いせのくに してんのうじ|曹洞宗|塔世山
伊勢の国 四天王寺
公式三重県 津駅
参拝可能時間:午前7時~午後5時(通年)
対応できる時間:午前9時~午後4時
御朱印受付時間:午前9時~午後4時
いせのくに してんのうじ|曹洞宗|塔世山
公式三重県 津駅
参拝可能時間:午前7時~午後5時(通年)
対応できる時間:午前9時~午後4時
御朱印受付時間:午前9時~午後4時
杏の花、沈丁花など春の花が咲き始めました。
鳥たちも嬉しそうに境内を飛び回っております。
良い季節にご参拝ください。
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3月限定「宝石と観音さま」
限定御朱印の紹介は、
こちらをご覧ください。郵送対応あり📮
<https://features.hotokami.jp/mie_shitennoji/>
【寄進者限定】特別御朱印
令和の大観音建立~あなたの名前と願いを1000年先の未来へ
<https://features.hotokami.jp/shitennoji_daikannon>
【お参りした方の特典】
ホトカミへの投稿を納経所で見せると、聖徳太子の入浴剤をプレゼント🎁
観音さま、三面大黒天、聖徳太子像などの撮影OKです📷
ホトカミへの投稿、お待ちしてます。
3月限定「宝石と観音さま」
2023年04月03日(月) 09時00分〜
織田信長公の母・土田御前のお墓がある四天王寺では、
信長公も祈願したと伝わる三面大黒天を本堂でおまつりしています。
3つのお顔を持つ三面大黒天さまにちなんで、
毎月3日は「三面大黒天の日」。
聖徳太子の入浴剤「和み湯(青)」※非売品 もプレゼントいたします🎁
※郵送での対応はできかねます。ご了承ください。
三面大黒天は豊臣秀吉公の守り本尊としても知られ、天下人に信仰されたことから開運出世にご利益があるといわれる神様です。
さらに4月3日は子供たちの健康を願って住職による、
【三面大黒天の特別法要・織田信長母のお墓参り】も執り行います。
倉島住職による15分程度の法要の後、三面大黒天の紹介、そして、境内の織田信長公の母・土田御前のお墓参りを実施しします。
■三面大黒天の特別法要・織田信長母のお墓参り
住職による15分程度の法要の後、三面大黒天の紹介、
そして、境内の織田信長公の母・土田御前のお墓参りを実施しします。
日時:4月3日(月)12時〜12時半
参加:無料
服装:自由
事前申し込みは不要です。
11時55分頃に本堂内にお集まりください。
どなたでもお気軽にご参加ください。
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【お参りした方の特典】
ホトカミへの投稿を納経所で見せると、聖徳太子の入浴剤をプレゼント🎁
観音さま、三面大黒天、聖徳太子像などの撮影OKです📷
ホトカミへの投稿、お待ちしてます。
三面大黒天
法要の様子
聖徳太子「和み湯」入浴剤
四天王寺は、三重県津市にある曹洞宗の寺院。山号は塔世山。
本堂にある木造薬師如来像、絹本著色聖徳太子像、絹本著色藤堂高虎像・同夫人像(掛け軸)は国指定の重要文化財。
寺伝によると、推古天皇の勅願により聖徳太子が建立。聖徳太子が守屋大連軍に3度敗れ、4度目の戦陣中で四天王像を刻み勝利を祈願。結果勝利し、請願どおり4つの四天王寺を建立したうちの一つであるとのこと。
その後、奈良・平安時代には繁栄するも、つづく兵乱や戦火で焼失と復興を繰り返した。
江戸時代には、津藩主となった藤堂高虎が本堂を改築し、2代藩主・藤堂高次が寺領を寄進して寺勢を取り戻した。ただ、1945年の米軍による津大空襲で伽藍を焼失、戦後、托鉢行で再興した。
当寺は、JR紀勢本線・津駅、近鉄名古屋線・津駅の南方700mに位置していて、公共交通機関だと国道23号線上にある塔世橋バス停から徒歩すぐ。津市街地を流れる安濃川の北岸にあって、南北に長い境内は300mほどに及ぶ。幹線道路の国道23号線から1本入ったところの住宅街の中にあるので街中でも静かな環境。歩いて回った範囲は境内と墓地が半々の印象。墓地には織田信長・信包兄弟生母の墓や、藤堂高虎正室の墓などがある。
