かみかわじんじゃ
上川神社
公式北海道 神楽岡駅
本殿開扉:夏季7:00~17:00 冬季7:00~16:30
明日より節分追儺の福豆を頒布致します!
例年ご好評をいただいておる福豆ですが、より多くの方々に頒布出来るようおひとり様10袋までとさせて頂きます。
1袋100円の初穂料となり、明日24日より2月3日節分までの頒布となりますが、無くなり次第終了となりますのでご了承ください。
節分は宮中で行われていた追儺式(ついな)という鬼や邪気を祓う儀式が起源とされており、豆は魔滅ともいい自身や家中から魔を滅するために撒くとされてきました。
皆様は豆撒きされてますか?
ご家庭では年男や年女、厄年にあたる御家族が撒くといいでしょう。そして家内安全や家族の安泰を願い、豆を食べます。この時は自身の数え年分豆を食べましょう!
これが節分追儺の豆撒きです!
こちらの福豆は上川神社大前にて祓い清め、大神様の御神威籠る福豆です。
ご家庭や御家族の安泰を願い節分追儺を行い皆様でお召し上がりください!
令和3年も年の瀬が迫り、年越しの準備を進められている事でしょう。
当神社も文字通り師走。職員一同お正月の準備に励んでおります。
例年年末のみ頒布しております『歳徳神(としがみさま)』を改めてご説明、ご紹介致します。
我が国では古来よりお正月とは新たな年を迎え、その歳の福の神様を自宅にお招きをして、鏡餅やおせち料理などでおもてなしをし、お喜びいただきお帰りをいただくと1年安泰で幸せに暮らせるという願いが込められた神事文化です。
お正月飾りや門松を飾るのは福の神様に是非こちらにお越しくださいとお知らせする目印となります。
そして家の中では床の間や歳神棚などで鏡餅などをお供えしお参りする事が大切になります。
皆様は床の間や歳神棚にお供えしてますか?
お正月飾りだけではダメなのです!
いざ目印を見て福の神様が起こしになってもお家の中にお供えなどがなければおもてなし出来ませんよね?
だからこそこの『歳徳神』をあしらった依代(よりしろ)が大切になります。
依代とは神様にお鎮まりいただくところの目印となるものです。
もちろん御幣などを立てて御祭されてもよろしいですが、なかなか御幣を作るのも大変です。
だからこそこちらを床の間や歳神棚にはっていただき、その前に鏡餅やおせち料理、お神酒などをお供えして、松の内の期間毎日お参りする事。これが本来のお正月の過ごし方になります。
皆様は正しいお正月をお迎え出来てますか?
こちらは上川神社社務所、上川神社頓宮社務所にて頒布しておりますので是非お授けいただき、令和4年では正しいお正月をお迎え致しませんか?
歳徳神(としがみさま)
西御料地神社から、プラタナス通りを経由して上川神社まで歩きました。
道路に面する社号標と一の鳥居の先には、長い石段が続いています。
冬は滑りやすいこともあり、上るのはなかなか大変です。
上りきると、参道は右に曲がって二の鳥居と拝殿があります。
二の鳥居のすぐ左にはここが上川離宮予定地であったことを示す碑があります。
その先には境内社の旭川天満宮があります。
鳥居の脇にある撫で牛を撫でてから、旭川天満宮を参拝しました。
それから上川神社の拝殿に向かい、参拝をします。
昨年参拝したときは拝殿の扉が開いていましたが、この日は閉じられていました。
拝殿内には椅子が並べられていましたので、厄払いの御祈祷をするために寒くないよう拝殿の扉を閉じているのでしょう。
参拝後、授与所に行き御朱印をお願いしました。
昨年参拝した時はコロナ禍のため書置きのみとなっていました。
今もまん防が適用されているので書置きじゃないかと思っていたのですが、お書き入れをしていただけるとのこと。
慌てて御朱印帳を出してお渡ししました。
こちらでは上川神社のほかに旭川天満宮と雨紛神社の御朱印もいただけますが、今回は上川神社のみいただきました。
さらに節分用に福豆もひとついただきました。
