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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年12月※太平寺跡<史跡>ではいただけません

たいへいじあと<しせき>

太平寺跡<史跡>

神奈川県 鎌倉駅

パーキング
駐車場
なし

なし

御朱印について
御朱印
なし
ありません

太平寺跡<史跡>について

廃寺の際に、仏殿を円覚寺塔頭「正続院」へ移築したとされる。 これが現在、円覚寺の国宝「舎利殿」です。
聖観音菩薩は、数奇な運命を経て東慶寺に安置。
.
訪問なされる方におかれましては 折角ここまで来られても石碑だけなのですけれども、
ほぼ同一場所と言えるくらいの直近に 西御門「来迎寺」参道階段登り口 と 西御門「八雲神社」鳥居が在り
同日中に参拝ができます。

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mitch
2020年06月29日(月)
2043投稿

20.07.25 史跡、鎌倉尼五山第一位、 ” 太平寺跡 ” 石碑 _ 鎌倉市西御門1丁目10−10

太平寺跡<史跡>の歴史

01-0)  史跡、鎌倉尼五山第一位 ” 太平寺跡 ” 石碑 
        _ 鎌倉市西御門(にしみかど)1丁目10−10
.
関東の比丘尼トップの 青岳尼(しょうがくに)が還俗して
安房の戦里見義弘の正室となり住職を失い、廃れたからというよりも
廃寺にせざるを得なかった歴史的に重要な経緯がある。
(後年に「高松寺」として再興したが、関東大震災倒壊後に廃寺。
 山門は、鎌倉山料亭「檑亭(らい亭)」の門として移設された。)
仏殿を円覚寺塔頭「正続院」へ移築したとされる。
これが現在、円覚寺の国宝「舎利殿」。
.
写真左方の坂を十数m登った先が金網に囲まれ施錠されたテニスコートで、
周辺一帯に 嘗ての 尼五山第一位「太平寺」の伽藍が建っていたとされる。
(因みに 石碑背後の階段は、「満光山 来迎寺」参道階段。
        撮影立ち位置背後は、西御門「八雲神社」。)
無知な私が解説めいたことを書くよりも
他の多くの方が労作をWebサイトで公開してくださっているので、
そちらを参照願いたし。
.
概略;

・1282年頃開山。
     諸説あるうちで、
     源頼朝が池禅尼の昔 の助命恩義に報いるため
     その姪のために建てさせたと云われている。

  → 1556年頃 数奇な運命を経て廃寺。
     数奇な運命経て鎌倉に戻った本尊聖観音菩薩像は東慶寺に移された。 

  → 江戸時代1643年頃
     跡地に ’ 日蓮宗 高松寺(こうしょうじ / 尼寺) ’ として開山

  → 1923年関東大震災で 高松寺全壊
    < 山門は鎌倉山の料亭「雷亭」へ移築 >
     < 宮城県栗原市若柳川北原畑37-1 の ” 高松寺 ” が、
                 移転先 ’ らしい ’ です。 >

太平寺跡<史跡>の建物その他

01-1)  ” 太平寺跡 ” 石碑(上/3) 

太平寺跡<史跡>の建物その他

01-2)  ” 太平寺跡 ” 石碑(中/3)

太平寺跡<史跡>の建物その他

01-3)  ” 太平寺跡 ” 石碑(下/3)
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太平寺跡<史跡>の周辺

02-1) 鎌倉尼五山第一位 太平寺大伽藍跡の一部とされる、
              現 ’ 西御門テニスコート ’(左/3)
立ち位置前全面を阻む大門扉の柵状空間から撮った。
テニスコートを囲む三方の山が、数階の雛壇状になっている ’ そうだ ’。

太平寺跡<史跡>の周辺

02-2) 太平寺大伽藍跡の一部とされる、現 ’ 西御門テニスコート ’(中/3) 

太平寺跡<史跡>の周辺

02-3) 太平寺大伽藍跡の一部とされる、現 ’ 西御門テニスコート ’(右/3) 
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20.06.25 #史跡 、#鎌倉尼五山 第一位、 ” #太平寺跡 ” #石碑 _ #鎌倉市西御門 
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-06-28

/ #青岳尼 #鎌倉

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mitch
2020年02月23日(日)
2043投稿

20.02.15   ’ 太平寺跡 ’ 石碑 < 史跡 > _ 鎌倉市西御門

太平寺跡<史跡>の歴史

’ 太平寺跡 ’ 石碑 < 史跡 > _  鎌倉市西御門1丁目10−10
今回はカメラの電池切れにて騙し騙し、何とか撮ることができた三枚だけ。
写真左方の坂を十数m登った先が金網に囲まれ施錠されたテニスコートで、
周辺一帯に 嘗ての 尼五山第一位「太平寺」の伽藍が建っていたとされる。
(因みに 石碑背後の階段は、「満光山 来迎寺」参道階段。
       撮影立ち位置背後は、西御門「八雲神社」。)
.
概略;
・1282年頃開山 → 1556年頃廃寺。劇的な事情で廃寺 →
  →江戸時代1643年頃 ’ 高松寺(尼寺) ’ として開山→
  →1923年関東大震災で全開 < ← 山門は鎌倉山「雷亭」へ移築 >

