むれざんかんのんぜんじ|臨済宗妙心寺派|牟禮山
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牟禮山観音禅寺からのお知らせ一覧(5ページ目)
人形供養 お焚き上げ
観音禅寺では、毎日供養してきたお人形のお焚き上げを行っています。
人形をお持ち込みになる前に、必ずご予約ください。(他のご祈祷のご予約と重なりますと、お待ちいただかなければならないためです)
お持ち込みになられた際には、住職が供養の読経をいたします。
その後、毎日朝晩に丁寧に供養させていただきます。
月末にあらためて供養の法要を行い、必ず一体ずつお加持をし、お祓いをし、お性根抜きをして、浄火でお焚き上げいたします。
月末のお焚き上げは、夕方に住職が一人で行っています。
剥製は動物供養となりますので、別にお申し込みください。
写真供養もしています。
本堂で供養されている人形たち
一体ずつお加持をし、お性根を抜いたのち,浄火でお焚き上げさせていただいています。
裏山の竹藪整備作務
一人で手鋸でちびちびやっていても、なかなか進捗しないのだが、それでも毎日少しずつマメに整備していくと、今では草履で山に入れるぐらいにはなってきている。
今日は9名のチェーンソー部隊が作業してくれた。
既に割りと整備してきたエリアをお願いしたので、他にまだまだ未開拓地が残っている。
このあとは、また独りで竹と格闘する。
昼なお暗き未開拓の竹藪は、進んでいくだけで、それはもうアドベンチャー。
マチェット、鶴橋、鎌、手鋸を駆使しつつ、適宜に蹴りやチョップを繰り出して行う竹藪整備は、したことのある人ならわかるが、その動きは格闘技に等しい。
ちなみに、今年は筍の収穫はサッパリ…。
朝晩が寒いので、もしかしたらまだ早いのかも。
午前中、一時間半ほどの作業。
チェーンソー、すごいですね。
チェーンソーが欲しい😅
木漏れ日が入るようになって来た❣️
桜が盛り
観音禅寺境内の桜が満開です🌸
枝垂れ桜はまだ蕾の方が多いです。
境内から池越しに眺める牟禮公園の桜や山道の桜並木は、今週末ぐらいが見ごろでしょう。
山門の桜
本堂前
山門の桜
稲荷堂の桜
山門の桜稲荷堂の桜
枝垂れ桜
5年ほど前に植えた枝垂れ桜。
毎年大きくなっていくのが楽しみです。
初午❗️餅まき❗️本日午後2時斎行‼️
初午大祭・招福餅まき 本日午後2時より斎行❗️
祭礼後には餅撒きを行います。
どなたでもお参りいただけます。
いっぱい福を戴いてください!
赤い傘餅(限定2個)を拾った方は、漏れなくお金持ちになります(中に500円玉が入っているので😊)
どなたでもお参りください!
松並木の参道入口付近に大幟が立ちました。
餅まきの櫓設営完了!
本日、太子会(聖徳太子忌)
みなさん、おはようございます。
2月22日は、日本の仏教・歴史・文化の基礎を築かれた聖徳太子(厩戸皇子)のご命日。
そして、『日本書紀』によれば今年は聖徳太子薨去1400年遠諱の年に当たります。
聖徳太子(574-622)は日本の仏教にとっては大恩人です。それは太子が叔母に当たる推古天皇の摂政として、いよいよ日本国を一つにまとめ、統一国家を樹立しようとした時に、仏教をその理念の柱として採用したからです。
『日本書紀』によれば、太子21歳、摂政に就任した翌年、推古二年(594)の二月、天皇が皇太子及び大臣に「三宝興隆の詔」を下したとあるが、これは太子の進言によるもので、三宝、すなわち仏法僧の興隆を推古天皇即位の翌年に早くも命じたものであります。
それから十年後、推古十二年(604)四月、太子三十一歳の時、有名な「十七条憲法」を制定したそうです。この憲法は今日の憲法とは大分違って、役人向けの精神的訓話のようなものですが、中味を見ると、儒教の要素も多いのですが、仏教精神に由る条文が特徴的です。その第一条を見ると、
「和を以て貴しと為し、忤(さから)ふこと無きを宗と為よ。人、皆黨(たむら)有り。亦た達(さと)れる者少し。…(以下略)」
とあります。「和」は仏教で重んじられる精神です。仏教の僧団を「和合僧」といい、その和合を破る者は、教団の最も重い罰則の波羅夷(はらい)罪に処せられる。太子はこの仏教僧団の和合の精神を憲法の第一条に据えて、群臣百僚の心得としたのです。
続いて第二条には、
「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。則ち四生の終帰にして、万国の極宗なり。何(いず)れの世、何れの人か、是の法を貴ばざらん。人は尤(はなはな)だ悪しきは鮮(すく)なし。能く教ふれば之に従ふ。其れ三宝に帰せずんば、何を以てか枉(まが)れるを直せん」とある。仏・法・僧を敬え、とあって、仏教尊崇の精神を鼓吹しています。三宝はあらゆる人々の目指す究極で、心をそれによって真っ直ぐし、和の世界が実現するのだと。
