しくは以下のページをご覧ください。

【医王殿】四天王寺を100年見守る薬師如来像の御朱印

西国四十九薬師霊場第三十四番札所

300円

伊勢の国 四天王寺のご本尊は薬師如来像です。
右上には「西国薬師第三十四番」、中央には薬師如来を表す梵字の印が押されます。

【三面大黒天】織田信長も祈った三面大黒天の御朱印

津七福神 大黒天

300円

四天王寺は、伊勢の津七福神のうちの1つです。
三面大黒天という、弁財天・毘沙門天・大黒天の3つのお顔をもった像が特徴的です。
織田信長公が祈ったと伝わります。
右上には「伊勢の津七福神 五穀豊穣」、中央には大黒天を表す梵字の印を押します。

観音さまの御朱印帳

観音さまの御朱印帳

2000円
納経所限定(郵送対応なし)

御朱印と同じデザインの「宝石と新しい観音さま」の御朱印帳です。
月参りの御朱印帳としてもお使いいただけます。

御朱印帳(3色)

2500円
緑、紺、赤

聖徳太子1400年大遠忌記念御朱印が完成しました。
緑、紺、赤の3色ご用意しています。
お参りの記念にどうぞ。

授与場所・時間

御朱印をご希望の方は、本堂右手の納経所にお越しください。
御朱印の受付時間は、午前9時~午後4時です。

郵送お申し込みは以下のページからお願いいたします。

これまでの聖徳太子1400年限定御朱印

3月限定「梅と藤堂高虎正室」聖徳太子1400年限定御朱印

3月限定「梅と藤堂高虎正室」

1000円・直書き
2021年3月1日〜3月31日

【梅に込めた想い】
四天王寺の境内では、3月に梅が咲きます。
梅は、曹洞宗をひらいた道元禅師が愛した花。
厳しい冬の寒さを越え、いちはやく花を咲かす梅に道元禅師は生命の強さを感じました。

春が来たから花が咲くのではなく、花が咲くから春の訪れに気付く。
お寺に来たときは、梅の花を愛でることで季節の変化を知り、生きる喜びや幸せを感じていただきたいです。

【藤堂高虎夫人に込めた想い】
津藩主をつとめた戦国武将・藤堂高虎の正室、久芳夫人です。

3月といえば、女の子の健やかな成長と幸せを願うひな祭り。
四天王寺所蔵の藤堂高虎夫妻の肖像画をもとに、高虎の正室 久芳夫人をデザインしました。
愛妻家の高虎は、久芳夫人のお墓がある四天王寺に供養の品々や新しいお堂を寄進されました。

男女平等や性のあり方の多様性が話題となる今日この頃ですが、物事に境界はありません。
人間が生み出した境界線にとらわれず、お互いを認め合っていくことが聖徳太子の願った和の世界だと思います。

4月限定「桜と禅語」聖徳太子1400年限定御朱印

4月限定「桜と禅語」※郵送対応あり

1000円
直書き

【4月の桜に込めた想い】
四天王寺の境内に3月下旬から4月上旬にかけて咲くソメイヨシノをデザインしました。

桜は、卒業や新しい生活の始まりを連想させる花。
江戸時代の四天王寺では寺子屋が開かれ、10年ほど前までは境内に幼稚園がありました。昔から子供の教育とは縁が深かったようです。
四天王寺の桜も多くの子供たちを迎え、送りだしてきました。

美しく儚い桜の姿に、人生の苦楽と儚さを重ね、多くの人々の心を癒してきた桜。
コロナウイルスで不安定な世の中ですから、桜の花を見て、新しい生活への希望を感じていただきたいです。



【禅語「一華開五葉」】
「一華、五葉を開く(いっけごようをひらく)」は、ひとつの花に五枚の花びらが開く様子をあらわしています。

この言葉を残したのは、中国禅宗の祖といわれる達磨大師(だるまだいし)。
仏教が世界に広がり、その功徳が人々の心に安らぎを届けますようにという想いが込められています。

4月8日は、お釈迦様のお生まれになった花まつり。
「全てのものが仏であり、平等で尊い存在である」というお釈迦様の教えが花開くように、との想いをこめて書いた文字を御朱印に入れました。

まるでお釈迦様と仏教が誕生されたことを祝福するかのように、4月はたくさんの花が咲きます。
桜や4月の花々を愛でながら、お釈迦様の尊い教えが2500年続いていることに想いを馳せて、四天王寺にお参りください。

5月限定「藤と日本刀・かぶと」聖徳太子1400年限定御朱印

5月限定「藤と日本刀・かぶと」※郵送対応あり

1000円
直書き

【5月の藤に込めた想い】
かつて四天王寺にあった幼稚園には、砂場の上に藤棚がありました。

夏に近づき、だんだんと強くなる日差しからこどもたちを守るように咲く藤の花。
5月に見ごろを迎えると、蝶や虫たちが集まります。
咲きほこる藤の下、自然と戯れながら遊ぶこどもたちの元気な様子が思い出されます。

子どもたちの健やかな成長を願い、藤の花を御朱印にデザインしました。


【津藩主・藤堂高虎に仕えた磯野家の日本刀・かぶと】
磯野家は津藩主・藤堂高虎に仕えた武士の家です。
現在も四天王寺の檀家さんなので、刀やかぶとをお寺で預かり保管しています。

御朱印のモチーフになっている「陸奥守藤原歳長」という刀は、
戦乱が終わった江戸時代前期、津藩お抱えの刀鍛冶がつくったものです。

5月5日はこどもの日。
こどもたちの健やかな成長を願ってかぶとを飾りますが、
私は平和への願いも込めて今回の御朱印をデザインしました。

「心休まる世が来るように」と人々が時には血を流し、涙を流しながら
歴史を重ねて、今の平和な時代があります。
古くは聖徳太子も、戦が終わり平和な時代が来ることを願い、
刀を持った四天王像を彫り戦勝祈願を行いました。

