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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※鵲森宮ではいただけません

かささぎのもりのみや

鵲森宮

大阪府 森ノ宮駅

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06-6941-9294

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
なし

なし

おすすめの投稿

garu
2017年10月05日(木)
614投稿

JR環状線、森ノ宮駅の名前はこの神社から来ています。
見落としそうな小さな神社ですが、私が立ち寄った時もお参りに来られる方が何人かいらっしゃいました。
御朱印が頂けるか否かを伺おうとしたのですが、残念ながら社務所が空でどなたもいらっしゃらないので不明でした。
再度チャレンジしたいと思います。

ここは聖徳太子のご両親、用明天皇と穴穂部間人皇后がお祀りされてある唯一の神社で聖徳太子が建立した神社です。
かつては広い土地があったとされ、「創建当時、「方八町にして神領神田広大」といわれるほどの社領があった。現在の城東区天王田(てんのうでん)や大東市御供田(ごくでん)はその名残だ。しかし、織田信長(おだのぶなが)の石山合戦の際、土地を略奪され、社殿も焼失した。幸い、御霊体は別所に奉安することを得たと伝えられている。現在の社殿は昭和初期に建設された。戦争当時、激しい空襲下にあったが、社殿は被害を受けず、今もその姿を残している」とありました。

信長さん、こんなところにも・・・。

元四天王寺とも言われているのは、四天王寺が現在の場所に最初からあったのではなく、この森の中に建てられたのが最初だと言われています。

日本書紀によると、鵲(かささぎ)と言う鳥は鉄鋼業の祖といわれている難波の吉士磐金(きしのいわかね)が、新羅国より帰国し、鵲(俗に朝鮮烏)2羽を献上。その鵲をこの森で飼わせたことから「鵲の森」と呼ばれ、やがて「鵲森宮」という宮の名となり、略して「森之宮」というようになったとの事。

昔は上町台地が突出し、そのほかは湾だったんですね。ですので太子はここに港を置いて海外からの物資や使者を受け入れていたのだそうです。
今では無くなってしまった名前ですが、玉造商店街あたりは「唐居町」と呼ばれ、外国からの使者を住まわせていた場所だったそうです。

小社ですが古地図にも必ず出てくる古い神社さんです。
創建:崇峻天皇二年(589年)

鵲森宮の鳥居鵲森宮の建物その他

本殿

鵲森宮の建物その他

五幸稲荷 火難・
 水難・盗難飢餓・産難を
 除く、宇賀御魂命を祀る
 日本唯一の稲荷社。平成に遷座されたお稲荷さんだそうです。

鵲森宮の建物その他

手水鉢

鵲森宮の建物その他

亀井水 昔は温泉が湧いていたそうで、湯治に使われていたそうです。現在もこの辺りからぬるいながらも温泉は出るそうです。

鵲森宮の歴史

古写真

鵲森宮の鳥居鵲森宮の建物その他

大友家持の歌碑

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歴史

大阪が「押照や難波」と詠まれた今から千四百数年前、崇峻天皇二年(589年)七月、聖徳太子は物部守屋との戦いに必勝を祈願され、勝った暁には四天王像を造ることを誓われました。その戦いに勝利されて、先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神としてお祀りなさいました。
その後、太子は四天王像を造り、この森に元四天王寺を創建なされたのです。御父用明天皇崩御の後追慕の御孝心が深かったので、太子は自ら尊像を彫刻なさって、かつ宮殿を造営なさり、そこは四方の崇敬いよいよ篤い神廟となりました。

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鵲森宮の基本情報

住所大阪府大阪市中央区森之宮中央1-14-4
行き方

JR大阪環状線「森ノ宮駅」より西側
Osaka Metro長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」より7A出口南

アクセスを詳しく見る
名称鵲森宮
読み方かささぎのもりのみや
通称森之宮神社
参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号06-6941-9294
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.morinomiya.net/

詳細情報

ご祭神《主》用明天皇,穴穂部間人皇后,聖徳太子
創建時代崇峻天皇二年(589年)
創始者聖徳太子
ご由緒

大阪が「押照や難波」と詠まれた今から千四百数年前、崇峻天皇二年(589年)七月、聖徳太子は物部守屋との戦いに必勝を祈願され、勝った暁には四天王像を造ることを誓われました。その戦いに勝利されて、先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神としてお祀りなさいました。
その後、太子は四天王像を造り、この森に元四天王寺を創建なされたのです。御父用明天皇崩御の後追慕の御孝心が深かったので、太子は自ら尊像を彫刻なさって、かつ宮殿を造営なさり、そこは四方の崇敬いよいよ篤い神廟となりました。

Wikipediaからの引用

概要
鵲森宮(かささぎもりのみや)は、大阪府大阪市中央区にある神社。式内社で、旧社格は府社。通称を森之宮神社(もりのみやじんじゃ)といい、周辺の地名である森之宮の由来となっている。
歴史
歴史[編集] 聖徳太子は物部守屋との戦いの戦勝を祈願し、勝った暁には四天王を祀ることを誓った。戦勝後の崇峻天皇2年(589年)7月、まず両親を現在地に祀って寺の鎮守とし、その森に四天王を祀る寺(元四天王寺)を創建した。1098年の難波古地図に天王寺跡や鵲森宮など記載されており四天王寺はその25年後に現在の荒陵山に移転したが、当社はそのままとされた。 『日本書紀』の推古天皇6年夏4月に、聖徳太子の命により新羅へ渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の鵲を持ち帰り、難波の杜で飼ったという記述がある。その「難波の杜」は当社の森であるとされることから「鵲の森」と呼ばれるようになり、ついには当社の...Wikipediaで続きを読む
引用元情報鵲森宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%B5%B2%E6%A3%AE%E5%AE%AE&oldid=90090791

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