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たまつくりいなりじんじゃ

玉造稲荷神社
大阪府 森ノ宮駅

御朱印について御朱印
あり
限定
あり
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あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
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その他の巡礼の情報

大坂三十三所観音霊場第10番
大坂の陣ゆかりの地朱印めぐり第2番

玉造稲荷神社について

聖徳太子が守屋との戦いで祈願した場所で、豊臣秀頼ゆかりの神社

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soo_cyan
soo_cyan
2025年05月24日(土) 09時15分21秒
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大坂の陣ゆかりの地朱印めぐりその2。大阪城から玉造へ、東側参道から参拝すると境内入ってすぐに豊臣秀頼公の立派な像。ボンボンちゃんなイメージの秀頼公ですが家康公との面会時は190㎝ぐらいの巨漢で遺風もあり、そのため家康公が討伐を決意したとも。しかしこの偉丈夫感は秀吉公とは似ても似つかず・・・やはりなのでしょうかね😅奥には秀頼公生誕時の胎盤・羊膜を埋め祀った胞衣大明神などもあり豊臣家の信仰の篤さが伺えます。南側に周って本殿へ。境内の広さの割にはコンパクトな社殿でシンプルな参道。まあそれがまた良いのですが😊社務所にて御朱印を拝受。大坂の陣御朱印は以前は専用の印があったそうですが今はなくなっており、通常の御朱印になりますけどとのこと。もちろんいただきました😊かわいい狐さんの「やぬち守」も拝受。勾玉土人形とあったので勾玉?と思ったら底面が勾玉になってました🤗

玉造稲荷神社(大阪府)

東参道より。社号標。

玉造稲荷神社(大阪府)

黒門越瓜の由緒

玉造稲荷神社(大阪府)

豊臣秀頼公ゆかりの地由緒

玉造稲荷神社(大阪府)

豊臣秀頼公像

玉造稲荷神社(大阪府)

秀頼公寄進鳥居

玉造稲荷神社(大阪府)

同由緒

玉造稲荷神社(大阪府)

千利休顕彰碑

玉造稲荷神社(大阪府)

難波・玉造資料館案内

玉造稲荷神社(大阪府)

同石標

玉造稲荷神社(大阪府)

予約制らしい・・・

玉造稲荷神社(大阪府)

資料館外観

玉造稲荷神社(大阪府)

梅薬師道祖神

玉造稲荷神社(大阪府)

コロナ終焉祈願で祭祀されたとのこと

玉造稲荷神社(大阪府)

参集殿

玉造稲荷神社(大阪府)

胞衣塚大明神

玉造稲荷神社(大阪府)

同鳥居・参道

玉造稲荷神社(大阪府)

同石碑

玉造稲荷神社(大阪府)

同扁額

玉造稲荷神社(大阪府)

同由緒。秀頼公出産の折の胎盤・羊膜を埋め祀っているそう。

玉造稲荷神社(大阪府)

社殿と秀頼公供養塚。

玉造稲荷神社(大阪府)

万慶(まんけん)稲荷と新山(しんやま)稲荷鳥居。

玉造稲荷神社(大阪府)

同扁額

玉造稲荷神社(大阪府)

狐さん

玉造稲荷神社(大阪府)
玉造稲荷神社(大阪府)

左が新山稲荷、右が万慶稲荷

玉造稲荷神社(大阪府)

石碑。神風?

玉造稲荷神社(大阪府)

厳島神社

玉造稲荷神社(大阪府)

池に白龍

玉造稲荷神社(大阪府)

社殿。左に白龍池厳嶋神社と石碑あり

玉造稲荷神社(大阪府)

厳島神社一の鳥居

玉造稲荷神社(大阪府)

小野小町和歌

玉造稲荷神社(大阪府)

伝承 聖徳太子。長楽寺観音堂跡地。

玉造稲荷神社(大阪府)
玉造稲荷神社(大阪府)

玉造稲荷由緒

玉造稲荷神社(大阪府)

玉造稲荷神社(大阪府)

玉造稲荷神社(大阪府)

拝殿

玉造稲荷神社(大阪府)

手水舎

玉造稲荷神社(大阪府)

鳥居

玉造稲荷神社(大阪府)

玉作岡由緒

玉造稲荷神社(大阪府)

大坂三十三所観音めぐり

玉造稲荷神社(大阪府)

近松門左衛門「曽根崎心中」一節

玉造稲荷神社(大阪府)

南参道と玉作岡石碑

玉造稲荷神社(大阪府)

社号標

玉造稲荷神社(大阪府)

由緒(境内のものと同じ?)

