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ようげんいん|浄土真宗遣迎院派|南叡山

養源院
公式京都府 七条駅

今月、15人がお参りしました

参拝時間
10時〜15時迄
駐車場
なし
御朱印について御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
郵送対応
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
なし

なし

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年09月04日(金)3977投稿

養源院は京都市東山区にあるお寺です。
三十三間堂の道を挟んでお隣 法住寺のお隣にあります。
「血天井」で有名なお寺で 私は以前に参拝したことがありますが 妻は初めてでしたので訪れました。
残念なことに山門が閉じられていました。
貼り紙があり 8月の閉門日が書かれていましたが この日は当てはまりません。
時刻も夕方にはなっておらず なぜ?でしたが仕方がありません。
山門前で合掌させていただきました。
また来ます。

ネット情報です。
山号は南叡山
宗旨は天台宗
宗派は浄土真宗遣迎院派
ご本尊は阿弥陀如来
創建年は文禄3年(1594年)
開山は成伯
開基は淀殿
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が 父・浅井長政、祖父・浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建された。
養源院とは浅井長政の院号であり 浅井氏の菩提寺である。
開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印(伝・長政弟)で 秀吉が寺領300石を寄進している。
この後 毘沙門堂の脇門跡となっている。
元和2年(1616年)5月7日 江戸幕府第2代将軍徳川秀忠正室の崇源院(江 淀殿の妹)によって 昨年の慶長20年(1615年)5月に大坂夏の陣で自害した淀殿とその子・豊臣秀頼の菩提が弔われている。
元和5年(1619年) 落雷により焼失したが 元和7年(1621年)に崇源院の願により再興された。
以後 徳川氏の菩提所ともなった。
廊下の天井は 伏見城落城の際 自刃した武将たちの血のりのしみた板を使った「血天井」として有名である。
本堂の襖12面 杉戸8面の絵(重要文化財)は俵屋宗達の作品である。
元々は天台宗であったが 第二次世界大戦後の昭和20年(1945年)に浄土真宗遣迎院派に改宗した。

本堂(重要文化財)は 元和5年(1619年)に破却された豊臣秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされる。
血天井は  関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下2,000人余りが城を死守し 最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので 武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたといわれ そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。
同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある。
鶯張廊下は 日光東照宮の眠り猫の作者で江戸時代初期の大工・彫刻師である左甚五郎が作ったものと伝わる。

養源院(京都府)

山門が閉じられていました

養源院(京都府)

閉門日の書かれた貼り紙 でも今日は書かれていません

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歴史

豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の追善供養のため、21回忌法要の時(文禄3年・1594年)に創建した寺。一度は焼失したが、淀殿の妹で、徳川秀忠の夫人であったお江(おごう・お江与《おえよ》)の方(後の崇源院)の願いにより、元和7年(1621年)に伏見城の遺構を移築して再興された。以降、徳川家の菩提所となり、2代秀忠から15代慶喜まで徳川幕府歴代将軍の位牌が祀られている。
本堂の廊下の天井は有名な「血天井」。俵屋宗達が描いた襖絵「松図」や、白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵(重要文化財)と共に、慶長5年(1600年)8月1日に伏見城で自刃した徳川家の家臣を慰めている。

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養源院の情報

住所京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
行き方

市バス「博物館三十三間堂前」「東山七条」より徒歩3分
京阪電車「七条駅」から徒歩10分

養源院の基本情報

名称養源院
読み方ようげんいん
参拝時間

10時〜15時迄

参拝にかかる時間

約30分

トイレなし
御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応あり
御朱印帳あり
電話番号075-561-3887

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

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詳細情報

山号南叡山
院号養源院
宗旨・宗派浄土真宗遣迎院派
創建時代文禄三年(1594)
開山・開基淀殿
文化財

金地着色松図、着色杉戸絵(国指定重要文化財)

ご由緒

豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の追善供養のため、21回忌法要の時(文禄3年・1594年)に創建した寺。一度は焼失したが、淀殿の妹で、徳川秀忠の夫人であったお江(おごう・お江与《おえよ》)の方(後の崇源院)の願いにより、元和7年(1621年)に伏見城の遺構を移築して再興された。以降、徳川家の菩提所となり、2代秀忠から15代慶喜まで徳川幕府歴代将軍の位牌が祀られている。
本堂の廊下の天井は有名な「血天井」。俵屋宗達が描いた襖絵「松図」や、白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵(重要文化財)と共に、慶長5年(1600年)8月1日に伏見城で自刃した徳川家の家臣を慰めている。

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