・ 円覚寺 国宝 ’ 舎利殿 ’ は「太平寺」から移築された仏殿。
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cf. 太平寺跡の碑文と説明 
    http://www.kcn-net.org/sisekihi/taihei.htm  
(e-ザ鎌倉・ITタウン さま http://www.kcn-net.org/index.html の
   鎌倉市石碑 全83ヶ所 http://www.kcn-net.org/sisekihi/menu.htm
                 からURLを引用させていただきました)

太平寺跡<史跡>の歴史太平寺跡<史跡>の建物その他

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***********************
20.02.15 ’ #太平寺跡 ’ #石碑 < #史跡 > _ #鎌倉市西御門 
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2020-02-22-5

/ #鎌倉 #鎌倉尼五山第一位太平寺 #太平寺 #円覚寺舎利殿 #高松寺 

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歴史

概略;・1282年頃開山。
     諸説あるうちで、
     源頼朝が池禅尼の昔 の助命恩義に報いるため
     その姪のために建てさせたと云われている。

  → 1556年頃 数奇な運命を経て廃寺。
     数奇な運命経て鎌倉に戻った本尊聖観音菩薩像は東慶寺に移された。 

  → 江戸時代1643年頃
     跡地に ’ 日蓮宗 高松寺(こうしょうじ / 尼寺) ’ として開山

  → 1923年関東大震災で 高松寺全壊
    < 山門は鎌倉山の料亭「雷亭」へ移築 >
     < 宮城県栗原市若柳川北原畑37-1 の ” 高松寺 ” が、
                 移転先 ’ らしい ’ です。 >
.
鎌倉尼五山第一位で関東の比丘尼トップの 青岳尼(しょうがくに)が還俗して
安房の戦里見義弘の正室となり住職を失い、
廃れたからというよりも 廃寺にせざるを得なかった歴史的に重要な経緯がある。
(後年に「高松寺」として再興したが、関東大震災倒壊後に廃寺。
 「高松寺」の山門は、鎌倉山の料亭「檑亭(らい亭)」の門として移設された。)
仏殿を円覚寺塔頭「正続院」へ移築したとされる。
これが現在、円覚寺の国宝「舎利殿」。

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太平寺跡<史跡>の基本情報

住所神奈川県鎌倉市西御門1丁目10−10
行き方

JR横須賀背線「鎌倉駅」 または 江ノ電「鎌倉駅」から、徒歩20分。

アクセスを詳しく見る
名称太平寺跡<史跡>
読み方たいへいじあと<しせき>
参拝時間

いつでも可能です

参拝にかかる時間

5分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印なし

詳細情報

宗旨・宗派
ご由緒

概略;・1282年頃開山。
     諸説あるうちで、
     源頼朝が池禅尼の昔 の助命恩義に報いるため
     その姪のために建てさせたと云われている。

  → 1556年頃 数奇な運命を経て廃寺。
     数奇な運命経て鎌倉に戻った本尊聖観音菩薩像は東慶寺に移された。 

  → 江戸時代1643年頃
     跡地に ’ 日蓮宗 高松寺(こうしょうじ / 尼寺) ’ として開山

  → 1923年関東大震災で 高松寺全壊
    < 山門は鎌倉山の料亭「雷亭」へ移築 >
     < 宮城県栗原市若柳川北原畑37-1 の ” 高松寺 ” が、
                 移転先 ’ らしい ’ です。 >
.
鎌倉尼五山第一位で関東の比丘尼トップの 青岳尼(しょうがくに)が還俗して
安房の戦里見義弘の正室となり住職を失い、
廃れたからというよりも 廃寺にせざるを得なかった歴史的に重要な経緯がある。
(後年に「高松寺」として再興したが、関東大震災倒壊後に廃寺。
 「高松寺」の山門は、鎌倉山の料亭「檑亭(らい亭)」の門として移設された。)
仏殿を円覚寺塔頭「正続院」へ移築したとされる。
これが現在、円覚寺の国宝「舎利殿」。

体験伝説

Wikipediaからの引用

概要
太平寺(たいへいじ)は相模国鎌倉郡西御門村(現神奈川県鎌倉市西御門)に存在した臨済宗の尼寺。 鎌倉尼五山の筆頭として高い寺格を有したが、1556年(弘治元年)に発生した里見義弘による鎌倉攻撃の影響を受けて廃寺となった。(大永鎌倉合戦の影響とする説もある)
歴史
歴史[編集] 開山は相模の豪族の娘で千葉氏に嫁いだのち出家した妙法尼[1]で、1282年~1284年(弘安5~7年)頃に大休正念を導師として仏殿の供養がされた。[2]また、異説として開山を池禅尼の姪とする説もある。『新編相模国風土記稿』も開山を不詳としながら、源頼朝が池禅尼の姪の要望を聞き入れ建立したという説を併記している。[注釈 1] 後年清渓尼(足利基氏の正妻)が再興し、以降代々鎌倉公方家の信仰を集めた。『新編相模国風土記稿』によると足利持氏の娘昌泰道安、足利成氏の娘昌全義天、足利義明の娘青岳尼などが住職を務めた[3] 1556年(弘治元年)、安房の里見義弘が鎌倉を攻めた際、太平寺も...Wikipediaで続きを読む
引用元情報太平寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%AF%BA%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=91724945

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