今の平和の感謝、これからの平和への願い、そんな想いを込めた御朱印です。

5月は本堂横で磯野家のかぶとを展示していますので、
お参りの際は、是非ご覧ください。

6月限定「紫陽花と山門」聖徳太子1400年限定御朱印

6月限定「紫陽花と山門」※郵送対応あり

1000円
直書き

【6月の紫陽花に込めた想い】
山門のそばに咲く紫陽花を御朱印にデザインしました。

紫陽花は、奈良時代の万葉集にも詠まれた日本古来の花。

梅雨の時期は雨が続き、気分が沈んでしまう日もありますよね。
そんなときは、雨のなかしっとりと咲く四天王寺の紫陽花を見て、
美しさに癒されてはいかがでしょうか。

6月は、紫陽花を浮かべた花手水も境内を彩ります。
ぜひお参りください。

【おもてなしの山門】
江戸時代に建てられた山門です。
四天王寺の玄関口として、多くの人を受け入れてきました。
悪いものがお寺に入ってこないようにする結界の役割も果たしてます。

額に書いてある「應供閣(おうぐかく)」には、「おもてなし」のこころが込められています。
應供は、「施し」や「振る舞い」といった意味を持つ言葉。
山門をくぐった方は、皆等しく客人としておもてなしさせていただきます。

津市は名前の通り港町として栄えた土地。外からの疫病などが入りやすい場所でした。
だからこそ、山門で結界をほどこして悪いものを断ち切りながら、
皆さんをもてなすのが、1400年続く四天王寺の精神だと思います。

コロナ禍で様々な苦悩がある現代に、今一度「和」の心を蘇りさせていただきたく御朱印に想いを込めました。
特に和の文字は私が念じて書きました。
一つ一つにこだわり、今月の限定御朱印とさせていただきましたので、どうぞ宜しくお願いします。

7月限定「舞い散る蓮の花」聖徳太子1400年限定御朱印

7月限定「舞い散る蓮の花」

1000円
直書き

【7月の蓮の花に込めた想い】
聖徳太子が35歳の7月にお経の講義をしたところ、蓮の花が空から降ってきたという逸話があります。
蓮は泥のなかで成長し、高くのびた茎に花が咲きます。
花びらが頭上から降ってくる世界を想像する時、私たちは泥中にいます。
混沌とした泥のような社会のなか、祈ることで、功徳が蓮の花のように降り積もっていくでしょう。

また、蓮はアジアをはじめとした国々で広く愛されている花です。
コロナ禍で世界が危機に直面する今、蓮の花を通じて世界中が平和であるようにお祈りください。

7月は参道の蓮も見頃を迎えます。皆様のお参りをお待ちしています。

コロナ禍で様々な苦悩がある現代に、今一度「和」の心を蘇りさせていただきたく御朱印に想いを込めました。
特に和の文字は私が念じて書きました。
一つ一つにこだわり、今月の限定御朱印とさせていただきましたので、どうぞ宜しくお願いします。

8月限定「アサガオと薬師如来」【聖徳太子1400年限定御朱印】

1000円
直書き

【薬師如来のデザインに込めた想い】
四天王寺のお薬師さまは、およそ1000年前に、お姫様の病気を治したいという願いからつくられた仏像です。
度重なる戦火を逃れ、今では国の重要文化財に指定されています。
さらに、奈良の薬師寺や滋賀の延暦寺などが名を連ねる「西国四十九薬師霊場会」の第34番札所が、この四天王寺です。

いま私たちは、新型コロナウイルスによる不安な世の中を生きています。
だからこそ1000年前の人々が原因も治療法も分からない病に直面し、
お薬師さまにすがった気持ちがわかる気がするのです。

私たちのご先祖さまは、困難にぶつかったときこそ、
自分や大切な人のために祈ってきました。

四天王寺のお薬師さまが1000年ものあいだ見守ってくださったご先祖さまの祈りを、
これからも私たちが繋いでいきましょう。

また、コロナ禍で様々な苦悩がある現代に、今一度「和」の心を蘇りさせていただきたく御朱印に想いを込めました。
特に和の文字は私が念じて書きました。
一つ一つにこだわり、今月の限定御朱印とさせていただきましたので、どうぞ宜しくお願いします。

9月限定「満月と彼岸花」【聖徳太子1400年限定御朱印】

1000円
直書き

【輝く満月に込めた想い】
秋は空気が澄んでいて、お月見にぴったりな季節です。
今年の9月21日は中秋の名月にあたり、満月になります。

古来より、人は月を見て大切な人に想いを馳せてきました。
太陽が大きな明るさで私たちを照らす一方、月は優しい光で私たちを包み込みます。
月を見上げ、ご先祖さまから繋がってきた命の尊さに想いを馳せていただけたら幸いです。


【聖徳太子の伝説に込めた想い】
満月に重なって空を飛んでいるシルエットで、
聖徳太子とその愛馬の伝説をデザインしました。

伝説によると、聖徳太子を乗せた馬が雲を突き抜ける高さまで駆け上がり、
その後3日間かけて全国各地を巡ったそうです。

聖徳太子は、人々の苦しみや悲しみの声を政治に取り入れるために
自ら地方に足を運んだ徳の高い方であったと、この伝説から読み取ることができます。

「一度に10人の話を聞けた」という聖徳太子の逸話がありますね。
これは、聖徳太子の耳の良さではなく、
十人十色の意見を汲み取る聖徳太子のお人柄を表しているのかもしれません、
一人一人の小さな声に耳を傾け、和の心を持って政治を行ったのが、聖徳太子なのです。

【真紅の彼岸花に込めた想い】
9月になると虫の声も秋らしくなり、あちこちに彼岸花が咲きます。

彼岸花は、私たちのご先祖さまが土地を守り、
次世代へ命を繋いでくださった想いを象徴するかのように、
毎年お彼岸の時期に咲くのです。

また、彼岸花は球根で増える植物なのに、花を咲かせて花粉を虫に与えます。
虫たちに花粉を分け与えることは、仏教において大切にされている「他者への施し」にも感じられます。
四天王寺の境内にも彼岸花が咲きます。
お参りの際にぜひご覧ください。

10月限定「柿と藤堂高虎」【聖徳太子1400年限定御朱印】

1000円
直書き

【秋の境内を彩る柿のデザインに込めた想い】
御朱印の左上の柿は、四天王寺の茶室前の庭に植えられた柿の木がモチーフです。

かつて四天王寺の境内に幼稚園があり、
そこに植えられていた柿の木を茶室前の庭に移植しました。

幼稚園の園児たちは、柿の木に登ったり、揺らしたりして遊んでいました。
柿の木を見ていると、園児たちが遊んでいた風景が蘇ってきます。
しなやかで味わい深い枝ぶりも見どころです。

