にそんいん|天台宗|小倉山
二尊院公式京都府 トロッコ嵐山駅
9:00-16:30
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楽しみ方二尊院では、4種類の御朱印をいただけます。
そのなかからホトカミに投稿された2種類を紹介します。
また、季節に合わせたカラフルな御朱印が頒布されています。
千二百年の時を超えて、美しい景観に包まれた天台宗寺院。百人一首にも詠われた小倉山の麓に広がるこの寺は、紅葉の名所として名高く、四季それぞれの情景は絶景。 本尊 釈迦如来・阿弥陀如来の二如来を祀ることから「二尊院」と称されます。二躯の本尊はまるで双子のような顔・姿で、左右の手が対称的に上下されておられます。人生を全うしたとき、極楽浄土へと導いてくださいます。
静寂の中、心静かなひとときをお過ごしください。

二尊院は京都市右京区にあるお寺です。
嵯峨野は小倉百人一首が編纂された地で有名ですが 二尊院の裏山に 藤原定家が小倉百人一首を作成した場所とされている時雨亭の跡があります。
立派な山門をくぐると 100m以上参道が真っすぐ続きます。
両サイドにはもみじが植わっていて 紅葉の季節はすごいことになりそうです。
土塀に突き当り 左手に進むと 黒門と勅使門があります。
勅使門から入りましょう。
立派な造りで 勅額(扁額)の字は後柏原天皇の字だそうです。
本堂はとても大きいです。
反屋根がさらに大きく見せます。
中に入ることはできませんが ご本尊を拝顔することはできます。
二尊院にはご本尊が2体いらっしゃいます。
二尊院の名は本尊の二如来像に由来するそうです。
右が釈迦如来で 左が阿弥陀如来です。
釈迦如来は 人が誕生し 人生の旅路に出発する時送り出してくれる「発遣の釈迦」といい 阿弥陀如来は その人が寿命をまっとうした時 極楽浄土よりお迎えくださる「来迎の弥陀」というそうです。
鎌倉時代の春日仏師の作だそうです。
ありがたく拝顔させていただき合掌しました。
本堂裏手には六地蔵の庭があります。
天道・人道・畜生道・修羅道・飢餓道・地獄道の六道に苦しむすべての衆生を救済する6体のお地蔵様です。
どちらもかわいらしいお顔でした。
本堂で御朱印をいただき 九頭竜辨財天を見に行きました。
実物も見られたのですが小さくてはっきりしません。
ありがたいことに拡大された写真が置いてありました。
こっわい顔してますね。
和泉明神社・八社ノ宮でもお詣りしました。
境内には 小倉餡発祥の地の石碑がありました。
鐘楼は撞いても良いそうなので撞いてみました。
カーンとかコーンという軽い音は好きではないのですが こちらの鐘楼は良い音でした。
ここから石段を上がります。
上がり切った所に 法然上人廟がありました。
こちらでも合掌。
さらに山道を奥に進みますと 小倉百人一首を選定した藤原定家の小倉山荘「時雨亭」の跡があります。
基礎石しかないですが 目の前は開けていて 京都市街が一望できるロケーションです。
すごい場所に山荘を建てたんだなぁと感じる場所です。
百人一首がお好きな方は 近江神宮だけでなくこちら二尊院にも参拝されることをおススメします。
ネット情報です。
山号は小倉山
院号は二尊教院
宗旨は天台宗
ご本尊は釈迦如来・阿弥陀如来(双方とも重要文化財)
創建年は承和年間(834年 - 847年)
開山は円仁
開基は嵯峨天皇(勅願)
正式名は小倉山二尊教院華台寺
別称は二尊院
札所は法然上人二十五霊場第17番
当院は 平安時代初期の承和年間(834年 - 847年)に嵯峨天皇の勅願により円仁(慈覚大師)によって創建されたと伝わる。
以後荒廃するが 法然が当院に住し法を説いている。
その後 鎌倉時代初期に法然の高弟だった第3世湛空らにより再興され 天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場となった。
その中でも浄土宗の勢力は強く 嵯峨門徒の拠点とされた。
また 湛空は土御門天皇と後嵯峨天皇の戒師を務めている。
嘉禄3年(1227年)に起こった嘉禄の法難の際には 法然の遺骸を天台宗の僧兵から守るために法然廟所から当院まで六波羅探題の武士団らが護衛して移送している。
その後 法然の遺骸は西山の念仏三昧院に運ばれて荼毘に付された。
第4世叡空は後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇・伏見天皇の四帝の戒師を務めている。
南北朝時代から御黒戸四箇院(廬山寺・二尊院・般舟三昧院・遣迎院)の一つとして 御所内の仏事を明治維新まで司っている。
そのため 鷹司家・二条家・三条家・四条家・三条西家・嵯峨家などの公家の墓が数多くある。
