御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
新 ホトカミサポーター制度開始(特典あり)
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2023年12月
若一神社ではいただけません
広告

にゃくいちじんじゃ

若一神社

京都府 西大路駅

投稿する
075-313-8928

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
なし

なし

巡礼

西大路七福社ご利益めぐり

ご利益

若一神社について

平清盛ゆかりの神社


平安末期、平清盛がこの地に別邸を建て「西八条殿」とし紀州熊野の若一王子を祀ったのが始まり。境内に西八条殿跡の石標や清盛手植えの楠が残る。
ご朱印帳はありますが汎用帳です

おすすめの投稿

ana11692
2023年05月07日(日)
216投稿

京都市下京区にご鎮座されます若一神社に 子供にいただきました開運のお礼に ご参拝させていただきました🥹🙏🌿ありがたいことです🥹🙏👏🌿🥹
ご祭神
若一王子さま
(平清盛公ゆかりの開運出世の神さま)
ご本殿に向かい身滌大祓みそぎのおおはらいを畏かしこみ畏かしこみ感謝の気持ちを込めてご奏上させていただきました☺️🙏👏🌿
また 西大路通り沿いにある若一神社の御神木の楠木の座敷わらしさまに届けと 畏かしこみ畏かしこみ身滌大祓みそぎのおおはらいを楠木を見上げながら ご奏上させていただきました🥹🙏👏🌿神さまに届きましたでしょうか🥹🙏👏🌿
きっと また ご参拝させていただけますように
これからも 精進させていただきます🥹🙇🏻‍♂️🙏👏🌿
ありがとうございます🥹🙇🏻‍♂️🙏👏🌿

若一神社の御朱印

(これも思い出のひとつですw)

若一神社の御朱印若一神社(京都府)若一神社の御朱印若一神社の御朱印

扁額(へんがく)の上に八咫烏やたがらすさまが乗っておられるとのことです🧐🥹🙏🌿(識子.S)

若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印

楠社(くすのきしゃ)🥹🌿
平清盛公の手植えの楠木くすのき🧐🙏🌿

若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印若一神社の御朱印

感謝 感謝 申し上げます🥹🙇🏻‍♂️🙏👏🌿

若一神社(京都府)

いただいたパンフレット🥸🧐🌿🙏

若一神社(京都府)

ご神紋
浮線蝶(ふせんちょう)🦋

若一神社(京都府)

これからも 精進させて いただきます☺️🙏👏🌿

もっと読む
投稿をもっと見る(30件)

歴史

光仁天皇の御代、唐より威光上人来り、天王寺に住し、紀州熊野に詣でし折り、 迷い苦しむ人々を救わんと、御分霊若一王子の御神体を笈に負い旅立ち当地に来り、 森の中の古堂に一夜を明かし御神意に従い堂中に安置し奉斎鎮座し給う。
宝亀3年(772年)なり。
其の後、異変により、土中に入り給う。
平清盛公、六波羅在住の頃、此の地は浅水の森と称し風光明媚なる処、 承安年中此の地に別邸造営在住す。西八条御所と唱り。
仁安元年(1166年)8月、熊野詣で給う時、御告げあり、土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ。
平清盛公、帰京の後、公が邸内探したる所、東方築山より夜光を放つ。 清盛公歓喜して自ら三尺穿ち給へば土中より若一王子の御神体現わる。
社を造り鎮守し開運出世を祈り給へば、翌年仁安2年(1167年)2月10日太政大臣に任ぜられる。
故に、開運出世の神様と尊崇される所以也。
社前の楠の大樹は清盛公御手植と伝へられる御神木也。
当時、西八条殿は50余の邸があったと伝へられる。

歴史をもっと見る|
2

若一神社の基本情報

住所京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
行き方

JR西大路駅より徒歩7分

アクセスを詳しく見る
名称若一神社
読み方にゃくいちじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-313-8928
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》若一王子
創建時代宝亀三年(772)
札所など

西大路七福社ご利益めぐり

ご由緒

光仁天皇の御代、唐より威光上人来り、天王寺に住し、紀州熊野に詣でし折り、 迷い苦しむ人々を救わんと、御分霊若一王子の御神体を笈に負い旅立ち当地に来り、 森の中の古堂に一夜を明かし御神意に従い堂中に安置し奉斎鎮座し給う。
宝亀3年(772年)なり。
其の後、異変により、土中に入り給う。
平清盛公、六波羅在住の頃、此の地は浅水の森と称し風光明媚なる処、 承安年中此の地に別邸造営在住す。西八条御所と唱り。
仁安元年(1166年)8月、熊野詣で給う時、御告げあり、土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ。
平清盛公、帰京の後、公が邸内探したる所、東方築山より夜光を放つ。 清盛公歓喜して自ら三尺穿ち給へば土中より若一王子の御神体現わる。
社を造り鎮守し開運出世を祈り給へば、翌年仁安2年(1167年)2月10日太政大臣に任ぜられる。
故に、開運出世の神様と尊崇される所以也。
社前の楠の大樹は清盛公御手植と伝へられる御神木也。
当時、西八条殿は50余の邸があったと伝へられる。

体験祈祷おみくじお祓いお宮参り結婚式七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ札所・七福神巡り

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
サポーターページ小バナー