事前調査で津市内の人気寺院ということで参拝することに。参拝時は平日の午後、土砂降りの雨の中だったが、参拝の常連のご老人衆が5名ほど来ていた。御朱印を依頼したところ、本堂で仏像の説明を受けるとともに、お茶と受け菓子を出してもらい、丁寧な対応をいただいた。さらに国指定の重要文化財となっている掛け軸も拝見し感激した。
※旅行サイト<じゃらん>において、津市で2番目に人気がある(口コミ数が多い)寺社仏閣。
寺院入口の<総門>。戦争時の米軍空襲を逃れた数少ない建物の一つ。江戸時代前期の1641年建立、後期の1788年改修。
総門には<塔世山>の扁額。参道の先には歴史を感じさせてくれる古い門があり、参道両側には綺麗に掃き清められた庭園がのぞく。
総門をくぐって、参道を進むと<中雀門>。こちらも空襲を逃れた建物。江戸時代の建立。
総門をくぐってすぐ右手にある<稲荷神社>。
中雀門の右手にある<鐘楼>。こちらも空襲を逃れた江戸時代の建物。
中雀門の左手にあった案内板。美術展の紹介のようにセンスが良い。(あまりにセンスが良いので、最初はお寺の紹介だとは思わず、お寺が協賛するイベントのコマーシャルと勘違いした。)
中雀門をくぐって、本堂を望む。本堂は現代的な建物。写真右手の巨大な蘇鉄とマッチしている。
本堂全景。非常に間口が大きい。
本堂正面。常連と思しきご老人衆が集まっていた。
見た目も美しい本堂内。(撮影OKと書いてあったので、思わずパチリ。)
中央には本尊の<阿弥陀如来像>(と説明されたような記憶)、右側には国指定の重要文化財の<薬師如来像>、左側には織田信長が祈願したという<三面大黒像>を祀る。
ここから本堂に向かって左側に進む。こちらは、不動明王を祀る<不動堂>。
さらに進むと<目洗い地蔵>。眼病の治癒に御利益があった言い伝えがある。
ここから本堂を望む。木々の新緑が目に優しい。庭がかなり綺麗にしてある。
本堂向かって右手にある<寺務所>。御朱印はこちら。
御朱印をお願いすると、本堂に上がって参拝することを勧められる。
本堂右側にあるのは、国指定の重要文化財である<木造薬師如来像>。ガラス越しに見える形で安置されている。戦前は貴重な仏像を多数有していたが、米軍空襲でほとんどを焼失し、この薬師如来は奇跡的に難を逃れたとのこと。
お茶と茶菓子を頂戴し、まず感激。
この後、本堂の右隣の和室に通され、国指定の重要文化財である①絹本著色聖徳太子像、②絹本著色藤堂高虎像・③同夫人像の3本の掛け軸を拝見した。これでさらに感激。
境内の外の道沿いにある<芭蕉翁文塚>。江戸中期1737年に津の俳人・二日坊が建立。
ご遙拝させて頂きました。
うーん、た・ぶ・ん「ホトカミ」さんの、「大スポンサーさま」ですよねぇ。
今回、これに乗っかってみることにしました。
これら「二躰」の「拝受時期」は前後していましたが、一度に投稿させて頂くことにしました。
まぁ、どちらも、「ごく一般的」な「見開き御印」ですね。
「聖徳太子1400年限定 御印」はまだしも、「雪と三面大黒天」の「冥加料」は、一躰1,500円も!
果たして、ただの「見開き御印」で、それだけの価値があるかどうか、ワタシには理解が・・・。
最初に到着した「聖徳太子御印」には、「和」の「一文字写経」のハガキが添付されていましたが、「三面大黒天御印」には付いていません。
「写経」で「ハガキに「和」とだけ書いて」送付するなど、しょせん「素人さま」のする事。
ワタシは封筒で、「一文字写経ハガキ」と、このお寺は「曹洞宗」と見ましたので、「舎利礼文」を入れて送りました。
これごときならば、追加で「般若心経」まで「お納め」する必要もないでしょう。
塔世山四天王寺さまにおかれましては、せっかく「ご遙拝」をさせていただくならば、です。
「一項もの」の、「ご本尊さま・御印」や「三面大黒天さま御印」も、お頒け頂きたいものですね。
世の中には、少しばかりきれいな「見開き御印」ばかり「ごく簡単に拝受」して、喜ぶ人ばかりではないと思いますがねぇ・・・。
いくら「ご遙拝」でも、「御印」を拝受したら、作法どおり「その寺院の宗派」に合わせた、「写経」を「納経」している者もいるのですがね。
まぁ、「厳しい禅宗」の「曹洞宗」にしては、「フレンドリー」なのでしょうけれど。
月命日金文字「もみじと観音さま」聖徳太子1400年限定 御印
冬限定「雪と三面大黒天」 御印
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