ごしらかわいんごせいせき ほうじゅうじ|天台宗
後白河院御聖蹟 法住寺京都府 七条駅
〜16:00
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楽しみ方
法住寺は京都市東山区にあるお寺です。
三十三間堂の道を挟んでお隣にあります。
三十三間堂には何度か訪れていたのですが こちらにお寺があることは気づきませんでした。
ホトカミマップのおかげです。
南大門から北に入ってすぐ右手(東)にありました。
唐門のような山門(龍宮造)から入りました。
山門はもう一つ北門があり そちらがメインの山門のようです。
境内には本堂・阿弥陀堂や庫裡の他に 鎮守社?がありました。
こちらは祭神が6柱のようで 祠は2つですが 扁額が2神併記のものが3枚ありました。
お百度石を越えて本堂に向かうと 枯山水庭園のような小さなお庭がありました。
本堂で参拝を申し込み 入らせていただきました。
写真撮影はできません。
ご本尊は身代不動明王様でした。
ご本尊前でお線香をあげて合掌できました。
本堂・観音堂と庫裡は回廊で繋がっていました。
本堂のお庭は回遊式庭園かなと思いました。
お庭の奥に白壁があり その先が後白河天皇法住寺陵です。
どうやって行くのかは不明です。
ネット情報です。
宗派は天台宗
ご本尊は不動明王
創建年は永延2年(988年)
開基は藤原為光
12世紀半ばに後白河法皇によって建立された寺院ないし宮殿の名を引き継いだ寺院である。
もとは鴨川から東山にかけての七条通り沿いに14ヘクタール以上の広大な敷地を有していた。
当地域にみられる最も古い遺構は平安時代前期のもので祭祀用埋納遺構などが検出されている。
その後 藤原為光によって法住寺が創設され その後院政期にはこの寺を中心に後白河法皇の御所「法住寺殿」がいとなまれた。
法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ 数年を経て後白河法皇も崩御すると 法住寺は後白河法皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続 明治時代に御陵と寺が分離され現在にいたる。
身代り不動明王像は 平安期の作風とされる。
この不動像は寺伝では円仁(慈覚大師)が造立したといわれ 後白河法皇の信仰も篤かった。
義仲の放火の際には法皇の身代りとなったと伝えられており 現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)が営まれる。
また 当寺は漫画『サザエさん』の作者・長谷川町子の菩提寺でもあり 法住寺正門の提灯には「サザエさん長谷川町子菩提寺」の札が掲げられている。

平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇も崩御すると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。
寺内の「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)」像は、平安期の作風とされる。この不動像は寺伝では円仁(慈覚大師)が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かった。義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)が営まれる。
また、本寺は漫画『サザエさん』の作者・長谷川町子の菩提寺でもあり、正門(法住寺門)の提灯には「サザエさん長谷川町子菩提寺」の札が掲げられている。長谷川が生前に『平家物語』ゆかりの地を探訪していた際に「静かでいいところ」として本寺の環境を気に入り、住職と親交を持ったことが縁となって没後に遺骨の一部が本寺へ分骨された。境内には長谷川直筆のサザエ・ワカメ・タラちゃんを描いた色紙が展示されている。
| 住所 | 京都府京都市東山区三十三間堂廻り町655 |
|---|---|
| 行き方 | JR京都駅より市バス100・206・208系統で10分「博物館三十三間堂前」下車すぐ
|
| 名称 | 後白河院御聖蹟 法住寺 |
|---|---|
| 読み方 | ごしらかわいんごせいせき ほうじゅうじ |
| 参拝時間 | 〜16:00 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 075-561-4137 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://hojyuji.jp/ |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| ご本尊 | 身代り不動明王 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 永祚元年(989) |
| 開山・開基 | 藤原為光 |
| ご由緒 | 平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇も崩御すると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。
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| ご利益 | |
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