牟禮山観音禅寺の日常(61回目)|滋賀県篠原駅
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投稿日:2021年02月10日(水)
本日、弊寺の東司(お手洗い)にトイレの神様「烏枢沙摩明王」像をお祀りしました。
お寺では、お手洗いも重要な修行の場。
七堂伽藍の中の一つに数えられいて、本尊として烏枢沙摩明王をお祀りします。
烏樞沙摩明王は、炎の神で、烈火でもってこの世の一切の不浄を焼き盡くします。
仏道において浄めるべきは、己自身の執著や貪り・怒り・ありのままに世界を見られない愚かさなどの煩悩です。
これまでは、烏枢沙摩明王の名を書いた牌しかありませんでしたが、仏像を奉安させていただくことになりました。
弊寺の東司は汲み取り式。
恐縮ですが、禅寺では東司も貪瞋癡などの煩悩を除く大切な修行の場なれば、東司の本尊烏枢沙摩明王さまに免じてご海容願います🙏
オン クロダノウ ウンジャク
・・・
「生死を明らめる底の雲水が、たかが浄垢を明らめ得ずして、何の雲水ぞ。」
これは、宇治にある黃檗山萬福寺の以前の管長貎下が小僧の時、師から言われた言葉だそうです。
戦時中、寺に観光や參拝に來る客などおらず、心遣いのない近所の人が寺のお手洗いで用をたし、そのままにするものだからたいへん汚れていました。それを掃除するのが役目であった小僧は、便器があまりにも汚れているのを厭い、棒の先に雑巾を括り付け、腰を引きながらそれで拭いていました。そこに偶々通りがかって、その様子を見つけた老師は、前掲のように言うやいなや、サッと腰上げをしてタスキをかけ、自ら傍にあった雑巾を手に取り、床に膝をついて素手で便器をゴシゴシ拭き始めました。
その小僧(後の管長)は、それから本気の修行をする気になりました。
漢文調で言われたことで尚更印象に深く刻まれた、と。
かつて私が大学院生の時、萬福寺の夏の講習會に參加させていただいた折に、管長貎下から拝聴した懐古譚。
お寺では、お手洗いも重要な修行の場。
七堂伽藍の中の一つに数えられいて、本尊として烏枢沙摩明王をお祀りします。
烏樞沙摩明王は、炎の神で、烈火でもってこの世の一切の不浄を焼き盡くします。
仏道において浄めるべきは、己自身の執著や貪り・怒り・ありのままに世界を見られない愚かさなどの煩悩です。
これまでは、烏枢沙摩明王の名を書いた牌しかありませんでしたが、仏像を奉安させていただくことになりました。
弊寺の東司は汲み取り式。
恐縮ですが、禅寺では東司も貪瞋癡などの煩悩を除く大切な修行の場なれば、東司の本尊烏枢沙摩明王さまに免じてご海容願います🙏
オン クロダノウ ウンジャク
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「生死を明らめる底の雲水が、たかが浄垢を明らめ得ずして、何の雲水ぞ。」
これは、宇治にある黃檗山萬福寺の以前の管長貎下が小僧の時、師から言われた言葉だそうです。
戦時中、寺に観光や參拝に來る客などおらず、心遣いのない近所の人が寺のお手洗いで用をたし、そのままにするものだからたいへん汚れていました。それを掃除するのが役目であった小僧は、便器があまりにも汚れているのを厭い、棒の先に雑巾を括り付け、腰を引きながらそれで拭いていました。そこに偶々通りがかって、その様子を見つけた老師は、前掲のように言うやいなや、サッと腰上げをしてタスキをかけ、自ら傍にあった雑巾を手に取り、床に膝をついて素手で便器をゴシゴシ拭き始めました。
その小僧(後の管長)は、それから本気の修行をする気になりました。
漢文調で言われたことで尚更印象に深く刻まれた、と。
かつて私が大学院生の時、萬福寺の夏の講習會に參加させていただいた折に、管長貎下から拝聴した懐古譚。
すてき
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