やくせんじ|時宗
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神戸市兵庫区に在る医王山 薬仙寺を参拝しました。
時宗で、本尊は秘仏・薬師如来。
この本尊・薬師如来坐像は重文で、年に8/8、8/9の2日のみ開帳されます。開帳日に合わせて今回参拝した次第です。
また、本尊横に祀られる十一面観音立像は県指定文化財で、同じ日に開帳されます。
746年に行基によって開創と伝わります。当初は法相宗であったが、9世紀に天台宗に、14世紀に時宗に改宗。1945年の神戸大空襲により灰塵に帰したが復興、記憶に新しい1995年の阪神淡路大震災により倒壊したが2000年に復興した。
海近くで道路1本挟んで運河があります。境内南側にグラウンドの様な広い駐車場がありましたが入口が閉まっていましたので境内に停めさせて頂きました。境内には本堂、寺務所、檀徒会館、位牌堂がありました。(全て鉄筋コンクリート造り)
回向?施餓鬼会?の檀家さんばかり。本堂入口で受付されているご住職の奥様?から「どうぞゆっくり拝観されて下さい。仏像の前まで行って構いませんから。」と有難いお言葉。見慣れぬ奴で、塔婆の申込みもしないから一般参拝者とわかるのでしょうね。
それと、立てられている幟は「観音さまのおまつり 四万六千日法会」と「長谷試十一面観世音菩薩」の2種、てっきり本尊・薬師如来の縁日と思っていましたが十一面観音の縁日でした。(御朱印も「長谷試大悲殿」と書かれている。)
御朱印帳を渡して御朱印をお願いして本堂内へ。須弥壇の中央に本尊・薬師如来坐像、左側に十一面観音立像、右側に阿弥陀如来立像(近世の作)が祀られています。
薬師如来坐像は、高さ約89cm、一木造、どっしりとして包容力のあるふくよかな体躯、螺髪も1つ1つ螺旋に彫られています。平安時代後期の作。元々は阿弥陀如来だったが、何らかの理由で薬師如来に作り替えられたと伝わります。時宗の本尊は基本阿弥陀如来だから作り替える必要はないのですが・・・。
十一面観音立像は、高さ約86cm、寄木造。すらりとして気品があり、やや丸顔で若々しい。右手に錫杖を持つ長谷寺式。墨書銘により鎌倉時代の1278年の作。奈良県の長谷寺の十一面観音像を制作する時の試し彫りの像であると伝わります。(だから「長谷試」でしょうかね。)
拝観後にお願いしておいた御朱印を頂きました。塔婆に揮毫されているお忙しい最中にお手数お掛けしました。
御朱印
萱の御所跡碑
平清盛が後白河法皇を幽閉した建物跡の碑(運河拡張工事により水没するため碑を移設した)
後醍醐天皇御薬水/薬師出現古跡涌水
1333年に後醍醐天皇が流された隠岐から戻る際に兵庫で病気になり、この霊水を献納したら忽ち快復したと伝わる涌水
本堂
須弥壇
本尊・薬師如来坐像(重文)
十一面観音立像(県指定文化財)
阿弥陀如来立像
時宗 醫(医)王山 薬仙寺
天平18年(746年)行基による開山と伝えられています。
承元元年(1207年)に法然上人が讃岐に配流される際、こちらに立ち寄り、民衆を教化されたとのこと。
元々は天台宗だったようですが、延文年間(1356年~1360年)に京の霊山国阿(時宗8世)が中興し、時宗に改宗しています。
また元弘の変(1333年)の時、隠岐島に流されていた後醍醐天皇が、京に還幸の途中、兵庫津の福厳寺で病床に臥した。薬仙寺住職が、この井戸に湧いた水を天皇に献上したところ、天皇の病はたちまち癒えたという。
さらに、この薬仙寺にて、日本で最初の施餓鬼会が行われたと伝えられており、境内にはその碑が建てられていました。
萱の御所跡碑は、後白河法皇が平清盛に幽閉された場所で、元はここから北東約100メートルの地にあったそうで、昭和29年の新川運河拡張工事に際して、薬仙寺に石碑が移されたとのこと。
御朱印をいただこうかと思ったのですが、この日は何か取材があったのか、境内でカメラを持った方などがいらっしゃり、忙しそうにされていたため断念しました。
また別の機会に伺いたいと思います。
神戸市兵庫区今出在家町4-1-14
寺標
脚立が見えていますが、何かの取材か撮影をしていたみたいでした
山門
縁起
本堂
おびんずるさま
本堂内
御本尊の薬師如来坐像と脇侍仏の長谷試十一面観世音立像が祀られているとのこと
大輪田橋戦災・震災復旧モニュメント
後醍醐天皇御薬水薬師出現古跡湧泉
神戸空襲戦没者慰霊碑
萱の御所跡碑
大施餓鬼会日本最初之道場の碑
六地蔵
本堂 横から
兵庫七福神では寿老人をお祀りしています。
天平年中(729~748年)に行基が開山し、施餓鬼会を日本で最初に行った寺たと伝わる。
元は天台宗であったが、14世紀に中興の祖 国阿が時宗に改宗した。
社務所
本堂
後醍醐天皇御薬水 薬師出現古跡湧水
薬仙寺会館
寿老人
宝船
歴史
この地は奈良時代行基菩薩が開いたと傅えられる大輪田の湊に接し平安時代にはたびたび千僧供養が行われた所である。
承元元年(1207)法然上人が讃岐へ下るとき、ここへ立ち寄り大衆を教化され、文久元年(1861)には英国初代公使オールコックの一行が兵庫開港予定地を視察するため宿泊したゆいしょある寺院である。
名称 | 薬仙寺 |
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読み方 | やくせんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 078-671-1696 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
福原西国三十三観音霊場 第1番 | 御本尊:薬師如来・十一面観世音菩薩 御詠歌: 諸人の 願ひのままに なる薬 恵む仏の 誓ひたのもし |
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詳細情報
ご本尊 | 薬師如来 |
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宗旨・宗派 | 時宗 |
開山・開基 | 行基 |
文化財 | 木造薬師如来坐像、絹本着色施餓鬼図(重要文化財) |
ご由緒 | この地は奈良時代行基菩薩が開いたと傅えられる大輪田の湊に接し平安時代にはたびたび千僧供養が行われた所である。
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体験 | 御朱印重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り |
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