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あべのじんじゃ

阿部野神社
公式大阪府 天神ノ森駅

午前9時より午後4時半まで

氏子以外の参拝
氏子以外の参拝
あり
歓迎
御朱印について
御朱印
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あり

駐車場あり
南側入り口より、お入り頂くと10台ほど駐車出来ます。

大阪府のおすすめ🌾

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bluecloud0711
bluecloud0711
2024年09月23日(月)
874投稿

参拝の記録です。

阿部野神社の御朱印
阿部野神社(大阪府)

通常御朱印

阿部野神社の御朱印

三社龍巡り御朱印

阿部野神社の御朱印

三社龍巡り御朱印

阿部野神社(大阪府)
阿部野神社(大阪府)
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四季
四季
2021年12月04日(土)
485投稿

阿部野神社

~神馬像と阿倍野の丘から~

主祭神  北畠親房
     北畠顕家
社格等  旧別格官幣社
     別表神社
創建   1882年(明治15年)

札所等 
 神仏霊場巡拝の道 第44番(大阪第3番)

例祭   1月24日

御由緒
現在の神社の鎮座地は顕家公が足利家と戦った古戦場であり、当神社の御旅所には、顕家公のお墓として伝えられている墓碑がございます。この顕家公の御墓所の存在がきっかけとなり、近隣より1878年2月、顕家公をお祀りする神社創建運動がおこり、政府もこれを受け、1881年1月、御祭神を顕家公とその御父君であらせられる親房公の御両神とすることを決定しました。そして1882年1月24日、阿倍野神社と号して別格官幣社に列せられ、1885年5月28日に創立、1890年3月31日に御鎮座斎が斎行されました。

北畠親房氏
村上源氏中院流北畠家
官位 正二位大納言、
源氏長者 入道従一位准大臣、
准后(南朝) 贈正一位(明治41年)
著書 『神皇正統記』
戒名 天徳院台宗覚元
親房は阿部野神社(大阪市阿倍野区)や霊山神社(福島県伊達市)に顕家と共に祀られています。
墓地は終焉の地賀名生。
室生寺(奈良県宇陀市)(国指定重要文化財)
奈良県五條市西吉野町賀名生の華蔵院跡
奈良県宇陀市室生の室生寺等

北畠顕家
鎌倉時代末期~南北朝時代の南朝公卿(公家)、武将。
北畠親房の長男。主著『北畠顕家上奏文』。
南朝従二位権中納言兼陸奥大介鎮守府大将軍、贈従一位右大臣。
墓所
大阪市阿倍野区王子町 北畠公園
大阪市阿倍野区北畠 阿部野神社
福島県伊達市大石 霊山神社

鎌倉幕府を討幕し、建武の新政を行った後醍醐天皇からのご信任が厚かった北畠親房とその長子である北畠顕家公が祀られている神社です。神社の鎮座地は、後醍醐天皇が政治を行っていた時代に謀反を起こした足利軍とそれに対抗した顕家公が20代前半で戦った古戦場でもあります。

歴史
大阪府より、北畠顕家の忠誠は楠木正成・新田義貞・名和長年・菊池武時らと同じだから、顕家を祭る神社にもしかるべき社格を定めるべきではないか、という内容の伺を1878年の11月20日に内務省に提出されます。
内務省は3年後の1881年(明治14年)11月16日に北畠顕家と北畠親房の二人を祭神とする別格官幣社の阿部野神社を阿部野村に創建する方針を固め、1882年(明治15年)1月24日に太政官の正式決定となりました。
大阪で創建を進めていた有志は、参拝に便利な天王寺村字天下茶屋に神社を建てるつもりで、寄付金を集めて土地の購入に着手していました。阿部野村に建てる決定を知り、東城ら12人は、土地を寄付するので社殿建築を有志に任せてほしいと3月22日に大阪府知事建野郷三に申し入れた。その後、天下茶屋の予定地は民家のそばで低湿だというので、近くの住吉郡住吉村藪山への変更を内務省に上申しましたた。
翌1883年(明治16年)、内務省は阿部野神社の宮司と東京で面談し、人民の願い通りに賛成し、3月7日に太政官が変更を決定されました。
社殿は1887年(明治20年)3月に完成し、鎮座祭は1893年(明治23年)3月に斎行。 1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲で社殿は全焼。
現在の社殿は1968年(昭和43年)に再建されました。
1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列。

摂社・末社
「祖霊社」
「土宮」
「旗上芸能稲荷」
芸能上達の守護神として信仰されてきたお稲荷さんで、毎年十五夜に合わせて「芸能稲荷社大祭」が行われています。

大阪市阿倍野区北畠3丁目7―20

阿部野神社の像
阿部野神社の狛犬

対の神馬像
狛馬みたくご立派です

背後のメタセコイアの樹木も美しく

阿部野神社の狛犬
阿部野神社の鳥居

阿部野神社の丘から 西方向(大阪湾方向)を眺めて

阿部野神社の歴史
阿部野神社の鳥居

南鳥居⛩️より

阿部野神社の鳥居

メタセコイアの樹と⛩️

阿部野神社の像
阿部野神社の歴史
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の歴史
阿部野神社の本殿

