御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
【スペシャル御朱印検索】無料お試し有り
切り絵・一粒万倍日の御朱印や神さま・仏さま・宗派検索可能に
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2025年3月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2025年3月
新熊野神社ではいただけません
広告

いまくまのじんじゃ

新熊野神社
京都府 東福寺駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

神社南側の路地を入ると有料駐車場あり

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年12月24日(火)
2248投稿

京都市東山区にある神社です。
JR東福寺駅から143号線を進んでいくと 住宅街の中にぽつんとあります。
三十三間堂の少し南側になります。
鳥居や奥に見える社殿が立派なので 期待してのお参りになりました。
摂社も多く 楠大権現は 後白河上皇御手植えの樟で樹齢900年と推定されているそうです。
本殿の狛犬が 少し角ばっているような気がして面白かったです。
本殿の裏手には 京の熊野古道があり ぐるっと回ると
若宮社:天照大神
上之社:速玉之男大神 熊野家津御子大神
中之社:天忍穂耳命 瓊々杵尊 彦火火出見尊 鵜葺草葺不合命
下之社:稚産霊命 軻遇突智命 埴山姫命 弥都波能売命
にもお参りできます。
ネット情報です。
永暦元年(1160年) 後白河上皇の命により院の御所である法住寺殿の鎮守社として紀伊国・熊野三山の熊野権現を勧請し 熊野三山の新宮・別宮として平清盛によって創建された。
また 同年には同じく法住寺殿の鎮守社として新日吉社も建立され 長寛2年(1165年)には鎮守寺として蓮華王院(三十三間堂)も創建されている。
後白河上皇は生涯で34回も熊野三山に参詣するほど熊野権現を信仰していたが あまりにも紀伊国は遠くにあったため 頻繁に参詣することは難しかった。
そこで自らが住まう法住寺殿のすぐそばに熊野権現を勧請し 当社は建立されたのである。
以後は京の熊野信仰の中心地として大いに栄えた。
室町時代に入ると応仁の乱などの戦乱によって衰微したが 江戸時代に入ると後水尾天皇の中宮東福門院によって復興された。
寛文13年(1673年)には聖護院宮道寛法親王(後水尾上皇の皇子)によって本殿が再建されている。
永和元年(1375年)にこの地で観阿弥・世阿弥父子が室町幕府将軍足利義満の前で猿楽能(今熊野猿楽)を舞ったことから「能楽発祥の地」とされている。

新熊野神社(京都府)

正面石鳥居

新熊野神社(京都府)

由緒書

新熊野神社(京都府)

全景

新熊野神社(京都府)

楠大権現

新熊野神社(京都府)

参拝入口

新熊野神社(京都府)

巨大楠

新熊野神社(京都府)

石柱

新熊野神社(京都府)

本殿

新熊野神社(京都府)
新熊野神社(京都府)
新熊野神社(京都府)

拝所

新熊野神社(京都府)

熊野古道入口

新熊野神社(京都府)

中之社

新熊野神社(京都府)

上之社

新熊野神社(京都府)

若宮社

新熊野神社(京都府)

下之社

新熊野神社(京都府)

八咫烏

新熊野神社(京都府)

神仏習合について

もっと読む
投稿をもっと見る(56件)

歴史

熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(1160)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社に創建した。上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や杙木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
皇室の尊崇が厚く、車行きは広壮、社殿は荘厳を極めたが、応仁の乱で荒廃し、元本殿(市指定有形文化財)は寛文13年(1673)に聖護院親王により再建されたものである。
境内の樟は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。
足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。

歴史をもっと見る|
18

新熊野神社の基本情報

住所京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
行き方

「今熊野」バス停下車 徒歩3分

アクセスを詳しく見る
名称新熊野神社
読み方いまくまのじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号075-561-4892
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@imakumanojinja.or.jp
ホームページhttp://imakumanojinja.or.jp
おみくじあり
絵馬あり

巡礼の詳細情報

京都十六社

第3番

御本尊:熊野牟須美大神

詳細情報

ご祭神《主》伊邪那美命,《配》後白河上皇
創建時代永暦元年(1160)
創始者後白河上皇
本殿熊野造
文化財

【京都市指定有形文化財】本殿
【京都市指定天然記念物】影向の大樟

ご由緒

熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(1160)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社に創建した。上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や杙木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
皇室の尊崇が厚く、車行きは広壮、社殿は荘厳を極めたが、応仁の乱で荒廃し、元本殿(市指定有形文化財)は寛文13年(1673)に聖護院親王により再建されたものである。
境内の樟は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。
足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。

体験祈祷おみくじ結婚式御朱印祭り武将・サムライ
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