お参りの際はぜひ柿の木をご覧いただき、四天王寺の歴史の一端を感じていただけたら嬉しいです。

【戦国武将・藤堂高虎公のデザインに込めた想い】
藤堂高虎公は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将です。
10月5日は藤堂高虎公の命日なので、今月の御朱印にデザインしました。

また「勝ち虫」と呼ばれ、前にしか進まないことから縁起の良い虫として武将たちに好まれた「トンボ」もデザインに取り入れました。

藤堂高虎公は1608年に津藩(現在の三重県津市)の初代藩主になり、
関ヶ原の戦いで戦場となり焼けてしまった津城や津のまちの復興に尽力しました。

四天王寺も焼失しましたが、藤堂高虎公の正妻の菩提寺として、高虎公により再興されました。
妻を大切に想う高虎公の愛情深い一面がうかがえます。

また、藤堂高虎公は、黒田官兵衛や加藤清正とともに「築城の名手」に数えられ、
城下町の発展を意識した城づくりに長けていました。

津城の修復と同時に伊勢街道を整備し、津藩が伊勢神宮にお参りする人の宿場町として繁栄するよう計画しました。
高虎公は人々の暮らしぶりまでも視野に入れ、まちづくりを行ったのです。

四天王寺にお参りの際は、ぜひ境内の山の中腹にある高虎公の妻・久芳院のお墓に手を合わせていただき、
人々の平安を願ってまちづくりをした藤堂高虎公に想いを馳せていただけたら幸いです。

11月限定「もみじと三面大黒天」【聖徳太子1400年限定御朱印】

1000円
直書き

【赤もみじと黄もみじのデザインに込めた想い】
真っ赤に色づいた赤もみじと、黄色いもみじを色鮮やかに表現しました。

もみじは、新緑の季節には青々と美しく、秋には真っ赤に色づきます。
冬、落葉したあとの枝ぶりもきれいです。
四季を感じやすく、昔から非常に愛されてきた植物だと思います。

四天王寺では11月から12月にかけて、もみじの色の移り変わりが楽しめます。
境内にはたくさんのもみじが植わっていますので、ぜひお参りください。


【三面大黒天のデザインに込めた想い】
織田信長公も祈願したと伝わる四天王寺の三面大黒天を、本堂でおまつりしています。
御朱印には、三面大黒天像のお姿と、150年前に使われていた「開運出世 三面大黒天」の版木を再現しました。

三面大黒天は比叡山延暦寺でもまつられている神様で、豊臣秀吉の守り本尊としても知られます。
平和な世を作るために天下をめぐって争った時代、天下人に信仰されたことから、開運出世・戦勝祈願の神様とされてきました。

四天王寺の三面大黒天も、大黒天・毘沙門天・弁財天の三つの神様が合わさったお姿をしていて、戦国時代に広まった三面大黒天信仰の影響で作られたのではないかと考えています。

また、大黒天は五穀豊穣の神様であり、にこやかなお顔やふくよかなお姿は、豊かな実りを思わせます。

11月は、これから厳しい冬を越えるにあたって、田畑や自然からの恵みを受ける時期です。
美しい実りの秋、三面大黒天の功徳に感謝して、手を合わせていただきたいと思います。

境内には織田信長公の母 土田御前のお墓もありますので、ぜひ合わせてお参りください。

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最新のお知らせ

春の香り

杏の花、沈丁花など春の花が咲き始めました。
鳥たちも嬉しそうに境内を飛び回っております。

良い季節にご参拝ください。
━━━━━━━━━━━━━━
3月限定「宝石と観音さま」
限定御朱印の紹介は、
こちらをご覧ください。郵送対応あり📮
<https://features.hotokami.jp/mie_shitennoji/>

【寄進者限定】特別御朱印
令和の大観音建立~あなたの名前と願いを1000年先の未来へ
<https://features.hotokami.jp/shitennoji_daikannon>

【お参りした方の特典】
ホトカミへの投稿を納経所で見せると、聖徳太子の入浴剤をプレゼント🎁
観音さま、三面大黒天、聖徳太子像などの撮影OKです📷
ホトカミへの投稿、お待ちしてます。

伊勢の国 四天王寺の自然伊勢の国 四天王寺(三重県)伊勢の国 四天王寺(三重県)伊勢の国 四天王寺(三重県)伊勢の国 四天王寺(三重県)伊勢の国 四天王寺の御朱印

3月限定「宝石と観音さま」

4月3日(月)は三面大黒天の日(織田信長母お墓参り)

2023年04月03日(月) 09時00分〜

織田信長公の母・土田御前のお墓がある四天王寺では、
信長公も祈願したと伝わる三面大黒天を本堂でおまつりしています。

3つのお顔を持つ三面大黒天さまにちなんで、
毎月3日は「三面大黒天の日」。

聖徳太子の入浴剤「和み湯(青)」※非売品 もプレゼントいたします🎁
※郵送での対応はできかねます。ご了承ください。

三面大黒天は豊臣秀吉公の守り本尊としても知られ、天下人に信仰されたことから開運出世にご利益があるといわれる神様です。

さらに4月3日は子供たちの健康を願って住職による、
【三面大黒天の特別法要・織田信長母のお墓参り】も執り行います。
倉島住職による15分程度の法要の後、三面大黒天の紹介、そして、境内の織田信長公の母・土田御前のお墓参りを実施しします。

■三面大黒天の特別法要・織田信長母のお墓参り

住職による15分程度の法要の後、三面大黒天の紹介、
そして、境内の織田信長公の母・土田御前のお墓参りを実施しします。

日時:4月3日(月)12時〜12時半
参加:無料
服装:自由

事前申し込みは不要です。
11時55分頃に本堂内にお集まりください。
どなたでもお気軽にご参加ください。

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【お参りした方の特典】
ホトカミへの投稿を納経所で見せると、聖徳太子の入浴剤をプレゼント🎁