拝殿

阿部野神社の建物その他
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の庭園
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の末社
阿部野神社の鳥居
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の本殿
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の末社
阿部野神社の狛犬

十二支の狐🐺さまがいらっしゃいます
寅年狐さま  丑年狐さま

阿部野神社のおみくじ

🐺喜常🐺みくじ

阿部野神社のおみくじ

旗上🐺🚩喜常さま🐺🚩
願掛

阿部野神社の末社
阿部野神社の末社
阿部野神社の歴史
阿部野神社の自然
阿部野神社の御朱印

12月限定御朱印

阿部野神社の御朱印

阿部野神社御朱印

阿部野神社の狛犬

美しく清掃された境内と狛犬さま

阿部野神社の狛犬

お掃除されている宮司さまと狛犬さま

阿部野神社の建物その他

中今亭に(八咫烏)烏さまが2羽❇️

 ↓ 

阿部野神社の自然
阿部野神社の手水

手水舎

阿部野神社の手水

獅子の手水舎 珍しくないですか?

住吉大社の備前焼の狛犬さまに似ている気がします。しかも、お尻あげあげが可愛い「出雲構え獅子さま」?

阿部野神社の狛犬
阿部野神社の狛犬
阿部野神社の自然
阿部野神社の自然
阿部野神社の鳥居
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の建物その他
阿部野神社の絵馬

また22日にお参りさせて頂きます
✴️少彦名神 三社限定御朱印✴️
12月22日より~

来年の干支 巨大白虎絵馬

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授与品

仕事守

この御守は、摂社の勲之宮の御守で、御祭神は南部師行公とその御一統であり、顕家公に仕えて東北の地に基盤を築き、南部家の名声は現在に至るまで続いております。

裏には勲之宮の御神紋であり、南部家の家紋である『南部鶴(なんぶづる)』を配し、四隅には仕事守を受ける方の指針となるべき四字熟語が記されています。

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例祭・神事

例大祭1月24日
春季大祭5月22日
秋季大祭10月18日

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歴史

北畠親房公は殊に後醍醐天皇の御親任が厚く、「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野御遷幸の後は、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸国の小田城で「神皇正統記」を著した。後、吉野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられたが、正平9年(1354)4月17日、病にて薨じられた。御年62歳であった。顕家公は親房公の御長子で、元弘3年(1333)8月、陸奥守に任じられ、同10年義良親王を奉じて陸奥へ下向され、奥羽は忽ちにその威風に靡いた。延元元年、足利尊氏が叛すると、上洛して九州に敗走させたが、延元3年(1338)、京都回復のため再度上洛して5月22日、御年21歳で戦没された。現在の神社の鎮座地は北畠顕家が足利軍と戦った古戦場で、明治十五年一月阿部野神社と号して別格官幣社に列せられ、同十八年五月に創立、同二十三年三月鎮座祭が斎行された。現社殿は昭和四十三年に再建されたものである。

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阿部野神社の基本情報

住所大阪府大阪市阿倍野区北畠3丁目7-20
行き方

阪堺電車 阪堺線「天神の森」下車、南東の方向約200m
阪堺電車 上町線「北畠」下車、西の方向約500m
南海本線「岸里玉出」下車、東南東の方向約300m

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名称阿部野神社
読み方あべのじんじゃ
参拝時間

午前9時より午後4時半まで

参拝にかかる時間

15分から30分

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

御朱印の郵送対応なし

御朱印帳あり
電話番号06-6661-6243
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.abenojinjya.com/
おみくじあり
絵馬あり
SNS

巡礼の詳細情報

建武中興十五社

第10番

神仏霊場巡拝の道

詳細情報

ご祭神北畠顕家,北畠親房
ご由緒

北畠親房公は殊に後醍醐天皇の御親任が厚く、「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野御遷幸の後は、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸国の小田城で「神皇正統記」を著した。後、吉野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられたが、正平9年(1354)4月17日、病にて薨じられた。御年62歳であった。顕家公は親房公の御長子で、元弘3年(1333)8月、陸奥守に任じられ、同10年義良親王を奉じて陸奥へ下向され、奥羽は忽ちにその威風に靡いた。延元元年、足利尊氏が叛すると、上洛して九州に敗走させたが、延元3年(1338)、京都回復のため再度上洛して5月22日、御年21歳で戦没された。現在の神社の鎮座地は北畠顕家が足利軍と戦った古戦場で、明治十五年一月阿部野神社と号して別格官幣社に列せられ、同十八年五月に創立、同二十三年三月鎮座祭が斎行された。現社殿は昭和四十三年に再建されたものである。

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