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天誅組の黒幕とされ、金剛山で挙兵し平野区にある満願寺で幕府の捕り方に追われ自害した藤原道春こと中山忠伊。昨年満願寺を訪ねた際は説明の石碑と、位牌が存在することしかわからなかったが、桑津天…続きを読む
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齢延寺へ久しぶりに向かう。堺事件で切腹をまぬがれた9人の土佐藩士のうちの1人・田丸勇六郎の墓を見学。彼の子はのちに本家の鍋井家を継ぐ。大阪信濃橋で洋画研究所を開く洋画家鍋井克之その人である…続きを読む
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織田信長の尾張時代からの古参家臣で、一時は羽柴秀吉や明智光秀などそうそうたる面々をおさえ、織田家中で最大規模の勢力を誇った佐久間信盛。しかし、10年続いた石山本願寺との戦いにおいて何ら調…続きを読む
両替商「天五平五」の一方の雄「平野屋五兵衛」の墓へ来ました。平野屋五兵衛は本名を高木道頓。通称が五兵衛で、現在の茨木市の生まれです。1715年に亡くなっています。大阪の両替商十人組の中でも…続きを読む
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禁門の変で、久坂玄瑞と共に鷹司邸で散った松下村塾四天王のひとり入江九一。『花燃ゆ』では要潤が演じていた。鞍馬口の、六地蔵巡りで知られるこの上善寺には、彼のほか7人の首を埋めた首塚がある。 …続きを読む
鳥羽伏見の戦いでの長州藩兵の菩提を弔う退耕庵。
盛光院でお茶と和菓子をいただく。こちらに来るのは一年ぶり。
天王寺の超願寺にある、竹本義太夫の墓です。ちかえもんでは北村有起哉が演じてますね。道頓堀に竹本座を建て、新派浄瑠璃人形芝居を始めた人物。そして、この竹本座に座付作者として入り、人形浄瑠璃を…続きを読む
本堂前を抜けると、珍建築マニアには有名な、窓がない緑一色の怪しい雑居ビル「バロン・ベール」裏側へ出る。本日は『曽根崎心中』のお初の墓を見に来た。彼女が登場するあの『ちかえもん』では、『マッ…続きを読む
心眼寺坂を下った先にあるのが、このどんどろ大師。かつての真田丸砦の、北側の谷があったあたりかな。伽藍の上は明星高校のグラウンドである。ここは砦消滅後に「鏡如庵大師堂」が置かれ、大坂の陣戦死…続きを読む
秀吉ゆかりの満足稲荷へ。もとは城の守り神として伏見稲荷大社の祭神を伏見城内へ勧請したことに始まります。のち、現在地に移転。朝鮮出兵時の戦勝祈願を行ったとも言われていて、その霊験に秀吉が満足…続きを読む
生駒の山麓にある法妙寺を訪ねて来た。近松門左衛門の妻の、実家が檀家だったそうで、過去帳などもこちらで保存されているという。急坂を登ると山門があって、向かって左手に石碑が並ぶ一角がある。真ん…続きを読む
日本最古橋のひとつである宇治橋をかつて管理していたことから、別名を橋寺ともいう放生院。本堂にある非公開文化財の地蔵菩薩像をいつか見てみたい。
柴田勝家と、その妻で織田信長の妹・お市の方の供養塔です。まず北ノ庄城や賤ヶ岳の戦いを連想するところですが、実は大阪にあります。摩耗していて読みにくいですが、向かって右側の石碑部分に2人が自…続きを読む
所用で平野にいる。久しぶりに市内でも古い建物が多く残る町を歩いていると、天誅組の文字を見つける。杭全神社の前にある満願寺という寺の門脇に、石碑が出ていたのだ。天誅組は京都・霊山にある隊士の…続きを読む
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泉大津にある上品寺には、日露戦争のときに捕虜となったロシア兵士の墓地がある。
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上本町四丁目にある大福寺。明治元年に浪速仮病院がここに作られる。かの大村益次郎や小松帯刀が亡くなったのも、ここらしい。
行基ゆかりの龍尾寺へ。
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王寺町内には片岡という場所がある。たしか古い城跡(片岡城)があったと聞くが詳しくは忘れてしまい見に行っていない。そこは、いわゆる聖徳太子と達磨に由来する片岡山伝説、または飢人伝説とも言われ…続きを読む
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伊丹の町全体が有岡城の城郭を成していた。この神社も当然城の一部であった。北端に位置し、惣構えの「岸の砦」が置かれていたそうだ。荒木村重によって手厚く保護されていたことは、この神社の紋章が織…続きを読む
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