さらに第十条を挙げてみましょう。
「忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人、皆心有り。心各執(と)る有り。彼是(ぜ)なれば則ち我は非なり。我是なれば則ち彼は非なり。我、必ず聖に非ず、共に是れ凡夫のみ。…(以下略)」
この条文では、自分の意見と合わない人に怒ってはならない、人は皆それぞれ考えるところがあり、皆意見が違うものだ、自分が偉いとは限らない、皆凡夫なのだから、とある。極めて分かりやすい、現代でも通じる内容だ。最も感心するのは「共にこれ凡夫のみ」としている点です。古代の、これから中央集権国家を整えようとしている体制の中で最も重んじられるべきは権威と秩序です。儒教も身分と秩序の遵守を強調する。そこへ、「みな同じような凡夫なのだから」というのは、現代の平等社会ならいざ知らず、古代社会の為政者の言葉とは到底信じられない。仏教の、それも大乗仏教の、ともにみな仏を目指す菩薩の精神の発露と言えるでしょう。
鎌倉時代の凝然(ぎょうねん)や叡尊、忍性(にんしょう)などの旧仏教の師たちはもちろんのこと、新仏教の祖師達、道元や親鸞、日蓮も、聖徳太子を日本国の仏教の恩人と讃仰して止まみませんでした。
私たちにとっても太子は忘れてはならない方であります。
「聖徳太子講経像」滋賀県竜王町観音禅寺蔵
「聖徳太子弓取像」
狩野主信(江戸前期)作
滋賀県竜王町観音禅寺蔵
太子会限定ご朱印
お寺の東司(とうす=お手洗い)の神さま
本日、弊寺の東司(お手洗い)にトイレの神様「烏枢沙摩明王」像をお祀りしました。
お寺では、お手洗いも重要な修行の場。
七堂伽藍の中の一つに数えられいて、本尊として烏枢沙摩明王をお祀りします。
烏樞沙摩明王は、炎の神で、烈火でもってこの世の一切の不浄を焼き盡くします。
仏道において浄めるべきは、己自身の執著や貪り・怒り・ありのままに世界を見られない愚かさなどの煩悩です。
これまでは、烏枢沙摩明王の名を書いた牌しかありませんでしたが、仏像を奉安させていただくことになりました。
弊寺の東司は汲み取り式。
恐縮ですが、禅寺では東司も貪瞋癡などの煩悩を除く大切な修行の場なれば、東司の本尊烏枢沙摩明王さまに免じてご海容願います🙏
オン クロダノウ ウンジャク
・・・
「生死を明らめる底の雲水が、たかが浄垢を明らめ得ずして、何の雲水ぞ。」
これは、宇治にある黃檗山萬福寺の以前の管長貎下が小僧の時、師から言われた言葉だそうです。
戦時中、寺に観光や參拝に來る客などおらず、心遣いのない近所の人が寺のお手洗いで用をたし、そのままにするものだからたいへん汚れていました。それを掃除するのが役目であった小僧は、便器があまりにも汚れているのを厭い、棒の先に雑巾を括り付け、腰を引きながらそれで拭いていました。そこに偶々通りがかって、その様子を見つけた老師は、前掲のように言うやいなや、サッと腰上げをしてタスキをかけ、自ら傍にあった雑巾を手に取り、床に膝をついて素手で便器をゴシゴシ拭き始めました。
その小僧(後の管長)は、それから本気の修行をする気になりました。
漢文調で言われたことで尚更印象に深く刻まれた、と。
かつて私が大学院生の時、萬福寺の夏の講習會に參加させていただいた折に、管長貎下から拝聴した懐古譚。
ん
日曜坐禅
観音禅寺では、毎週日曜朝8時〜9時半に坐禅をしています。
本日の日曜坐禅には、初めての弊寺を訪れる方を含めて5名の方がご参加。
皆さん、車で往復60分以上かけていらっしゃいます。
弊寺の本堂は狭いので、ソーシャルディスタンスを確保して、ちょうどいい感じで坐れました。
このところ、若い方が熱心に通われています。何か得るもの捨てるものが有ればいいですね。
春を感じられる佳い一日でした。
観音禅寺の日曜坐禅は、毎週日曜朝8時〜9時半に行っています。この時間なら、どなたでも予約なしでお越しいただけますが、スペースに限りがありますので、大人数でのご参加は、電話などであらかじめご相談ください。
観音禅寺では、その他の時間でもご希望の方は坐禅していただけます。もしかしたら祈祷や身上相談などと重なったり、出張祈祷で外出していることもあるでしょうから、できるだけ予約してから来ていただいたほうがよいと思います。電話などで予約していただければ時間を調整します。
また、夕方は7時ごろまで本堂を開放していますので、仕事帰りに自由に立ち寄ってください。
ちょっと一人で静かに坐ったり、お参りして行かれる方もおられます。
職場の重い気分をお寺に置いていってください。家に持ち帰らなくてすみます。
「滋賀県 竜王町 観音禅寺」で検索してみてください。