観音さま、三面大黒天、聖徳太子像などの撮影OKです📷

ホトカミへの投稿、お待ちしてます。

伊勢の国 四天王寺(三重県)

三面大黒天

伊勢の国 四天王寺(三重県)

法要の様子

伊勢の国 四天王寺(三重県)

聖徳太子「和み湯」入浴剤

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檀家以外の参拝
檀家以外の参拝
あり
歓迎
御朱印について
御朱印
あり

聖徳太子が建立したと伝わる四天王寺では、
「聖徳太子1400年限定御朱印」を月替わりデザインで頒布しています。(御朱印帳へ書き入れ有り)
その他にも、季節限定の織田信長公も祈願した三面大黒天の御朱印や、西国四十九薬師霊場第34番札所、津七福神の大黒天の御朱印もあります。

限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり

■お書き入れ可能な御朱印
・月替わりの御朱印「聖徳太子の観音さま」【聖徳太子1400年御朱印】
・【医王殿】西国四十九薬師霊場第三十四番札所の御朱印(通年)
・【三面大黒天】織田信長も祈った三面大黒天の御朱印(通年)

■書き置きのみ(季節ごとに変更)
・季節限定「三面大黒天」
※枚数に限りがあります

郵送対応
あり

■郵送対応ありの御朱印
・月替わり限定「聖徳太子の観音さま」【聖徳太子1400年御朱印】
・季節限定の三面大黒天御朱印

■お申し込みはこちら
https://features.hotokami.jp/mie_shitennoji

御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり
30台

巡礼

西国薬師三十四番霊場
芭蕉翁百霊場札所
伊勢の津七福神大黒天霊場

ご利益

伊勢の国 四天王寺について

毎月限定の御朱印の情報は特設ページをご覧ください。


郵送でも対応しております。(「和」の一文字写経を同封)

住職より

聖徳太子1400年の大遠忌(お亡くなりになった節目の年)に、
「和の精神」の御縁づくりとして、聖徳太子1400年限定御朱印をはじめました。

参拝された方には御朱印帳に直接お書き入れします。
境内には「聖徳太子像」や「藤堂高虎像」、「織田信長の母のお墓」もありますので、ぜひお参りください。

また、参拝できない方へは祈りを込めた御朱印を郵送でお送りいたします。
塔世山 四天王寺 住職 倉島隆行

おすすめの投稿

惣一郎
2021年05月16日(日)
1168投稿

四天王寺は、三重県津市にある曹洞宗の寺院。山号は塔世山。
本堂にある木造薬師如来像、絹本著色聖徳太子像、絹本著色藤堂高虎像・同夫人像(掛け軸)は国指定の重要文化財。

寺伝によると、推古天皇の勅願により聖徳太子が建立。聖徳太子が守屋大連軍に3度敗れ、4度目の戦陣中で四天王像を刻み勝利を祈願。結果勝利し、請願どおり4つの四天王寺を建立したうちの一つであるとのこと。
その後、奈良・平安時代には繁栄するも、つづく兵乱や戦火で焼失と復興を繰り返した。
江戸時代には、津藩主となった藤堂高虎が本堂を改築し、2代藩主・藤堂高次が寺領を寄進して寺勢を取り戻した。ただ、1945年の米軍による津大空襲で伽藍を焼失、戦後、托鉢行で再興した。

当寺は、JR紀勢本線・津駅、近鉄名古屋線・津駅の南方700mに位置していて、公共交通機関だと国道23号線上にある塔世橋バス停から徒歩すぐ。津市街地を流れる安濃川の北岸にあって、南北に長い境内は300mほどに及ぶ。幹線道路の国道23号線から1本入ったところの住宅街の中にあるので街中でも静かな環境。歩いて回った範囲は境内と墓地が半々の印象。墓地には織田信長・信包兄弟生母の墓や、藤堂高虎正室の墓などがある。

事前調査で津市内の人気寺院ということで参拝することに。参拝時は平日の午後、土砂降りの雨の中だったが、参拝の常連のご老人衆が5名ほど来ていた。御朱印を依頼したところ、本堂で仏像の説明を受けるとともに、お茶と受け菓子を出してもらい、丁寧な対応をいただいた。さらに国指定の重要文化財となっている掛け軸も拝見し感激した。

※旅行サイト<じゃらん>において、津市で2番目に人気がある(口コミ数が多い)寺社仏閣。

伊勢の国 四天王寺の山門

寺院入口の<総門>。戦争時の米軍空襲を逃れた数少ない建物の一つ。江戸時代前期の1641年建立、後期の1788年改修。

伊勢の国 四天王寺の山門

総門には<塔世山>の扁額。参道の先には歴史を感じさせてくれる古い門があり、参道両側には綺麗に掃き清められた庭園がのぞく。

伊勢の国 四天王寺の山門

総門をくぐって、参道を進むと<中雀門>。こちらも空襲を逃れた建物。江戸時代の建立。

伊勢の国 四天王寺の末社

総門をくぐってすぐ右手にある<稲荷神社>。

伊勢の国 四天王寺の建物その他

中雀門の右手にある<鐘楼>。こちらも空襲を逃れた江戸時代の建物。

伊勢の国 四天王寺の歴史

中雀門の左手にあった案内板。美術展の紹介のようにセンスが良い。(あまりにセンスが良いので、最初はお寺の紹介だとは思わず、お寺が協賛するイベントのコマーシャルと勘違いした。)

伊勢の国 四天王寺の本殿

中雀門をくぐって、本堂を望む。本堂は現代的な建物。写真右手の巨大な蘇鉄とマッチしている。

伊勢の国 四天王寺の本殿

本堂全景。非常に間口が大きい。

伊勢の国 四天王寺の本殿

本堂正面。常連と思しきご老人衆が集まっていた。

伊勢の国 四天王寺の本殿

見た目も美しい本堂内。(撮影OKと書いてあったので、思わずパチリ。)
中央には本尊の<阿弥陀如来像>(と説明されたような記憶)、右側には国指定の重要文化財の<薬師如来像>、左側には織田信長が祈願したという<三面大黒像>を祀る。

