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あべのじんじゃ

阿部野神社の御由緒・歴史
公式大阪府 天神ノ森駅

ご祭神北畠顕家,北畠親房
ご由緒

北畠親房公は殊に後醍醐天皇の御親任が厚く、「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野御遷幸の後は、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸国の小田城で「神皇正統記」を著した。後、吉野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられたが、正平9年(1354)4月17日、病にて薨じられた。御年62歳であった。顕家公は親房公の御長子で、元弘3年(1333)8月、陸奥守に任じられ、同10年義良親王を奉じて陸奥へ下向され、奥羽は忽ちにその威風に靡いた。延元元年、足利尊氏が叛すると、上洛して九州に敗走させたが、延元3年(1338)、京都回復のため再度上洛して5月22日、御年21歳で戦没された。現在の神社の鎮座地は北畠顕家が足利軍と戦った古戦場で、明治十五年一月阿部野神社と号して別格官幣社に列せられ、同十八年五月に創立、同二十三年三月鎮座祭が斎行された。現社殿は昭和四十三年に再建されたものである。

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