室町時代になると応仁の乱による延焼で堂塔伽藍が全焼するが 本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に 後奈良天皇の戒師を務めた第16世恵教上人の代に三条西実隆が寄付金を集めて本堂と唐門を再建している。
江戸時代後期より天台宗に属するようになり 「嵯峨三名跡」の1か寺に数えられる。


圓光大師二十五霊場でのお詣り。いつ来ても圧巻の青紅葉🤗勅使門までしっかり青もみじを堪能し本堂へ。蹲の音がとても心地よい響きでした。本堂お詣りしてふと撮影禁止の札がないことに気付き、お伺いしてみると写真撮っていいとのこと😍ありがたく撮らせていただきました🤗お参り後御朱印がめっちゃ増えてる😅百人一首の和歌御朱印が10種類ぐらいあり、有名どころの和歌が並んでいたので今回は紫式部をいただいてきました🤗
時間があったので境内散策。小倉餡発祥の地石碑の横にお社が出来てました😲和泉明神社とあり御祭神は弘法大師と和泉和三郎命。弘法大師が唐から持ち帰った小豆の種子を和泉和三郎が栽培し、御所より下賜された砂糖を加え、煮詰め餡を作ったことから菓祖神と祀られています。近くの落柿舎の前の畑に「小倉餡発祥の由来」と題する立札があり、かつてこの小倉里に、和泉明神という社が祀られていたのことで再興されたのでしょう🤗せっかくなので四条流庖丁塚にお参りしたらその先にドーム状のちょっと変わったお墓をお見掛け。四条家墓所とのことで庖丁塚との間には包丁流祖の藤原山蔭卿の墓😲二尊院には何度か来てますが今まで気づかなんだ・・・😅神楽岡の吉田神社や茨木の総持寺創建のお方です。そのお隣には四條隆資卿・・・😲これまたこんなところになぜという感じです。建武の忠臣ですね。阿部野神社の北畠親房・顕家公といい最近縁があるのかなぁ😊その後湛空上人廟をお詣りして證安院へ戻りました🤗
平安時代初期の承和年間(834–847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝わる。以後荒廃するが、鎌倉時代初期に法然の高弟だった湛空らにより再興される。
嘉禄3年(1227年)に起こった嘉禄の法難の際には、法然上人の遺骸を天台宗の僧兵から守るために法然廟所から二尊院まで六波羅探題の武士団らに守られながら遺骸が移送された。
室町時代になると応仁の乱による延焼で堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建されている。
境内には本堂の他、九頭竜弁天堂、法然上人廟、鐘楼などがある。
| 住所 | 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27 |
|---|---|
| 行き方 | 京都駅では市バスD3のりばへ
|
| 名称 | 二尊院 |
|---|---|
| 読み方 | にそんいん |
| 通称 | にそんいん |
| 参拝時間 | 9:00-16:30 |
| 参拝にかかる時間 | 約20分 |
| 参拝料 | 500円 |
| トイレ | 参道石段上って右手側 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 電話番号 | 075-861-0687 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| メールアドレス | info@nisonin.jp |
| ホームページ | http://nisonin.jp/ |
| SNS |
| ご本尊 | 重要文化財 鎌倉時代中頃
釈迦如来、阿弥陀如来 遣迎二尊像 |
|---|---|
| 山号 | 小倉山 |
| 院号 | 二尊教院 |
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 承和年間(八三四〜八四八) |
| 開山・開基 | 嵯峨天皇/円仁 |
| 本堂 | 宸殿造り |
| 文化財 | 木造釈迦如来立像 / 阿弥陀如来像 / 絹本著色浄土五祖像 / 絹本著色釈迦三尊像 三幅 / 絹本著色十王像 十幅
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| ご由緒 | 平安時代初期の承和年間(834–847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝わる。以後荒廃するが、鎌倉時代初期に法然の高弟だった湛空らにより再興される。
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| ご利益 | |
| 体験 |
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