伊勢の国 四天王寺の末社

ここから本堂に向かって左側に進む。こちらは、不動明王を祀る<不動堂>。

伊勢の国 四天王寺の地蔵

さらに進むと<目洗い地蔵>。眼病の治癒に御利益があった言い伝えがある。

伊勢の国 四天王寺の本殿

ここから本堂を望む。木々の新緑が目に優しい。庭がかなり綺麗にしてある。

伊勢の国 四天王寺の建物その他

本堂向かって右手にある<寺務所>。御朱印はこちら。

伊勢の国 四天王寺の本殿

御朱印をお願いすると、本堂に上がって参拝することを勧められる。
本堂右側にあるのは、国指定の重要文化財である<木造薬師如来像>。ガラス越しに見える形で安置されている。戦前は貴重な仏像を多数有していたが、米軍空襲でほとんどを焼失し、この薬師如来は奇跡的に難を逃れたとのこと。

伊勢の国 四天王寺の本殿

お茶と茶菓子を頂戴し、まず感激。
この後、本堂の右隣の和室に通され、国指定の重要文化財である①絹本著色聖徳太子像、②絹本著色藤堂高虎像・③同夫人像の3本の掛け軸を拝見した。これでさらに感激。

伊勢の国 四天王寺の建物その他

境内の外の道沿いにある<芭蕉翁文塚>。江戸中期1737年に津の俳人・二日坊が建立。

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てまぽん
2022年12月14日(水)
167投稿

ご遙拝させて頂きました。
うーん、た・ぶ・ん「ホトカミ」さんの、「大スポンサーさま」ですよねぇ。
今回、これに乗っかってみることにしました。
これら「二躰」の「拝受時期」は前後していましたが、一度に投稿させて頂くことにしました。
まぁ、どちらも、「ごく一般的」な「見開き御印」ですね。
「聖徳太子1400年限定 御印」はまだしも、「雪と三面大黒天」の「冥加料」は、一躰1,500円も!
果たして、ただの「見開き御印」で、それだけの価値があるかどうか、ワタシには理解が・・・。
最初に到着した「聖徳太子御印」には、「和」の「一文字写経」のハガキが添付されていましたが、「三面大黒天御印」には付いていません。
「写経」で「ハガキに「和」とだけ書いて」送付するなど、しょせん「素人さま」のする事。
ワタシは封筒で、「一文字写経ハガキ」と、このお寺は「曹洞宗」と見ましたので、「舎利礼文」を入れて送りました。
これごときならば、追加で「般若心経」まで「お納め」する必要もないでしょう。
塔世山四天王寺さまにおかれましては、せっかく「ご遙拝」をさせていただくならば、です。
「一項もの」の、「ご本尊さま・御印」や「三面大黒天さま御印」も、お頒け頂きたいものですね。
世の中には、少しばかりきれいな「見開き御印」ばかり「ごく簡単に拝受」して、喜ぶ人ばかりではないと思いますがねぇ・・・。
いくら「ご遙拝」でも、「御印」を拝受したら、作法どおり「その寺院の宗派」に合わせた、「写経」を「納経」している者もいるのですがね。
まぁ、「厳しい禅宗」の「曹洞宗」にしては、「フレンドリー」なのでしょうけれど。

伊勢の国 四天王寺の御朱印

月命日金文字「もみじと観音さま」聖徳太子1400年限定 御印

伊勢の国 四天王寺の御朱印

冬限定「雪と三面大黒天」 御印

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境内・文化財

伊勢の国 四天王寺の寺宝

聖徳太子像

聖徳太子16才の像。
父である用明天皇の病気平癒を願う様子を描いたものです。

制作:鎌倉時代
技法:絹本着色
大きさ:112×39.5cm

薬師如来像

ヒノキの一木造りで、1077(承保4)年に仏師定朝により造られたものです。

胎内には、当時の寺領を記した文書や、像を造る費用の寄進者名を書いた紙片や扇、櫛、鏡、など25点が納められていました。
これら納入品は江戸時代に取り出されて、現在は別に保存されています。

像高:65cm
技法:一木割矧造、彫眼、漆箔

伊勢の国 四天王寺の建築物

山門

山門は、江戸時代の1646(寛永18)年に建立されました。

四脚門(しきゃくもん)という本柱の前後に控柱を2本ずつ、左右合わせて4本立てた建築様式で造られています。
装飾的な彫刻が少なく彫りが浅いという江戸初期の特徴がよくあらわれています。

市の指定有形文化財です。

鐘楼

古来の鐘は関ヶ原の乱のとき、津城を攻める石田三成軍によって、鉄砲の弾にするために溶かされてしまいました。

現在の鐘は1680(延宝8)年につくられたものです。

本堂

太平洋戦争時の空襲によって、伊勢の国 四天王寺は山門と鐘楼以外を焼失してしまいました。

現在の本堂は、52世の密禅定行和尚が托鉢行によって再建したものです。

偉人のお墓

花屋寿栄禅尼(織田信長の生母)の墓

織田信長の生母は、土田御前(どたごぜん・つちだごぜん)の名で知られています。
法名は花屋寿栄禅尼(かおくじゅえいぜんに)です。

織田信秀の継室となり、信長・信行・秀孝・信包・お市・お犬を生みました。(※諸説あります)

うつけ者と呼ばれ評判の悪い信長を嫌い、弟の信行を可愛がったといわれています。

本能寺の変の後は津城の信包を頼り、晩年を津で過ごしました。

久芳院(藤堂高虎の正室)の墓

藤堂高虎の正室は、足利氏の子孫である一色氏の生まれと伝わります。
法名の久芳院殿桂月貞昌大姉から、久芳院と呼ばれます。

夫の藤堂高虎は、7度も主人を変えたことや、築城の名人として有名な戦国武将です。
関ヶ原の戦いと大坂の陣では徳川家康に味方し、伊賀や伊勢を与えられ、津城に入ります。

1616(元和2)年、津城で亡くなった久芳院は四天王寺に葬られました。
藤堂高虎は愛妻家であり、四天王寺には2人の肖像画や、菩提供養の想いのこもった文書が残されています。

