御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
広告非表示、毎月あなたの幸せと健康をご祈願
100年後も神社お寺を残す応援しませんか?

たまつくりいなりじんじゃ

玉造稲荷神社
大阪府 森ノ宮駅

今月、23人がお参りしました

御朱印について御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

境内に若干スペースあり

その他の巡礼の情報

大坂三十三所観音霊場第10番
大坂の陣ゆかりの地朱印めぐり第2番

例祭・神事

1月1日 歳旦祭
1月15日 とんど、成人祭
2月に入って最初の午の日 初午祭
2月3日 節分祭、厄除け
6月30日 大祓(夏越の祓)
7月15日 夏祭り(上方笑いの父・秋田 實奉納演芸)(玉造黒門越瓜食味祭)
10月第1日曜日 だんご茶会(豊臣家・徳川家ゆかりの茶会)
10月14・15日 秋祭り
11月15日 七五三
12月28日 初詣・伊勢迄歩講出発
12月31日 大祓(年越の祓)

例祭・神事をもっと見る|
8

歴史

当神社は、垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋に創祀され、古代には社域が難波玉作部の居住域となった事から「玉造」地名発祥の地となった。用明天皇2年(587)に改築し、聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋と争った際、この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生ぜしめよ」と戦勝を祈願すると箸から枝葉が生じ、無事物部氏との争いも勝利した事で、太子自ら十一面観音像や多聞不動像を作り、観音堂を当地に建立した。

その後、天正4年(1576)の兵乱により本・末社、旧記等焼失したが、豊臣秀吉の大坂城築城により社域の多くが「三の丸」「城下町」として整備され、慶長8年(1603)には豊臣秀頼により社殿、高殿(舞台)が再建された。

大坂の陣で、当地は再び戦地となり被害をうけたが、元和5年(1619)に徳川幕府の大坂城代内藤紀伊守を始め、氏子・崇敬者の寄進を以って再建。別称は豊津稲荷神社とも呼ばれ豊臣・徳川時代を通じ「大坂城の鎮守神」として崇敬されたことが史料に残る。また、江戸時代に流行した伊勢参り(おかげ参り)では西日本の玄関口として多くの旅人で賑わい、出発地として道中安全の祈願を行い、旅人らを見送った。
しかし、文久3年(1863)11月の大坂大火(新町焼)を経て、明治4年(1871)氏子・崇敬者により再建。
国家管理時代の社格は府社となり、その後昭和20年(1945)6月1日の大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦禍を受けたが、戦後は新憲法のもと宗教法人(神社本庁)玉造稲荷神社となった。
社殿は昭和29年(1954)10月15日にご遷座。昭和51年(1976)5月には、皇室より三笠宮寬仁親王殿下をお迎えし、創祀二千年祭奉祝事業達成祈願祭を盛大に営み、平成元年(1989)6月創祀二千年祭を挙行し、玉造稲荷神社分社を大阪市中央区上町1丁目に分祠した。
平成27年(2015)8月20日に三韓館とゆかりある松ノ木大神、二吉大神、若松大神(大阪市中央区玉造2-19に鎮座)、平成30年(2018)9月26日に豆市大神(大阪市中央区上町C番)を合祀し、令和2年(2020)春には、コロナウイルスの終息と民の安全を願い、江戸時代からゆかりのある梅薬師・道祖神を祭祀し、現在に至る。

歴史をもっと見る|
11

玉造稲荷神社の情報

住所大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
行き方

大阪メトロ長堀鶴見緑地線「玉造駅」下車 徒歩5分
大阪メトロ中央線・長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」下車 徒歩6分
大阪メトロ中央線「谷町四丁目駅」下車 徒歩14分
JR大阪環状線「森ノ宮駅」下車 徒歩8分
JR大阪環状線「玉造駅」下車 徒歩9分

玉造稲荷神社の基本情報

名称玉造稲荷神社
読み方たまつくりいなりじんじゃ
参拝時間

参拝/24時間

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号06-6941-3821

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttps://www.inari.or.jp/
おみくじあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》宇迦之御魂大神
《配》下照姫命,稚日女命,月読命,軻遇突智命
創建時代伝・垂仁天皇18年(紀元前12年)
創始者垂仁天皇
ご由緒

当神社は、垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋に創祀され、古代には社域が難波玉作部の居住域となった事から「玉造」地名発祥の地となった。用明天皇2年(587)に改築し、聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋と争った際、この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生ぜしめよ」と戦勝を祈願すると箸から枝葉が生じ、無事物部氏との争いも勝利した事で、太子自ら十一面観音像や多聞不動像を作り、観音堂を当地に建立した。

その後、天正4年(1576)の兵乱により本・末社、旧記等焼失したが、豊臣秀吉の大坂城築城により社域の多くが「三の丸」「城下町」として整備され、慶長8年(1603)には豊臣秀頼により社殿、高殿(舞台)が再建された。

大坂の陣で、当地は再び戦地となり被害をうけたが、元和5年(1619)に徳川幕府の大坂城代内藤紀伊守を始め、氏子・崇敬者の寄進を以って再建。別称は豊津稲荷神社とも呼ばれ豊臣・徳川時代を通じ「大坂城の鎮守神」として崇敬されたことが史料に残る。また、江戸時代に流行した伊勢参り(おかげ参り)では西日本の玄関口として多くの旅人で賑わい、出発地として道中安全の祈願を行い、旅人らを見送った。
しかし、文久3年(1863)11月の大坂大火(新町焼)を経て、明治4年(1871)氏子・崇敬者により再建。
国家管理時代の社格は府社となり、その後昭和20年(1945)6月1日の大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦禍を受けたが、戦後は新憲法のもと宗教法人(神社本庁)玉造稲荷神社となった。
社殿は昭和29年(1954)10月15日にご遷座。昭和51年(1976)5月には、皇室より三笠宮寬仁親王殿下をお迎えし、創祀二千年祭奉祝事業達成祈願祭を盛大に営み、平成元年(1989)6月創祀二千年祭を挙行し、玉造稲荷神社分社を大阪市中央区上町1丁目に分祠した。
平成27年(2015)8月20日に三韓館とゆかりある松ノ木大神、二吉大神、若松大神(大阪市中央区玉造2-19に鎮座)、平成30年(2018)9月26日に豆市大神(大阪市中央区上町C番)を合祀し、令和2年(2020)春には、コロナウイルスの終息と民の安全を願い、江戸時代からゆかりのある梅薬師・道祖神を祭祀し、現在に至る。

ご利益
体験
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

御朱印背景
NEWSLETTER

最新の限定御朱印情報が届く!

御朱印メルマガを受け取ろう

※購読はいつでも解除できます。利用開始をもって利用規約プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
This site is protected by reCAPTCHA and the GooglePrivacy Policy andTerms of Service apply.
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