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蓮華王院(三十三間堂)ではいただけません
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れんげおういん(さんじゅうさんげんどう)|天台宗

蓮華王院(三十三間堂)
京都府 七条駅

8時~17時(11月16日~3月は9時~16時)年中無休、受付終了は30分前

蓮華王院(三十三間堂)について

会いたい人の顔が1000体の観音像の中から見つかる?


本堂には国宝である風神雷神像、観音二十八部衆、そして1000体の等身大観音立像が並び圧巻。これらの観音像の制作には多くの仏師が携わったため一体一体の表情が微妙に違います。この中に自分の会いたい人に似た仏像があると言われています。ぜひ探してみては?

時代を先取り!?平安時代の「免震」建築。正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)


三十三間堂の基礎地盤には地下振動を吸収する版築、堂内の屋台骨は二十虹梁などの免震工法がとられています。平安時代からこうした災害対策が行われていたんですね。

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歴史

この地には、もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。
上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて旧暦の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)に完成したという。創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失した。文永3年(1266年)に本堂のみが再建されている。現在「三十三間堂」と称される堂がそれであり、当時は朱塗りの外装で、内装も極彩色で飾られていたという。建築様式は和様に属する。
桃山時代には、豊臣秀吉の東山大仏(方広寺)造営により、三十三間堂もその境内に含まれ、周囲の土塀や門などが整備された。
「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」に由来する。「33」は観音に縁のある数字で、『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」というのは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからである。
江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」の舞台となった。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜くのである。「通し矢」の名もこの「軒下を通す」ということからきている。強弓を強く射なければ到底軒下を射通すことができない。それゆえ弓術家の名誉となったのである。その伝統に因み、現在は「楊枝のお加持」大法要と同日(1月中旬)に、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われる。弓道をたしなむ新成人参加者が振袖袴姿で行射する場面は、しばしばニュース番組等で取り上げられる。一般的には「通し矢」と呼ばれているが、60mは弓道競技の「遠的」の射程であり、軒高による制限もないから、かつての通し矢とはまったく違うものである。

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蓮華王院(三十三間堂)の基本情報

住所京都府京都市東山区三十三間堂廻り町657
行き方

JR京都駅より、市バス100・206・208系統で10分「博物館三十三間堂前」下車すぐ
京阪七条駅より徒歩7分

アクセスを詳しく見る
名称蓮華王院(三十三間堂)
読み方れんげおういん(さんじゅうさんげんどう)
参拝時間

8時~17時(11月16日~3月は9時~16時)年中無休、受付終了は30分前

参拝にかかる時間

1時間

参拝料

一般600円、中高生400円、子供300円

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-561-0467
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.sanjusangendo.jp/
お守りあり

巡礼の詳細情報

洛陽三十三所観音霊場

詳細情報

ご本尊千手観音
宗旨・宗派天台宗
創建時代長寛二年(1165)
ご由緒

この地には、もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。
上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて旧暦の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)に完成したという。創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失した。文永3年(1266年)に本堂のみが再建されている。現在「三十三間堂」と称される堂がそれであり、当時は朱塗りの外装で、内装も極彩色で飾られていたという。建築様式は和様に属する。
桃山時代には、豊臣秀吉の東山大仏(方広寺)造営により、三十三間堂もその境内に含まれ、周囲の土塀や門などが整備された。
「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」に由来する。「33」は観音に縁のある数字で、『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」というのは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからである。
江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」の舞台となった。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜くのである。「通し矢」の名もこの「軒下を通す」ということからきている。強弓を強く射なければ到底軒下を射通すことができない。それゆえ弓術家の名誉となったのである。その伝統に因み、現在は「楊枝のお加持」大法要と同日(1月中旬)に、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われる。弓道をたしなむ新成人参加者が振袖袴姿で行射する場面は、しばしばニュース番組等で取り上げられる。一般的には「通し矢」と呼ばれているが、60mは弓道競技の「遠的」の射程であり、軒高による制限もないから、かつての通し矢とはまったく違うものである。

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