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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年12月※荏柄天神社ではいただけません

えがらてんじんしゃ

荏柄天神社

神奈川県 鎌倉駅

投稿する
0467-25-1772

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
なし

なし

ご利益

荏柄天神社について

源頼朝をや数多くの漫画家が崇敬する神社


当社は源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり鬼門の守護として祀ったことが始まりです。
現在では、数多くの漫画家に崇敬され、境内には絵筆塚が置かれています。
また、梅の名所としても有名で、2月~3月には紅白の梅が綺麗に境内を彩ります。

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あずにゃん
2022年07月01日(金)
95投稿

【祭神】
菅原道真

長治元年(1104年)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まります。関東を中心に各地に分社をもち、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三古天神社と称される古来の名社です。

古くは荏柄山天満宮とも称されました。荏柄の社号は、天平7年(735年)の『相模国封戸租交易帳』などに見える「荏草郷」の”えがや”が後に転じて”えがら”となり、「荏柄」と表記されたものと考えられています。

治承4年(1180年)鎌倉大蔵の地に幕府を開いた源頼朝公は幕府の鬼門に位置する当社を崇敬し、更めて社殿を造立されました。以後、歴代の将軍家を始め、鎌倉幕府の尊社として篤く崇敬され、「吾妻鏡」には二代将軍頼家が大江広元を奉幣使として菅公300年忌を盛大に執行された事など、社名がしばしば記されております。

この様に中世より特に崇敬された当社は、足利、北条、豊臣、徳川の各氏によっても守られ、さまざまな寄進を受けて近世にいたりました。現在では学問の神、正直者、努力を重ねるものを助ける神として年間多くの方々が参拝され、社殿はいつも「祈願」「お礼」の絵馬で覆われています。

荏柄天神社(神奈川県)荏柄天神社(神奈川県)
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惣一郎
2021年04月14日(水)
1047投稿

荏柄天神社(えがら~)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある神社。旧社格は村社。御祭神として菅原道真を祀る。関東各地に分社を持つことから、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮とともに<三天神社>と呼ばれることがある。

社伝によると、平安後期の1104年、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人が社殿を建ててその画像を納め祀ったのが始まりとされる。1180年、源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり、鬼門の守護社として仰ぎ、改めて社殿を造営した。さらに戦国時代には、豊臣秀吉の命で徳川家康が社殿の造営を行った。明治期に入り、神仏分離令で一時衰退したが、その後村社となった。

当社は、JR鎌倉駅からバスで北東方向に1.5km進んだ天神前バス停のそばにある。バスの通る道から少し入った住宅街の中にあるので、ちょっと分かりにくい。平らな参道を進み、やや長めの階段を登ったところに狭い境内がある。

参拝時は週末の午後、<鎌倉の学問の神様>として知られており、御朱印本・雑誌をはじめとするメディアでも露出が多いことから、老若男女問わず、多くの参拝客が来ていた。

荏柄天神社の建物その他

社号標と面白い方向に立つ樹木。自然の鳥居になっている。

荏柄天神社の鳥居

樹木の向こう側に<鳥居>。

荏柄天神社の山門

神門に続く階段。

荏柄天神社(神奈川県)

神門をくぐって、すぐに見える景色。

荏柄天神社の手水

参道右手に<手水舎>。

荏柄天神社の本殿

<拝殿>全景。

荏柄天神社の本殿

<拝殿>正面。

荏柄天神社の建物その他

拝殿手前の右側にある<神輿庫>。

荏柄天神社の自然

神門の右側あたりにある<御神木>。なかなか立派。

荏柄天神社の本殿

手水舎近くから見た<拝殿>。

荏柄天神社(神奈川県)

社殿左側にある<かっぱ筆塚・絵筆塚>。

荏柄天神社の本殿

境内左側から見た、社殿全景。さすが鎌倉一の天満宮、拝殿の壁には大量の絵馬。

荏柄天神社の建物その他

境内左側にある<社務所>。御朱印と書いてあるが、ここでは授与していない。

荏柄天神社の建物その他

神門をくぐってすぐ左手にある<授与所>。御朱印はこちら。

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歴史

< 公式HPより引用 _ http://www.tenjinsha.com/gosaijin.html >

長治元年(1104年)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、
神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まります。
関東を中心に各地に分社をもち、
福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三古天神社と称される古来の名社です。

古くは荏柄山天満宮とも称されました。
荏柄の社号は、
天平7年(735年)の『相模国封戸租交易帳』などに見える「荏草郷」の”えがや”が
後に転じて”えがら”となり、「荏柄」と表記されたものと考えられています。

治承4年(1180年)鎌倉大蔵の地に幕府を開いた源頼朝公は幕府の鬼門に位置する当社を崇敬し、
更めて社殿を造立されました。
以後、歴代の将軍家を始め、鎌倉幕府の尊社として篤く崇敬され、
「吾妻鏡」には二代将軍頼家が大江広元を奉幣使として菅公300年忌を盛大に執行された事など、
社名がしばしば記されております。

この様に中世より特に崇敬された当社は、
足利、北条、豊臣、徳川の各氏によっても守られ、さまざまな寄進を受けて近世にいたりました。
現在では学問の神、正直者、努力を重ねるものを助ける神として年間多くの方々が参拝され、
社殿はいつも「祈願」「お礼」の絵馬で覆われています。