芭蕉翁文塚

1737(元文2)年、津の俳人である二日坊宗雨(菊地宗雨)によって建立されました。
全国の芭蕉文塚のなかで18番目の古さといわれます。

文塚とは、詩文などの草稿を埋めて供養や記念のために建てた塚のこと。
芭蕉文塚は句碑に先行するもので、全国的にも希少です。

斎藤拙堂の墓

斎藤拙堂(せつどう)は、江戸後期の儒学者です。

1797(寛政9)年、江戸柳原の津藩邸で生まれました。
江戸幕府直轄の学校である昌平坂学問所で学び、津藩校 有造館の学職や、津藩主 藤堂高猷 (とうどうたかゆき)の教育係を務めます。

欧米に対抗するには進んだ西洋の学問の習得が不可欠と考え、洋学や種痘の採用と普及に努めました。
津藩の優秀な人材に洋学を学ばせるため、自身の書を売ることで費用を捻出し、長崎に留学させたといいます。
また、種痘(天然痘の予防接種)に対する人々の不安を解消するため、最初に自身の孫娘に種痘の安全性を示したそうです。

1859(安政6)年に有造館を退官したあとは鳥居町(四天王寺の近く)に山荘を構え、文人たちと交流して過ごしました。
1865(慶応元)年7月15日、69歳で亡くなり、四天王寺に埋葬されています。

堀江鍬次郎の墓

堀江鍬次郎(くわじろう)は、日本写真史上の重要人物です。

1831(天保2)年、江戸染井の津藩邸で生まれました。

斎藤拙堂の尽力で長崎に留学した津藩士の1人で、西洋の化学を学び、学友の上野彦馬とともに写真術の研究をはじめます。
当時は写真に使う薬剤を自分で作らなければならず、牛の血や骨から作った青酸カリやアンモニアを使っていました。

1861(文久1)年、津藩主 藤堂高猷(たかゆき) の援助を受け、フランスから最新の写真機材と感材用の薬品を取り寄せ、江戸の津藩邸で藤堂高猷の撮影を成功させます。

津藩校 有造館の蘭学教頭を務め、上野彦馬とともに化学解説書『舎密局必携』を著すなど、化学や写真術の普及に尽力しましたが、1866(慶応2)年に35歳の若さで亡くなりました。
遺言により鍬次郎の亡骸は、恩師斎藤拙堂家の墓地の一角に葬られています。

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行事

禅体験

四天王寺では禅寺の雰囲気を味わえる禅体験コースに参加できます。
椅子坐禅も可能であり、気軽に参加できる内容です。

参加費
1人 1000円
※お抹茶、お菓子代込み

予約
059-228-6797 に電話で要予約
※体験できない日もあります

内容
説明(10分)→坐禅(40分)→休憩(10分)→茶話会(20分)→法話(10分)

寺内行事

坐禅会

毎週日曜日 午前8時~

参加費
無料
※簡単なお菓子を持参(皆でいただきます)

予約
不要

服装
動きやすいジャージなど

内容
体操→坐禅(30分ほど)→茶話会→解散(9時半ごろ)
※作務(掃除)もします

禅茶会

月末火曜日 午前9時半~正午

参加費
2,000円
※会食付

写経会

第1火曜日 午前9時半~正午

参加費
1回 1,000円

予約
必要

持ち物
墨、筆、硯石

婦人会

毎月8日 午前10時

年間行事

1月1日~3日 新年三朝祈祷
2月11日 薬師如来大祈祷会
3月 彼岸中日後日曜日 春季彼岸会大法要
7月16日夕刻 盂蘭盆施食会法要
9月 彼岸中日後日曜日 秋季彼岸会大法要
12月31日深夜 除夜の鐘

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歴史

伊勢の国 四天王寺は聖徳太子によって建立されたと伝わるお寺です。
境内からは奈良時代の瓦が出土しており、1000年以上もの歴史を有します。 

【飛鳥時代】聖徳太子により建立される

6世紀ごろ、朝廷の有力者たちは仏教の受け入れをめぐって対立していました。
大陸から伝わってきた仏教の受け入れに賛成する蘇我氏と、日本古来の神さまをまつり仏教の受け入れに反対する物部氏の争いは激化し、軍を率いて戦うようになります。

蘇我氏は苦戦を強いられ、3度退却します。

4度目の出陣の前、蘇我氏側についていた聖徳太子(厩戸皇子)は、ヌルデの木を切って四天王像を刻み、「物部氏に勝利した暁には、四天王をまつる仏塔を建立する」と誓い、戦勝を祈願しました。
四天王は、仏法と仏法に帰依する人々を守る存在で、国家の守護神とも考えられていました。

587(用明2)年、4度目の出陣で物部守屋を討ち倒し、ついに蘇我氏が勝利。

聖徳太子は誓いどおり、各地に4つの四天王寺を建立し、そのうちの1つが三重県津市にある伊勢の国 四天王寺であると伝わります。

正確な創建年は不詳ですが、境内から奈良時代の瓦が出土していることから、1000年以上前に四天王寺が建立されたと考えられます。

【奈良時代】一帯に仏教文化が栄える

四天王寺の南西400mほどの場所には、かつて鳥居古墳がありました。

1963(昭和38)年、鳥居古墳の発掘調査が行われ、多数の押出仏(おしだしぶつ)と塼仏(せんぶつ)が出土します。

押出仏とは、銅製の型に薄い銅板をあて、つちやたがねで打って仏さまの形を浮き出させ、金めっきをして仕上げた仏像。
塼仏とは、粘土を型に押し付けて仏さまの形を浮き出させ、素焼きにした仏像です。
押出仏・塼仏ともに日本では7,8世紀ごろ流行し、鳥居古墳から出土したものもこの時期に制作されたと推定されています。

出土した押出仏の1つ「一光三尊像」は、「法隆寺献納押出仏」や「唐招提寺蔵如来立像」と形が一致しており、同じ原型から打ち出したものとわかりました。

多数の仏像が出土した鳥居古墳の発掘調査から、7,8世紀ごろ一帯に仏教文化が栄えていたこと、奈良の仏教文化と密接な関わりがあったことがうかがえます。

鳥居古墳の出土品が直接四天王寺と関わりのあるものかは定かではありません。
しかし、聖徳太子が建立した法隆寺にあるものと同じ形の仏像が出土したことは、伊勢の国 四天王寺と聖徳太子の関係を想起させます。

