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齢延寺ではいただけません
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れいえんじ

齢延寺のお参りの記録(1回目)
大阪府谷町九丁目駅

投稿日:2017年09月03日(日)
参拝:2015年8月吉日
齢延寺へ久しぶりに向かう。堺事件で切腹をまぬがれた9人の土佐藩士のうちの1人・田丸勇六郎の墓を見学。彼の子はのちに本家の鍋井家を継ぐ。大阪信濃橋で洋画研究所を開く洋画家鍋井克之その人である。
 
 山門脇にも石碑が出ている、大阪の学問所「泊園書院」を創立した藤沢東咳。当時大阪でもっとも栄えた塾で、あの陸奥宗光も学んでいたりする。そして東咳の子で、通天閣の命名者として知られる藤沢南岳など藤澤一族の墓が並ぶ一角。それから土佐勤王党員だった安岡覚馬の兄・安岡恒之進らの眠る墓も再訪。ちなみに彼らの父である安岡源右衛門の弟・安岡文助の次男が、あの吉田東洋暗殺の実行犯の一人であった安岡嘉助だそうである。
 藤澤一族の近くに、偶然「油屋太右衛門」と刻まれた墓があった。思い出したのは、尼崎の大物にあった「山本文之助鑑光之墓 残念さん」。あそこの墓石には、長州藩と取引のあった大阪の油屋喜平のものである「油」のマークが刻まれていたが、これも同じものではないかと思われる。
齢延寺の建物その他
齢延寺の建物その他
齢延寺のお墓
齢延寺のお墓
齢延寺の建物その他
齢延寺のお墓
齢延寺の建物その他
齢延寺の本殿
齢延寺の自然
齢延寺の建物その他
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齢延寺のお墓
齢延寺の建物その他

すてき

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