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ようふくじ あと

永福寺跡(永福寺址)

神奈川県 鎌倉駅

4月から10月までの間は 午前9時から午後5時まで /11月から3月までの間は 午前9時から午後4時30分まで

投稿する
鎌倉市役所文化財部文化財課:0467-61-3857

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

パーキング
駐車場
なし

なし

御朱印について
御朱印
なし
ありません

永福寺跡(永福寺址)について

源頼朝は鎌倉に3つの大きな寺院を建立しました。
一つ目は鶴岡八幡宮(鶴岡八幡宮寺)、二つ目は勝長寿院、三つ目は永福寺。
現在、残っているのは鶴岡八幡宮だけで後の2つは焼失してしまいました。
この地は周辺約9万平方メートルは源頼朝が建立した永福寺の跡で、国指定史跡に指定されています。
(参考:ホトカミ _ 勝長寿院跡https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkyty/Hkytytm/Dmspz/152671/)

鎌倉市二階堂 「瑞泉寺」手前の分岐路に在ります。 瑞泉寺へは直進。
右折して ’ 理智光寺橋 ’ を渡ると史跡碑「理智光寺跡」と宮内庁管理「後醍醐天皇皇子 護良親王墓所」が在ります。理智光寺橋 ’ 周辺は紅葉の時季が綺麗です。
(参考:ホトカミ _ 理智光寺跡
https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkyty/Hkytytm/Dmspz/149307/)

左折すると ’ 獅子舞 ’ 谷戸へ通じ、紅葉の時季が綺麗です。
ただし 私有地地区を通過させていただくので、鎌倉市はハイキングコースとしての紹介を控えているようですのでマナーを心得ての散策をお願いいたします。

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ハマの「寺(テラ)」リスト
2022年12月22日(木)
2107投稿

チャリで行く!鎌倉 12

瑞泉寺から自転車で鎌倉宮へ戻る途中に広い敷地に堂宇の跡。鎌倉時代初期に源頼朝が中尊寺の二階大堂と大長寿院を模して作られた寺院です。
鶴岡八幡宮、勝長寿院と並んで鎌倉三大寺社の一つとされていました。

1192年に奥州征伐を契機に源義経や藤原泰衡らの英霊の冥福のために建立されましたが、1405年に消失し廃絶されました。

長い間、草むらが生い茂っていましたが、2017年に寺院の基礎部分の復元がされて公開されました。

この寺院が二階建ての仏堂だったことから「二階堂」という地名がつけられたそうです。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

案内図。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

CGによる復元です。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

宇治の平等院にも感じます。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

肌寒い冬に戯れる鳥たち。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

南側の釣殿の跡。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

阿弥陀堂跡。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

阿弥陀堂と仏堂を結んでいたとされる回廊跡。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

地名に由来にもなっている「二階堂」こと仏堂跡です。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

薬師堂跡。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

北側の釣殿の跡です。

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

広大な敷地に豪華絢爛な寺院だったと想像します。
鎌倉の武家文化の象徴だったかと思います。

実際に復元していたらどんな感じだったのか想像してしまいます。

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mitch
2020年12月13日(日)
2075投稿

20.12.11 鎌倉 ’ 国指定遺跡 永福寺跡 ’ 紅葉の頃 _ 鎌倉市二階堂

このページは紅葉の写真ばかりになってしまったけど・・・ 
・・・もう20年以上も前になるのだろうか、
発掘調査中に ここを観るだけの目的でここを訪れた。
当時は無かったデジタルカメラは勿論 カメラを持ち歩く習慣などなかったので、
発掘調査中を たとえ遠方からの写真とか 年月日の記録はない。
 折を見て年単位での発掘調査の進捗を
柵の外からでも傍観させてもらおう思っていたら・・・ ・・・
・・・ ・・・埋め戻されてしまい、草に覆われた野っ原になっていた。

十数年経った 06.01.08 時点の写真でも埋め戻されたままだった。

鶴岡八幡宮(廃仏毀釈前の鶴岡八幡宮寺)・勝長寿院・永福寺の
源頼朝が最初期に建立した三寺院の一つの跡として
鎌倉時代の歴史に於いて重要な場所なのだが、
歴史への興味も薄れて 瑞泉寺へ行く途中の場所としか思わなくなってしまっていた。
.

たぶん土地買収なども経て現在のように整備されたが、
_ たとえばベンチの増設とかレクリエーション施設追加など _
未調査のテニスコート辺りを除いて
歴史的価値保存として 現在以上の劇的な整備はない ’ かもしれない ’ と思っている。
   (他県にも ’ 永福寺 ’ が在るので、検索の際に注意)
過去の写真と重複するので 再訪しても もう撮ることは少ないかもしれないが、
今回は 冬の永福寺跡として 撮影立ち位置や方向の説明なしに紅葉の写真だけを貼った。

永福寺跡(永福寺址)の建物その他

01) ” 国指定史跡 永福寺跡( ようふくじあと ) 案内図 ”_ 倉市二階堂
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永福寺跡(永福寺址)の建物その他

02-1) ” 国指定史跡 永福寺跡 ” 解説ボード(1) 

永福寺跡(永福寺址)の建物その他

02-2) ” 国指定史跡 永福寺跡 ” 解説ボード(1)
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永福寺跡(永福寺址)の歴史