【平安時代】本尊・薬師如来像の造立

伊勢の国 四天王寺のご本尊は、平安後期に作られた「薬師如来像」です。

薬師如来は、古来より病気を治す医薬の仏さまとして信仰され、左手に薬壺を持ち右手に施無畏(せむい)印を結んだお姿で表されます。

聖徳太子の父・用明天皇も自身の病気平癒を願い、寺と薬師如来像の造立を願ったとされるなど、仏教伝来当初から篤く信仰された仏さまです。
しかし、用明天皇は完成を待たずして崩御されたため、聖徳太子と推古天皇が想いを継ぎ、法隆寺と金堂の「薬師如来像」を完成させたと伝わります。

伊勢の国 四天王寺の「薬師如来像」は、平安時代に生きた物部美沙尾(もののべのみさお)という女性の発願によって造立されたものです。

病に伏せていた物部美沙尾は、病気平癒を祈願して薬師如来像の造立にとりかかります。
しかし物部美沙尾は仏像の完成を見届けることなく亡くなってしまい、願いを継いだ僧・定尋によって1077(承保4)年2月に「薬師如来像」が完成しました。

物部氏といえば、仏教の受け入れに反対し、蘇我氏や聖徳太子と激しく対立したことで有名です。
しかし、500年のちの平安時代には、物部氏の娘も仏さまを敬い、病気平癒の願いをかけていたのです。

仏像造立の経緯は、仏さまの胎内から見つかった紙に記されていたもので、他には平安時代の鏡や櫛などが見つかっています。
人々は物部美沙尾が生前愛用したものを納め、安寧を祈ったのではないかと考えられます。

また、胎内には821(弘仁12)年の寺領や図帳が記載された紙も納められており、平安時代前期の四天王寺が一帯の豪族たちの帰依を集め、広大な寺領を持つ大寺院であったことも明らかになりました。

1062(康平5)年、後冷泉天皇から斎田(神に供える米を栽培する田)を下賜されたと記録が残るなど、平安時代中期までの四天王寺は朝廷や豪族の帰依を得て栄えていたようです。

しかしその後は朝廷の弱体化と武士の台頭などの時代の流れを受け、さらにお堂を戦火により焼失するなど、四天王寺は荒廃してしまいます。

伊勢国の地誌『勢陽五鈴遺響』によると、1147(久安3)年に藤原景通(加藤景道)によって薬師堂などが修復され、お寺の再興は息子の藤原景清にも引き継がれました。
藤原景清は平家に仕えた武将で、『平家物語』にも源平合戦での活躍が記されています。

【室町時代】正海慈航禅師によって曹洞宗に改修

創建当初、四天王寺の宗派は法相宗でしたが、平安中期に律宗、その後天台宗へと変わっていきました。
当時の仏教宗派は学問の派閥としての色が強く、現代のように固定されたものではなかったためです。

室町時代に正海慈航(しょうかいじこう)禅師によって曹洞宗に改められ、以降現在にいたるまで四天王寺は曹洞宗の禅寺となっています。

正海慈航禅師は、伊勢の国の長野城主 工藤氏の子。
京都の南禅寺において仏門に入り、比叡山延暦寺で具戒(僧侶が受けるべきすべての戒め)を受けます。
加賀の国の宗徳寺を経て、四天王寺に立ち寄りました。

1429(永享元)年、伊勢神宮に詣でた正海禅師は、宗徳寺を開山した玉叟良珍(ぎょくそうりょうちん)禅師に会います。
玉叟禅師に「汝は既に大悟徹底の境地に至ったようである。また今でこそ荒れ果てているが、塔世山(四天王寺の山号)は聖徳太子が開いた霊寺である。ここで努めて修行寺を興し、他に遊することなかれ」と言われたことをきっかけに、正海禅師は四天王寺を曹洞宗に改めました。

しばらくすると多くの檀信徒が訪れ、活気のある禅寺となったようです。

ちなみに聖徳太子にまつわる伝説の1つに「奈良の片岡で禅宗の開祖 達磨大師に出会った」というお話があり、聖徳太子によって創建された四天王寺が時を下り禅寺となったことは不思議な縁を感じさせます。

【戦国時代】衰退と復興を繰り返す

1565(永禄8)年に伊勢を中心に起こった騒乱により、薬師堂を残して四天王寺の大半が焼け落ちてしまいます。
このとき僧侶たちは門前の蓮池に稲を植え、後ろの山で麦を育てて飢えをしのいだそうです。

1568(永禄11)年には織田信長の伊勢侵攻により、一帯はますます荒廃していきました。

1580(天正8)年、信長の弟 信包が津城主となり、母 土田御前を四天王寺に埋葬、寺領二百石を寄進します。
一説によると信包は四天王寺の衰退を惜しみ、兄 信長の冥福を祈って斎田(神に供える米を栽培する田)を合わせて220石を寄進したそうです。

しかし1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いが起こると、前哨戦として西軍の毛利軍など数万の兵が津城に攻め寄せ、四天王寺に陣をはって城攻めの前線基地としたため、ひどく荒廃してしまいました。

【江戸時代】津城主 藤堂氏の庇護により隆興

1608(慶長13)年、戦国武将 藤堂高虎(とうどうたかとら)は江戸幕府から伊賀や伊勢など約20万石の土地を与えられ、津城に入りました。
高虎は大阪の豊臣家に備えて津城の大修築と城下町の整備に尽力します。

街道の要衝に位置した四天王寺は藤堂高虎によって厚く庇護されました。
1616(元和2)年、高虎の正室 久芳院が四天王寺に埋葬され、寄進が行われました。
1619(元和5)年には高虎らによってお堂が建てられ、僧侶にも二十人扶持(1年相当のお米を20人分)が給付されています。

1637(寛永15)年には2代目藩主 藤堂高次によって本堂が造営、1641(寛永18)年には山門が建てられました。
このときに建てられた山門は現存しており、津市の有形文化財に指定されています。

1656(明暦2)年には、高次が寺領100石を寄進。
1659(万治2)年には3代目藩主 藤堂高久によって薬師堂が修繕されました。
さらに1759(宝暦9)年と1783(天明3)年の二度にわたり、100石の寺領と年100俵の米が与えられるなど、江戸時代の四天王寺は藩の庇護をうけて栄えました。

