ふだらくじ|真言宗大覚寺派|南向山
補陀洛寺
神奈川県 和田塚駅
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | なし(ただし、徒歩圏内にコインパーキングは在り。) |
千手院の次に補陀洛寺を参拝しました。この後に九品寺にも寄りましたが法要中だったので補陀洛寺が最後となりました。今回も沢山巡りました。鎌倉駅近くの町中華 大新にてラーメン・チャーハンで大満足でした。
補陀洛寺の本堂
補陀洛寺の内陣
鎌倉33観音17番の御朱印
補陀洛寺の由緒
21.10.09。先の千手院さんより徒歩5分。
鎌倉市材木座6丁目にある真言宗大覚寺派寺院。
正式名:南向山 帰命院 補陀洛寺
創建 養和元年(1181年)
開基 源頼朝
開山 文覚上人
本尊 十一面観世音菩薩
札所 鎌倉三十三観音霊場 第十七番
新四国東国八十八ヶ所霊場 第八十一番
弘法大師相模二十一ヶ所霊場 第十番
源頼朝公が打倒平家を祈るため、「祈願所」として建てた寺院です。創建当時は七堂伽藍を構えた大寺院でしたが、度重なる火災や竜巻の被害に遭い、現在の本堂を残すのみとなりました。別名「竜巻寺」と呼ばれています。寺名の「補陀洛(ふだらく)」とは、観世音菩薩の浄土を表す言葉であり、梵語のポータラカを音写したものです。(当寺リーフレットより)
静かな住宅街にひっそりと佇むお寺さんで、週末の昼下がり、本堂ではお檀家さんと思われる方の法事のお経が聞こえておりました。寺務所では住職の奥様(たぶん?)に直書きの御朱印を拝受しました。丁重なご対応に感謝です。
ご本尊
弘法大師相模二十一ヶ所霊場第10番
山門
右側は寺号標
「源頼朝公御祈願所 補陀洛寺」
左側の標石は「大師道」
参道
サルスベリの木
本堂
神奈川県立湘南高校の一瀬正毅先生を偲ぶ碑→夏の甲子園初出場優勝時(昭和24年)の野球部監督。
七重石塔
寺務所
直書きの御朱印を拝受しました。
補陀洛寺(ふだらくじ)は、鎌倉市材木座にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は南向山。本尊は十一面観世音菩薩。鎌倉三十三観音17番札所。
創建は1181年、開祖は源頼朝、開山は文覚上人。打倒平家で鎌倉入りした源頼朝の祈願寺。文覚上人は元武士で、頼朝とは流刑地の伊豆で知り合ったとされる。その後1350年に鶴岡八幡宮の供僧・頼供が中興するが、江戸期以降は寺領没収、竜巻・火災、関東大震災で規模は縮小、本尊、諸仏は無事に残っているとのこと。
当寺は、鎌倉駅の南南東1.5kmほどの場所にあり、南北に走る小町大路から東に100mほど入った静かな住宅街にある。小ぢんまりとした寺院なので見て廻るエリアは広くない。
参拝時は週末の昼ごろで、参拝者は他にはいなかった。
※鎌倉強化合宿2日目午前中、延命寺(鎌倉11番)、教恩寺(鎌倉12番)、別願寺(鎌倉13番)、安養院(鎌倉3番)、八雲神社、来迎寺(鎌倉14番)、向福寺(鎌倉15番)、九品寺(鎌倉16番)に続く9寺社目。午前中はここで終わり。
寺号標。
境内全景。
本堂正面。
御朱印はこちら。
住所 | 神奈川県鎌倉市材木座6-7-31 |
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行き方 | JR横須賀線鎌倉駅東口から、京急バス 7番のりば ’小坪経由 逗子駅行 ’約10分「材木座」バス停下車で徒歩2分。
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名称 | 補陀洛寺 |
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読み方 | ふだらくじ |
参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし(志納) |
トイレ | なし(ただし余裕があれば、参道のほぼ反対方向200m弱に材木座海岸公衆トイレがあります。近隣『光明寺』総門周辺200m弱のトイレ借用可能です。) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0467-22-8559 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
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山号 | 南向山 |
院号 | 帰命院 |
宗旨・宗派 | 真言宗大覚寺派 |
創建時代 | 1181年(養和元年) |
開山・開基 | 開山:文覚上人 開基:源頼朝 |
札所など | 鎌倉三十三観音霊場第17番札所 |
文化財 | 木造十一面観音立像 - 平安時代[3]
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ご由緒 | < 鎌倉市公式Webサイトの中学生向け解説から引用
補陀洛寺は別名竜巻寺(たつまきでら)ともいわれ、
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体験 | 仏像御朱印武将・サムライ札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 補陀洛寺(ふだらくじ)は、神奈川県鎌倉市材木座に所在する真言宗大覚寺派の寺院。山号は南向山。創建は養和元年(1181年)で、開山は文覚上人。開基は源頼朝。本尊は十一面観音菩薩。たびたび竜巻に襲われているため、別名「竜巻寺」とも。鎌倉三十三観音霊場第17番札所。 |
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歴史 | 歴史[編集] 源頼朝の祈願所として建立された。もと京都仁和寺の末寺で、その後鎌倉市手広の青蓮寺の末寺だったが、現在は京都大覚寺の末寺となっている。本尊の十一面観音立像(平安時代)、薬師如来及び両脇侍像(中尊は行基、脇侍は運慶作との伝があるが、江戸時代の作[1]とも)など多くの仏像が安置されており、明治元年に寺が火災で建物は全半壊した際、これらの仏像類が全て無事であったという記録も残っている。 ^ 『鎌倉仏像めぐり』、p.54 |
アクセス | アクセス[編集] 江ノ電和田塚駅より徒歩17分 京浜急行バス鎌倉発逗子駅行き鎌40系統、鎌倉発小坪行き鎌41系統材木座バス停より徒歩2分 駐車場なし |
引用元情報 | 「補陀洛寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A3%9C%E9%99%80%E6%B4%9B%E5%AF%BA&oldid=96658035 |
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