たきおじんじゃ
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東福寺駅近く(徒歩3分)。龍好きなので泉涌寺に向かう前に龍尾神社に参拝。御朱印をいただく時に見ていきますか、と言われ拝殿を拝観させていただきました。天井には全長8mのまるで空を泳いでいるように木彫りの龍が全身が彫られていて壮観でした。天井もそれほど高くないのでいいものが見れて参拝してよかったです☺️
主祭:
大国主神
弁財天
毘沙門天
社格等:村社
創建:不詳
別名:多景の社(旧称)
例祭:神幸祭(9月最終土曜日)
拝殿の天井には、江戸時代後期の彫物師である九山新太郎が製作した全長8mに及ぶ龍の木彫り像が飾られている。
彫物師の九山家は当主が代々九山新之丞を名乗り、その一派は祇園祭に登場する大船鉾の龍頭も手がけたとされており、禁門の変で焼失した大船鉾を2016年に再現した際には、現・九山新之丞が船首の龍頭のモデルとして瀧尾神社の龍を参考に用いた。
拝殿天井
拝殿
檜皮葺(ひわだぶき)の本殿
手水舎

京都市東山区にある神社です。
JR東福寺駅から徒歩5分ほどの場所にあります。
秋祭りで泉涌寺のそばで瀧尾神社の法被を着た方を見たことがあり どこにあるのかな~?と探してお参りしました。
社務所があるのですが なぜか御朱印はプレハブで拝受しました。
鳥居も拝殿も本殿もとても立派ですが 狛犬の様子からそこそこ新しい時代に改修されていると思いました。
祭神は 大国主神(おおくにぬしのかみ) 弁財天(べんざいてん) 毘沙門天(びしゃもんてん)です。
ネット情報です。
創建年代は不詳であるが 平安末期に書かれた『源平盛衰記』には「武鶏ノ社」という記述があることから この頃には存在したと考えられる。
しかし 応仁の乱によって焼失し 吉坂に移って多景の社と改称して鎮座していた。
1586年(天正14年)10月に 豊臣秀吉が方広寺大仏殿(京の大仏)を建立したことに伴って現在地に遷座した。
その後 宝永年間に江戸幕府の命令によって改築され 社号も多景の社から現在の瀧尾神社と改称した。
本殿は貴船神社奥院旧殿を移築したもので 拝殿など計8棟が京都市指定有形文化財である。
また 泉涌寺の僧の守るところであったともされる。
なるほどそれで泉涌寺の辺りで見かけたわけですね。
拝殿の龍は見忘れてしまいました。また行こうっと。
側面石鳥居
由緒書
拝殿
由緒書
拝所
本殿
手水舎
正面鳥居
石柱
干支みくじ
歴史
神社の創建や由来は不詳ですが、歴史は古く「源平盛衰記」に旧名「武鶏ノ社」の名が記され、東大路の五条あたりから応仁の乱などで場所を転々とし、豊臣秀吉の大仏殿建立に伴う移転で現在地へと移されました。
江戸時代の初期には幕命により、社殿を修理、神社名を瀧尾神社とされています。
現在の社殿は、江戸時代後期・天保10年(1839)~11年に大丸百貨店の創業者下村彦右衛門が行商の頃より、自宅のあった伏見区京町から毎朝欠かさずお参りをしていて、大丸百貨店の繁栄は瀧尾神社のご利益のおかげと創業家、下村家の2500両(現在価値で約5億円)もの莫大な寄進より、移築・改築、整備されています。
さほど広くない敷地に関わらず、本殿は、平安京以前からの降雨・止雨、水を司る龍神、高龗神(たかおかみのかみ)を祀った絢爛豪華な貴船神社奥院旧殿が移築され、社殿、拝殿に九山新太郎・作の数多くの目入れをされ、生き生きと立体感溢れる造形の彫物で整備され、そして、巨大な龍の彫物は拝殿の天井に据えられています。
-京都観光情報KYOTOdesignHPより-
名称 | 瀧尾神社 |
---|---|
読み方 | たきおじんじゃ |
参拝料 | 境内無料。特別拝観(昇殿参拝)拝観料500円(期間限定) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
電話番号 | 080-5637-8188 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 大己貴命 別名 大国主命、大黒天。 弁財天:七福神、財宝神。 毘沙門天:七福神、七難を避け、七福を与える北方守護の神仏。 |
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文化財 | 本殿・幣殿・拝所・回廊・拝殿はそれぞれ京都指定有形文化財 |
ご由緒 | 神社の創建や由来は不詳ですが、歴史は古く「源平盛衰記」に旧名「武鶏ノ社」の名が記され、東大路の五条あたりから応仁の乱などで場所を転々とし、豊臣秀吉の大仏殿建立に伴う移転で現在地へと移されました。
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体験 | おみくじ御朱印 |
Wikipediaからの引用
概要 | 瀧尾神社(たきおじんじゃ)は、京都府京都市東山区にある神社。旧社格は村社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建年代は不詳であるが、平安末期に書かれた『源平盛衰記』には「武鶏ノ社」という記述があることから、この頃には存在したと考えられる[1]。しかし、応仁の乱によって焼失し、吉坂に移って多景の社と改称して鎮座していた[2]。1586年(天正14年)10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿(京の大仏)を建立したことに伴って現在地に遷座した[1]。その後、宝永年間に江戸幕府の命令によって改築され、社号も多景の社から現在の瀧尾神社と改称した。本殿は貴船神社奥院旧殿を移築したもので、拝殿など計8棟が京都市指定有形文化財である。[3]また、泉涌寺の僧の守るところであったともされる。 大丸との関係...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「瀧尾神社 (京都市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%80%A7%E5%B0%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%29&oldid=100386538 |
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