また、当時の伊勢神宮への参宮街道沿いに位置した四天王寺は、江戸時代に流行したおかげ参りによって、多くの参詣人が訪れたようです。

1797(寛政9)年に刊行された観光ガイドブック『伊勢参宮名所図会』には、四天王寺が紹介されています。

当時の四天王寺は現在よりも広く、太子堂や弁天堂、天神社などが境内にあったことがわかりますね。
本堂右手には現在も残る芭蕉翁文塚(ばせをつか)が描かれています。

【戦前】神仏分離政策による衰退と復興

明治政府は神道の国教化政策を行うため、1868(明治元)年に神仏判然令を発します。
これは神社から仏教的な要素を排除するために出されたものでした。

それまで津藩から与えられてきた扶持米(収入)を失い、寺院経営は困窮してしまいます。

明治維新の混乱が落ち着いてきた明治時代中期、鈴木天山禅師が四天王寺の復興に尽力します。
太子堂や八王子社、薬師堂などの改修や、阿弥陀如来坐像・大日如来坐像・阿閃如来坐像・千手観音坐像・薬師如来坐像などの平安仏(平安時代につくられた仏像)が改めて安置されました。

【戦中】空襲により境内の大半が焼失

1945(昭和20)年7月にアメリカ軍による空襲が津市中心部を襲いました。
この空襲によって、四天王寺は山門と鐘楼門を除くお堂をすべて失います。

四天王寺に安置されていた貴重な平安時代の仏像の数々も、すべて焼失してしまいました。
このときご本尊の薬師如来坐像だけは、檀信徒の発案により市郊外の蔵に避難されており、空襲を逃れました。

【戦後】戦災からの復興

1947(昭和22)年、密禅定行禅師と檀信徒の力によって、戦火により荒れ果てた四天王寺に仮本堂が設けられます。

定行禅師はその後二十数年にわたり諸国を行脚して托鉢行を行い、本堂の再建を目指しました。

1966(昭和41)年に、念願の本堂再建が実現。

定行禅師と、続く倉島昌行禅師によって坐禅の実践が行われ、現代まで続く禅寺としての四天王寺が確立されました。

現在四天王寺では毎週日曜日の朝に坐禅会が行われるほか、
気軽に禅寺の雰囲気が味わえる禅体験を予約制で実施しています。

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伊勢の国 四天王寺の基本情報

住所三重県津市栄町1-892
行き方

津インターより車にて10分
津駅より徒歩10分

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名称伊勢の国 四天王寺
読み方いせのくに してんのうじ
通称塔世山四天王寺 、三重四天王寺
参拝時間

参拝可能時間:午前7時~午後5時(通年)
対応できる時間:午前9時~午後4時
御朱印受付時間:午前9時~午後4時

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレ本堂横
御朱印あり

聖徳太子が建立したと伝わる四天王寺では、
「聖徳太子1400年限定御朱印」を月替わりデザインで頒布しています。(御朱印帳へ書き入れ有り)
その他にも、季節限定の織田信長公も祈願した三面大黒天の御朱印や、西国四十九薬師霊場第34番札所、津七福神の大黒天の御朱印もあります。

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

■お書き入れ可能な御朱印
・月替わりの御朱印「聖徳太子の観音さま」【聖徳太子1400年御朱印】
・【医王殿】西国四十九薬師霊場第三十四番札所の御朱印(通年)
・【三面大黒天】織田信長も祈った三面大黒天の御朱印(通年)

■書き置きのみ(季節ごとに変更)
・季節限定「三面大黒天」
※枚数に限りがあります

御朱印の郵送対応あり

■郵送対応ありの御朱印
・月替わり限定「聖徳太子の観音さま」【聖徳太子1400年御朱印】
・季節限定の三面大黒天御朱印

■お申し込みはこちら
https://features.hotokami.jp/mie_shitennoji

御朱印帳あり
電話番号059-228-6797
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://sitennoji.net
SNS

詳細情報

ご本尊釈迦牟尼仏
薬師如来
山号塔世山
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代593年
開山・開基聖徳太子
札所など

西国薬師三十四番霊場
芭蕉翁百霊場札所
伊勢の津七福神大黒天霊場

文化財

聖徳太子像(重要文化財)
薬師如来像(重要文化財)
山門(市の有形文化財)

ご由緒

1000年の歴史 -聖徳太子建立-
本寺は塔世山四天王寺と称し、曹洞宗の中本山です。推古天皇の勅願であり、聖徳太子の建立と伝えられています。

用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れました。そこで太子は四天王尊像を刻み、「もし我が勝利を得れば、寺塔建立するから勝利を与えてほしい」との誓願をたてました。
その結果、守屋の軍をやぶることができたため、誓願どおり建立した四つの四天王寺を建立しました。その一つが、本寺であるとされています。

近年、境内から奈良時代の古瓦が出土され、建立されたのは7世紀頃という説もありますが、いずれにせよ1000年以上の歴史があり、平安時代ではこの地方で最も繁栄した寺院でした。

体験坐禅(座禅)写経・写仏祈祷結婚式仏像御朱印重要文化財人形供養有名人のお墓札所・七福神巡り除夜の鐘
Youtube
感染症対策内容

・感染拡大防止のため、アルコール消毒を設置しております。
・マスク着用にて対応させていただきます。

Wikipediaからの引用

概要
四天王寺(してんのうじ)は、三重県津市にある曹洞宗の寺院。
歴史
沿革[編集] 推古天皇の勅願により、聖徳太子が建立したと伝えられている。 戦火で荒廃と復興を繰り返していたが、安濃津城主だった織田信包が再建し、織田信長、信包の母でもある土田御前の墓がある。その他、藤堂高虎夫人(一色氏)、富田知信の子千代丸、斎藤拙堂など津にゆかりのある人物の墓がある。 昭和20年(1945年)7月28日、空襲で総門、中雀門、鐘楼以外はほとんど焼失したが、本堂と庫裏は戦後再建された[1]。 ^ 三重県ホームページ(続・発見!三重の歴史)
引用元情報四天王寺 (津市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%20%28%E6%B4%A5%E5%B8%82%29&oldid=87072043

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