玉造稲荷神社(大阪府)

やぬち守

玉造稲荷神社(大阪府)

底が勾玉に😊

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例祭・神事

1月1日 歳旦祭
1月15日 とんど、成人祭
2月に入って最初の午の日 初午祭
2月3日 節分祭、厄除け
6月30日 大祓(夏越の祓)
7月15日 夏祭り(上方笑いの父・秋田 實奉納演芸)(玉造黒門越瓜食味祭)
10月第1日曜日 だんご茶会(豊臣家・徳川家ゆかりの茶会)
10月14・15日 秋祭り
11月15日 七五三
12月28日 初詣・伊勢迄歩講出発
12月31日 大祓(年越の祓)

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歴史

当神社は、垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋に創祀され、古代には社域が難波玉作部の居住域となった事から「玉造」地名発祥の地となった。用明天皇2年(587)に改築し、聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋と争った際、この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生ぜしめよ」と戦勝を祈願すると箸から枝葉が生じ、無事物部氏との争いも勝利した事で、太子自ら十一面観音像や多聞不動像を作り、観音堂を当地に建立した。

その後、天正4年(1576)の兵乱により本・末社、旧記等焼失したが、豊臣秀吉の大坂城築城により社域の多くが「三の丸」「城下町」として整備され、慶長8年(1603)には豊臣秀頼により社殿、高殿(舞台)が再建された。

大坂の陣で、当地は再び戦地となり被害をうけたが、元和5年(1619)に徳川幕府の大坂城代内藤紀伊守を始め、氏子・崇敬者の寄進を以って再建。別称は豊津稲荷神社とも呼ばれ豊臣・徳川時代を通じ「大坂城の鎮守神」として崇敬されたことが史料に残る。また、江戸時代に流行した伊勢参り(おかげ参り)では西日本の玄関口として多くの旅人で賑わい、出発地として道中安全の祈願を行い、旅人らを見送った。
しかし、文久3年(1863)11月の大坂大火(新町焼)を経て、明治4年(1871)氏子・崇敬者により再建。
国家管理時代の社格は府社となり、その後昭和20年(1945)6月1日の大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦禍を受けたが、戦後は新憲法のもと宗教法人(神社本庁)玉造稲荷神社となった。
社殿は昭和29年(1954)10月15日にご遷座。昭和51年(1976)5月には、皇室より三笠宮寬仁親王殿下をお迎えし、創祀二千年祭奉祝事業達成祈願祭を盛大に営み、平成元年(1989)6月創祀二千年祭を挙行し、玉造稲荷神社分社を大阪市中央区上町1丁目に分祠した。
平成27年(2015)8月20日に三韓館とゆかりある松ノ木大神、二吉大神、若松大神(大阪市中央区玉造2-19に鎮座)、平成30年(2018)9月26日に豆市大神(大阪市中央区上町C番)を合祀し、令和2年(2020)春には、コロナウイルスの終息と民の安全を願い、江戸時代からゆかりのある梅薬師・道祖神を祭祀し、現在に至る。

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玉造稲荷神社の基本情報

住所

大阪府大阪市中央区玉造2-3-8

行き方

長堀鶴見緑地線「玉造駅」下車 徒歩5分
中央線・長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」下車 徒歩6分
中央線「谷町四丁目駅」下車 徒歩14分
JR大阪環状線「森ノ宮駅」下車 徒歩8分
JR大阪環状線「玉造駅」下車 徒歩9分

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名称

玉造稲荷神社

読み方

たまつくりいなりじんじゃ

参拝時間

参拝/24時間

御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号06-6941-3821
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.inari.or.jp/
おみくじ

あり

絵馬

あり

詳細情報

ご祭神《主》宇迦之御魂大神
《配》下照姫命,稚日女命,月読命,軻遇突智命
創建時代

伝・垂仁天皇18年

創始者

垂仁天皇

ご由緒

当神社は、垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋に創祀され、古代には社域が難波玉作部の居住域となった事から「玉造」地名発祥の地となった。用明天皇2年(587)に改築し、聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋と争った際、この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生ぜしめよ」と戦勝を祈願すると箸から枝葉が生じ、無事物部氏との争いも勝利した事で、太子自ら十一面観音像や多聞不動像を作り、観音堂を当地に建立した。

その後、天正4年(1576)の兵乱により本・末社、旧記等焼失したが、豊臣秀吉の大坂城築城により社域の多くが「三の丸」「城下町」として整備され、慶長8年(1603)には豊臣秀頼により社殿、高殿(舞台)が再建された。

大坂の陣で、当地は再び戦地となり被害をうけたが、元和5年(1619)に徳川幕府の大坂城代内藤紀伊守を始め、氏子・崇敬者の寄進を以って再建。別称は豊津稲荷神社とも呼ばれ豊臣・徳川時代を通じ「大坂城の鎮守神」として崇敬されたことが史料に残る。また、江戸時代に流行した伊勢参り(おかげ参り)では西日本の玄関口として多くの旅人で賑わい、出発地として道中安全の祈願を行い、旅人らを見送った。
しかし、文久3年(1863)11月の大坂大火(新町焼)を経て、明治4年(1871)氏子・崇敬者により再建。
国家管理時代の社格は府社となり、その後昭和20年(1945)6月1日の大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦禍を受けたが、戦後は新憲法のもと宗教法人(神社本庁)玉造稲荷神社となった。
社殿は昭和29年(1954)10月15日にご遷座。昭和51年(1976)5月には、皇室より三笠宮寬仁親王殿下をお迎えし、創祀二千年祭奉祝事業達成祈願祭を盛大に営み、平成元年(1989)6月創祀二千年祭を挙行し、玉造稲荷神社分社を大阪市中央区上町1丁目に分祠した。
平成27年(2015)8月20日に三韓館とゆかりある松ノ木大神、二吉大神、若松大神(大阪市中央区玉造2-19に鎮座)、平成30年(2018)9月26日に豆市大神(大阪市中央区上町C番)を合祀し、令和2年(2020)春には、コロナウイルスの終息と民の安全を願い、江戸時代からゆかりのある梅薬師・道祖神を祭祀し、現在に至る。

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