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たいへいじあと<しせき>

太平寺跡<史跡>の御由緒・歴史
神奈川県 鎌倉駅

ご由緒

概略;・1282年頃開山。
     諸説あるうちで、
     源頼朝が池禅尼の昔 の助命恩義に報いるため
     その姪のために建てさせたと云われている。

  → 1556年頃 数奇な運命を経て廃寺。
     数奇な運命経て鎌倉に戻った本尊聖観音菩薩像は東慶寺に移された。 

  → 江戸時代1643年頃
     跡地に ’ 日蓮宗 高松寺(こうしょうじ / 尼寺) ’ として開山

  → 1923年関東大震災で 高松寺全壊
    < 山門は鎌倉山の料亭「雷亭」へ移築 >
     < 宮城県栗原市若柳川北原畑37-1 の ” 高松寺 ” が、
                 移転先 ’ らしい ’ です。 >
.
鎌倉尼五山第一位で関東の比丘尼トップの 青岳尼(しょうがくに)が還俗して
安房の戦里見義弘の正室となり住職を失い、
廃れたからというよりも 廃寺にせざるを得なかった歴史的に重要な経緯がある。
(後年に「高松寺」として再興したが、関東大震災倒壊後に廃寺。
 「高松寺」の山門は、鎌倉山の料亭「檑亭(らい亭)」の門として移設された。)
仏殿を円覚寺塔頭「正続院」へ移築したとされる。
これが現在、円覚寺の国宝「舎利殿」。

歴史
歴史[編集] 開山は相模の豪族の娘で千葉氏に嫁いだのち出家した妙法尼[1]で、1282年~1284年(弘安5~7年)頃に大休正念を導師として仏殿の供養がされた。[2]また、異説として開山を池禅尼の姪とする説もある。『新編相模国風土記稿』も開山を不詳としながら、源頼朝が池禅尼の姪の要望を聞き入れ建立したという説を併記している。[注釈 1] 後年清渓尼(足利基氏の正妻)が再興し、以降代々鎌倉公方家の信仰を集めた。『新編相模国風土記稿』によると足利持氏の娘昌泰道安、足利成氏の娘昌全義天、足利義明の娘青岳尼などが住職を務めた[3] 1556年(弘治元年)、安房の里見義弘が鎌倉を攻めた際、太平寺も...Wikipediaで続きを読む
引用元情報太平寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%AF%BA%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=91724945

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