03-1) ” 国指定史跡 永福寺跡 ” 解説ボード(2)

永福寺跡(永福寺址)の建物その他

03-2) ” 国指定史跡 永福寺跡 ” 解説ボード(2)
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永福寺跡(永福寺址)の歴史

04-1) ” 鎌倉の旧地名 三堂(現在の二階堂) ” 解説ボード 

永福寺跡(永福寺址)(神奈川県)

04-2) ” 鎌倉の旧地名 三堂(現在の二階堂) ” 解説ボード 

永福寺跡(永福寺址)の建物その他

04-3) ” 鎌倉の旧地名 三堂(現在の二階堂) ” 解説ボード 
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永福寺跡(永福寺址)の建物その他永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の景色永福寺跡(永福寺址)の建物その他永福寺跡(永福寺址)の周辺永福寺跡(永福寺址)の景色永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の景色永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然永福寺跡(永福寺址)の自然

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20.12.11E #鎌倉 ’ #国指定遺跡 #永福寺跡 ( #ようふくじあと ) ’ #紅葉 の頃
_ #鎌倉市二階堂 / #2020紅葉
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-12-13?1607809507

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歴史

史跡永福寺跡はJR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在する、源頼朝が建立した寺院の跡です。源義経、藤原泰衡等、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため、平泉の中尊寺二階大堂等を模して建立され、建久五年(1194)に三堂が完成しています。鎌倉幕府の御願寺として手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。

山林に囲まれた東西約100m、南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、その周囲の山林や谷戸も含め、約88,000平方メートルが史跡に指定されています。昭和58年度から平成8年度まで発掘調査が行われ、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂を中心とする壮大な伽藍や庭園の存在が確認されました。

伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、両側の堂からはL字型の廊が付属し、中門・釣殿がつくられていました。こうした伽藍配置とその規模は他に例を見ないもので、源頼朝の独創性を示すものとして注目されています。東に向く堂の前には南北約200m、東西約40~70mの広大な苑池がつくられ、二階堂の前には橋が架けられていました。

鎌倉市役所Webサイトの「史跡永福寺跡の公開について」のページから、全文を引用。
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/yohukuji_cg.html

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永福寺跡(永福寺址)の基本情報

住所神奈川県鎌倉市二階堂209
行き方

JR鎌倉駅から「鎌倉宮(大塔宮)」行きバスを利用し「大塔宮」下車、瑞泉寺に向かい徒歩5分。
JR鎌倉駅東口から徒歩25分

アクセスを詳しく見る
名称永福寺跡(永福寺址)
読み方ようふくじ あと
参拝時間

4月から10月までの間は 午前9時から午後5時まで /11月から3月までの間は 午前9時から午後4時30分まで

参拝にかかる時間

1時間

参拝料

なし

トイレなし( ヒント: 遠いですが「鎌倉宮」へ戻って鳥居右方に無料トイレがあります。遠いですが先の「瑞泉寺」参拝と併せて受付周辺で借用可能です。)
御朱印なし
電話番号鎌倉市役所文化財部文化財課:0467-61-3857
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

宗旨・宗派
創建時代建久五年(1194)に三堂が完成/応永12年(1405)焼失
開山・開基源頼朝
ご由緒

史跡永福寺跡はJR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在する、源頼朝が建立した寺院の跡です。源義経、藤原泰衡等、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため、平泉の中尊寺二階大堂等を模して建立され、建久五年(1194)に三堂が完成しています。鎌倉幕府の御願寺として手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。

山林に囲まれた東西約100m、南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、その周囲の山林や谷戸も含め、約88,000平方メートルが史跡に指定されています。昭和58年度から平成8年度まで発掘調査が行われ、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂を中心とする壮大な伽藍や庭園の存在が確認されました。

伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、両側の堂からはL字型の廊が付属し、中門・釣殿がつくられていました。こうした伽藍配置とその規模は他に例を見ないもので、源頼朝の独創性を示すものとして注目されています。東に向く堂の前には南北約200m、東西約40~70mの広大な苑池がつくられ、二階堂の前には橋が架けられていました。

鎌倉市役所Webサイトの「史跡永福寺跡の公開について」のページから、全文を引用。
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/yohukuji_cg.html

体験重要文化財武将・サムライ

Wikipediaからの引用

概要
永福寺跡(ようふくじあと)は、神奈川県鎌倉市二階堂(旧二階堂村)にある寺院跡。鎌倉時代初期に源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院で、鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つであった。二階建ての仏堂であった事から二階堂とも称された。寺跡は国の史跡に指定されている。また世界遺産候補となっている武家の古都・鎌倉の構成資産のひとつ。
歴史
歴史[編集] 源頼朝は文治5年(1189年)9月の奥州合戦を契機に、数多の戦を供養し源義経・藤原泰衡をはじめとする数万の怨霊・英霊をしずめ、冥福を祈るための寺院の建立を発願。その年の12月には永福寺の建立に着手した。造立責任者は工藤行政、建立には畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が『吾妻鏡』に記載されている。建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われた。 応永12年(1405年)の火災[1]ののち廃絶した。 ^ 新編相模国風土記稿 二階堂村 永福寺蹟.
引用元情報永福寺跡」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B8%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E8%B7%A1&oldid=85276915

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