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荏柄天神社の基本情報

住所神奈川県鎌倉市二階堂74
行き方

・JR横須賀線「鎌倉駅」東口 または 江ノ島電鉄「鎌倉駅」西口より、徒歩22分。/・JR横須賀線「鎌倉駅」東口バスターミナル4番のりばから、京急バスの鎌20系統 ’ 大塔宮(だいとうのみや) ’ 行きバス乗車の
乗車時間約8分「天神前(てんじんまえ)」バス停下車し徒歩約2分。

アクセスを詳しく見る
名称荏柄天神社
読み方えがらてんじんしゃ
通称荏柄天神(えがらてんじん)
参拝時間

8時半~16時半

参拝にかかる時間

15分ほど

参拝料

なし

トイレあり。門から入って、右方向。
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0467-25-1772
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスegara-tenjinsha@jcom.zaq.ne.jp
ホームページhttp://www.tenjinsha.com/
おみくじあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》菅原道真、
《合》八雲大神,
創建時代伝・長治元年(1104年)の縁起。/ 伝・治承4年(1180年)源頼朝による再建再興
本殿三間社流造
文化財

拝殿 _ 国指定重要文化財

ご由緒

< 公式HPより引用 _ http://www.tenjinsha.com/gosaijin.html >

長治元年(1104年)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、
神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まります。
関東を中心に各地に分社をもち、
福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三古天神社と称される古来の名社です。

古くは荏柄山天満宮とも称されました。
荏柄の社号は、
天平7年(735年)の『相模国封戸租交易帳』などに見える「荏草郷」の”えがや”が
後に転じて”えがら”となり、「荏柄」と表記されたものと考えられています。

治承4年(1180年)鎌倉大蔵の地に幕府を開いた源頼朝公は幕府の鬼門に位置する当社を崇敬し、
更めて社殿を造立されました。
以後、歴代の将軍家を始め、鎌倉幕府の尊社として篤く崇敬され、
「吾妻鏡」には二代将軍頼家が大江広元を奉幣使として菅公300年忌を盛大に執行された事など、
社名がしばしば記されております。

この様に中世より特に崇敬された当社は、
足利、北条、豊臣、徳川の各氏によっても守られ、さまざまな寄進を受けて近世にいたりました。
現在では学問の神、正直者、努力を重ねるものを助ける神として年間多くの方々が参拝され、
社殿はいつも「祈願」「お礼」の絵馬で覆われています。

体験絵馬御朱印お守り重要文化財花の名所
感染症対策内容

< 公式HP より >
・接触回避の為、 御朱印は書き置いたもののみ対応します。
・御参詣の適わない方へ授与品の郵送を承っております。

Wikipediaからの引用

概要
荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある菅原道真を祀る神社。鶴岡八幡宮の東方に位置し、鎌倉と神奈川県横浜市金沢区六浦を結ぶ金沢街道に参道が接続し、参道入口から300mほど入った小台地にある。鎌倉時代初期より鎌倉幕府との関わりが記録に見え、武家政権の守護神として、鶴岡八幡宮とともに信仰された神社である。関東を中心に茨城県、千葉県、埼玉県に数社の分祠、愛知県に2社、広島県に1社の分祠がある。境内から南西約200mに、源頼朝が鎌倉に入り邸を構え幕府を開いたとされる大倉御所があり、谷を挟さんで約300m西側の丘陵には史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)がある。
歴史
概略[編集] 社伝によれば、長治元年(1104年)、菅原道真を勧請し創立されたと伝わり、古くは荏柄山天満宮とも称される[1]。創祀については、社蔵の江戸時代の書「相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起」によると、長治元年(1104年)8月25日に、空が突如暗くなり雷雨と共に黒い束帯姿の天神画像が天降り、里人がこの神験をおそれ降臨の地に社殿を建て、その画像を納め崇拝し、銀杏の木を植え神木としたとあり、境内には今も大銀杏がある[1]。天保12年(1841年)の『新編相模国風土記稿』には、鎌倉幕府の鬼門鎮護のために祀られたとの社伝が記されている[2]。社号の「荏柄」は、正倉院文書の天平7年(735年)の『...Wikipediaで続きを読む
行事
行事[編集] 下記行事が行われる[1][2]。 月行事[編集] 毎月25日:月次祭 - 天神様の御縁日 年行事[編集] 1月6日:新年祭 1月15日:左義長神事 1月25日:初天神祭 - 1年で最初の天神様の日。御殿にて祭事を執り行ったあと、参道中央で筆供養が行われる。 2月8日:針供養 - 「柔らかいお豆腐」に針を刺し、使い終えた針の霊を労い技術の上達を祈る。 2月17日:祈年祭 7月「海の日」の前の日曜:御輿渡行() - 二階堂の町中を神輿が巡行 7月24日:宵宮祭 - 例大祭の前夜に、境内で、祭囃子の響く中、子供たちの奉納行灯や模擬店が設置され、祭典や神賑(かむにぎわい)が行われ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報荏柄天神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%8D%8F%E6%9F%84%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=92182828

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