帰りは来た時よりも慎重に石段を下りました。
ちょっとでも気を緩めると滑りそうです。
無事に一の鳥居のところまで降りることができ、振り返って一揖をしました。
そしてまた振り向いて、ポケットからニット帽を取り出そうとしながら足を踏み出しました。
その瞬間、足がつるっと滑りました。
とっさに無駄な抵抗はしないようにして、その場に尻もちをつきました。
ちょうど石段に腰掛けるような体勢です。
でもすぐ後ろに人がいたので、大変恥ずかしかったです。
こういう失敗をやらかすたびに徒然草の「高名の木登り」を思い出します。
まったく兼好法師ってすごい人だったのですねえ。
【北海道 古社巡り】
上川神社(かみかわ~)は、北海道旭川市神楽岡公園にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、天照大神、大己貴大神、少彦名大神、岩村通俊命、他9柱。
1893年に上川地方の開拓守護神、旭川の鎮守として現旭川市宮下通に天照大神を奉祀したのが始まり。1903年に設立許可を受け、1904年に大己貴大神、少彦名大神を合祀、1906年に村社に列した。1913年に無社格の近文神社を合祀、1915年に郷社に、1923年に県社に昇格した。1924年に皇室御領地であった現在地に遷座した。1955年に別表神社に指定され、1966年に太宰府天満宮から分霊を受け境内に旭川天満宮を造営、1992年に上川地方の開拓功労者である岩村通俊命を合祀した。
当社は、JR函館本線・旭川駅の南東1.3kmの、忠別川南岸の小高い場所(神楽岡公園)の西端にある。境内はかなり広く、丘の西端全体が社地になっている。幹線道路・道道219号線沿いの鳥居から、なだらかに登る100段以上の階段を東向きに200m進んで、その後南向きにまっすぐ100m進んで社殿に至る造り。参道を進むたび、階段を登るたびに心が洗われるような、スケールの大きな荘厳さがある。
今回は、北海道の旧県社、別表神社ということで参拝することに。参拝時は午後遅めの時間で、自分以外にも参拝者をちらほら見掛けた。
境内西端入口の<一の鳥居>と<社号標>。
100m以上の距離を階段を挟みながらゆっくり登って行くと左に<手水舎>、右に<社務所>が見えてくる。少し高い位置にある駐車場から参道に入ると、この辺りに出てくる。
上写真の撮影位置で振り返るとこんな景色。一の鳥居の向こうに街並みが見える。
参道左側の、大きな<手水舎>。
<手水盤>にはお花が活けてあって、手前の手洗場にはカラフルな球や風車が置いてある。これなら大人も子供も見て楽しめる。(o^―^o)
突き当りの手前に広場があって、<神饌田>が設けられている。
参道の突き当りにある<祓所>。ここで参道は右に曲がる。
右を向くとすぐに<二の鳥居>。
鳥居をくぐって、右手にある<舞殿>。
鳥居をくぐって、すぐ左手にある<舞殿>。
幅の広い参道をまっすぐ進むと<社殿>。
参道左側の<狛犬>。顔(口)が大きく手足が短い独特な風貌。
参道右側の<狛犬>。すごく上向きで、顔が見えない...(^_^;)
<拝殿>全景。非常に大きく立派な構え。この社殿は珍しいことに北向きに建っている(正確には北北東ぐらいかな)。
<拝殿>正面。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿が非常に大きく、後ろの本殿が小さく見える。
斜めから見た<社殿>全景。
拝殿近くの<御製碑>。
参道途中の左側(東側)にある<旭川天満宮>。
<旭川天満宮>の社殿。
<旭川天満宮>の撫で牛。
参道を徐々に戻って<社務所>。御朱印はこちら。
社務所近くの<神池>。
当社の随所にある<風車の飾りつけ>。カラフルでなかなかきれい。(^▽^)/
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