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住職の坐禅布団
観音禅寺謹製の坐禅用線香「牟禮観世」(天然沈香と白檀をブレンド)の馥郁とした香りに身を包まれて、心と呼吸を落ち着かせ、静かに自分を見つめる時間をお過ごし下さい。
お寺の東司(とうす=お手洗い)
お手洗いも修行の場。
烏枢沙摩明王のおわします。
オン クロダノウ ウンジャク
烏枢沙摩明王は、烈火でもってこの世の一切の不浄を焼き尽くす炎の神。
仏道において浄めるべきは、分別・分節・断絶・選択する己自身の執着・煩悩である。
・・・
「生死を明らめる底の雲水が、たかが浄垢を明らめ得ずして、何の雲水ぞ。」
これは、宇治にある黄檗山萬福寺の以前の管長貎下が小僧の時、師から言われた言葉だそうだ。
戦時中、寺に観光や参拝に来る客などおらず、心遣いのない近所の人が寺のお手洗いで用をたし、そのままにするものだからたいへん汚れていた。それを掃除するのが役目であった小僧は、便器があまりにも汚れているのを厭い、棒の先に雑巾を括り付け、腰を引きながらそれで拭いていた。そこに偶々通りがかって、その様子を見つけた老師は、前掲のようにいうや否や、サッと腰上げをして襷をかけ、自ら傍にあった雑巾を手に取り、床に膝をついて素手で便器をゴシゴシ拭き始めたという。
その小僧(後の管長)は、それから本気の修行をする気になったという。
漢文調で言われたことで尚更印象に深く刻まれた、と。
かつて私が修士課程の時、萬福寺の夏の講習会に参加させていただいた折に、管長貎下から拝聴した懐古譚である。
鐘楼に明暗センサー付きLED照明を設置して、夜の境内が更に明るくなりました。
少しずつですが境内を明るくしているのは、女性でも日が暮れてから安心してお参りしていただけるようにするためです。
たとえば、退社時間にも気軽に立ち寄り、軽く坐禅してから家に帰る、そんな場を提供したいと願っています。
日が暮れてからも暫くは(この季節なら夕方7時ごろまで)、基本的に本堂を全開にしています。本堂正面が開いているときなら、いつでもご自由にお上がりください。祈りを捧げる、静かに一日を反省する、単にほっと一息つくためだけでも構いません。
「明るさを競う都会のネオンよりも、闇夜に灯る一燈たらん」。当山の信条です。
鐘楼の照明
お礼参り
先日、重大な交通事故に遭われて頭蓋骨や肩などを複雑骨折し、生死を彷徨うこととなった方の手術の成功を祈祷したところ、奇跡的に一命を取り留め、16時間に及ぶ大手術は無事に大成功して、その経緯も良好であると、本日、ご両親がお礼参りにお見えになりました。
当初、私も懸命に拝ませて頂きました。その功があったのかどうか私には分かりませんが、ご本人の生命力と、医療スタッフの腕および努力、ご両親の強い願い、そして神仏の加護が一つになったことに因るものであることは相違ないでしょう。
ご祈祷や祈願をした後、お礼参りをされる方はどのぐらいいらっしゃるでしょうか? 神仏に祈願して、願い事が成就したら、あとは放っておくというのでは、その後が続きません。私はお礼参りまでが祈願のうちと考えます。
おるいはもし、欲する結果にならなくても、できれば、どうなったのかご報告いただきたいです。その結果を教えていただくことによって、祈祷を司る者のスキルは上がります。お医者さまが術後の経緯を知る必要があるのと同じ理屈です。また、あるいはその人にとってその結果が欲するものでなかったとしても、実は悪いことではないかもしれません。そのあたりのことも知りたいところです。
ともかく今日は、お礼参りに来ていただき、住職としてこんなに嬉しいことはありません。今後いよいよ精進していくモチベーションとなります。ありがとうございました。
合掌
お名前は加工して消させて頂きました。
初観音
観音禅寺の初観音は1月20日です。
一般的には観音様の縁日は毎月20日ですが、弊寺は昔から20日。理由は不明です。
この日にお参りすると、一千日お参りしたのと同じ功徳になるとされています。
コロナ禍でお参りの方は多くありませんでしたが、前もってお参りされる方も多く、密集しない行事でした。
今日は大寒ですが、お天気が良かったので、比較的過ごしやすかったです。
心を込めて拝ませていただきました。
今年は堂内に上がって頂くのは代表者のみで、外からのお参りとさせていただきました。椅子は間隔を空けて設置。大寒ですが、お天気が良く、比較的暖かい日となりました🙏
お守りやお札のラインナップです。全て当山のオリジナルです。
これは庫裏の玄関に設置した消毒用アルコールです。
境内や堂内のあちこちに設置していますので、お参りの際はお使いください。
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