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たきおじんじゃ

瀧尾神社の御由緒・歴史
京都府 東福寺駅

ご祭神大己貴命 別名 大国主命、大黒天。
弁財天:七福神、財宝神。
毘沙門天:七福神、七難を避け、七福を与える北方守護の神仏。
ご由緒

神社の創建や由来は不詳ですが、歴史は古く「源平盛衰記」に旧名「武鶏ノ社」の名が記され、東大路の五条あたりから応仁の乱などで場所を転々とし、豊臣秀吉の大仏殿建立に伴う移転で現在地へと移されました。
江戸時代の初期には幕命により、社殿を修理、神社名を瀧尾神社とされています。
現在の社殿は、江戸時代後期・天保10年(1839)~11年に大丸百貨店の創業者下村彦右衛門が行商の頃より、自宅のあった伏見区京町から毎朝欠かさずお参りをしていて、大丸百貨店の繁栄は瀧尾神社のご利益のおかげと創業家、下村家の2500両(現在価値で約5億円)もの莫大な寄進より、移築・改築、整備されています。
さほど広くない敷地に関わらず、本殿は、平安京以前からの降雨・止雨、水を司る龍神、高龗神(たかおかみのかみ)を祀った絢爛豪華な貴船神社奥院旧殿が移築され、社殿、拝殿に九山新太郎・作の数多くの目入れをされ、生き生きと立体感溢れる造形の彫物で整備され、そして、巨大な龍の彫物は拝殿の天井に据えられています。
                          -京都観光情報KYOTOdesignHPより-

歴史
歴史[編集] 創建年代は不詳であるが、平安末期に書かれた『源平盛衰記』には「武鶏ノ社」という記述があることから、この頃には存在したと考えられる[1]。しかし、応仁の乱によって焼失し、吉坂に移って多景の社と改称して鎮座していた[2]。1586年(天正14年)10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿(京の大仏)を建立したことに伴って現在地に遷座した[1]。その後、宝永年間に江戸幕府の命令によって改築され、社号も多景の社から現在の瀧尾神社と改称した。本殿は貴船神社奥院旧殿を移築したもので、拝殿など計8棟が京都市指定有形文化財である。[3]また、泉涌寺の僧の守るところであったともされる。 大丸との関係...Wikipediaで続きを読む
引用元情報瀧尾神社 (京都市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%80%A7%E5%B0%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%29&oldid=100386538

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