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にゃくいちじんじゃ

若一神社
京都府 西大路駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
なし

なし

その他の巡礼の情報

西大路七福社ご利益めぐり

若一神社について

平清盛ゆかりの神社


平安末期、平清盛がこの地に別邸を建て「西八条殿」とし紀州熊野の若一王子を祀ったのが始まり。境内に西八条殿跡の石標や清盛手植えの楠が残る。
ご朱印帳はありますが汎用帳です

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年11月07日(金)3487投稿

京都市下京区にある神社です。
下京区をうろうろ歩いていると どうしてもこちらにお詣りしたくなります。
もう何回目かな?投稿は3回目だと思うのですが。
平清盛公ゆかりの神社です。
境内には境内社が複数あり やや詰め込み過ぎ感があります。
社務所で御朱印をいただくとき 座敷童と境内社についてもお話してくださいました。
なんでも 清盛公御手植えの楠の木にはたくさんの座敷わらしさんが宿っていて 気に入った人と一緒にその人の家までついてくる とか。

前回も載せたと思いますがネット情報です。
光仁天皇の時代に唐から来た威光上人が摂津国天王寺に住していた。
威光は紀伊国の熊野に詣でて人々を救おうとし 熊野十二所権現の一つである若一王子の御分霊である御神体を笈に背負って旅立つと やがて当地に到来した。
宝亀3年(772年)のことであった。
威光は当地の森にあった古堂に 神意に従って御神体を安置した。
これがそもそもの当社の始まりであるという。
しかし その後異変により 御神体は土の中に入ったという。
平安時代末期 平清盛が六波羅邸に在住していた頃に 清盛は風光明媚な当地に別邸・西八条殿を造営した。
そして 仁安元年(1166年)8月に清盛が熊野に詣でた際に熊野権現から「土中に隠れたる御神体 世に出し奉斎せよ」とのお告げがあった。
清盛は帰京すると西八条殿の邸内を探索し 東方の築山より光が放たれているのを見つけた。
清盛は歓喜して自ら三尺ほど土を掘ってみると 土中より若一王子の御神体が現われたので同年11月10日に社を建立して鎮守社として祀った。
すると 翌仁安2年(1167年)2月10日に太政大臣に任ぜられた。
これにより 当社は開運出世の神様と尊崇されるようになったという。
境内には平清盛御手植の楠があるが 1939年(昭和14年)に京都市が京都市電を延伸させて当社の境内の西に通そうとした際 この楠を切れば清盛の祟りがあるとされたため 楠と当社を避けるようにして市電が通された。
市電が廃止された現在でも西大路通はそこの部分だけ蛇行している。

若一神社(京都府)

歩いていると 歩道の大部分を占める

若一神社(京都府)

平清盛公手植えの楠

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歴史

光仁天皇の御代、唐より威光上人来り、天王寺に住し、紀州熊野に詣でし折り、 迷い苦しむ人々を救わんと、御分霊若一王子の御神体を笈に負い旅立ち当地に来り、 森の中の古堂に一夜を明かし御神意に従い堂中に安置し奉斎鎮座し給う。
宝亀3年(772年)なり。
其の後、異変により、土中に入り給う。
平清盛公、六波羅在住の頃、此の地は浅水の森と称し風光明媚なる処、 承安年中此の地に別邸造営在住す。西八条御所と唱り。
仁安元年(1166年)8月、熊野詣で給う時、御告げあり、土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ。
平清盛公、帰京の後、公が邸内探したる所、東方築山より夜光を放つ。 清盛公歓喜して自ら三尺穿ち給へば土中より若一王子の御神体現わる。
社を造り鎮守し開運出世を祈り給へば、翌年仁安2年(1167年)2月10日太政大臣に任ぜられる。
故に、開運出世の神様と尊崇される所以也。
社前の楠の大樹は清盛公御手植と伝へられる御神木也。
当時、西八条殿は50余の邸があったと伝へられる。

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若一神社の情報

住所京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
行き方

JR西大路駅より徒歩7分

若一神社の基本情報

名称若一神社
読み方にゃくいちじんじゃ
参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号075-313-8928

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

おみくじあり
お守りあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》若一王子
創建時代宝亀三年(772) 再建:仁安元年(1166年)
創始者創建:威光上人 再建:平清盛公
ご由緒

光仁天皇の御代、唐より威光上人来り、天王寺に住し、紀州熊野に詣でし折り、 迷い苦しむ人々を救わんと、御分霊若一王子の御神体を笈に負い旅立ち当地に来り、 森の中の古堂に一夜を明かし御神意に従い堂中に安置し奉斎鎮座し給う。
宝亀3年(772年)なり。
其の後、異変により、土中に入り給う。
平清盛公、六波羅在住の頃、此の地は浅水の森と称し風光明媚なる処、 承安年中此の地に別邸造営在住す。西八条御所と唱り。
仁安元年(1166年)8月、熊野詣で給う時、御告げあり、土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ。
平清盛公、帰京の後、公が邸内探したる所、東方築山より夜光を放つ。 清盛公歓喜して自ら三尺穿ち給へば土中より若一王子の御神体現わる。
社を造り鎮守し開運出世を祈り給へば、翌年仁安2年(1167年)2月10日太政大臣に任ぜられる。
故に、開運出世の神様と尊崇される所以也。
社前の楠の大樹は清盛公御手植と伝へられる御神木也。
当時、西八条殿は50余の邸があったと伝へられる。

ご利益
体験
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