御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康をご祈願
全国の神社お寺に毎月お名前奉納します

ひょうごすみよしじんじゃ

兵庫住吉神社
兵庫県 中央市場前駅

パーキング
駐車場
あり

1

御朱印について御朱印
-
ありません

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年07月03日(木) 20時51分23秒
2736投稿

神戸市兵庫区にある神社です。
こちらも兵庫運河のすぐそばにあります。
神社の社殿はあまり目立たないのですが 隣接する清盛塚が目を引きます。
この日は参拝者はおらず 静かにお参りできました。
住吉神社ですから 大阪の住吉大社からの勧請ですね。
社殿は比較的新しく 阪神淡路大震災で被災したものを再建されたものでしょう。
本殿でのお参りをすませ 境内社の橋本稲荷神社でもお参りをすませ 隣接する清盛塚に行きます。
十三重塔があり 清盛の墓所とも伝わりますが 能福寺にも墓所がありましたので 不明です。
平敦盛公の兄である平経正公の墓所と言われる琵琶塚もあります。

ネット情報です。
主祭神は上筒男命 配祀神は中筒男命・底筒男命・神功皇后です。
神戸港の西へ続く海岸線 和田岬の手前 兵庫の津は古来風浪を避ける場所が無く 大風浪時には船を避難させることが出来ず 地元では難儀をしていた。
明治10年(1877)新川が完成 船の通運が全く安全になったので 地元商家住民の熱望に依り 海の守護神と仰ぎ奉る住吉大神を守護神に勧請せんとする熱意が実り 浪速の住吉大社より御勧請することとなり 地元の人々の敷地奉献の至誠により約700坪の境内地を造成し 豪壮な住吉造の社殿を竣工し 明治11年(1878)6月3日 遷座奉祝祭を斎行。
大東亜戦の戦火により 社殿以下付属舎悉く罹災し 畏くも御霊璽は和田神社御神霊と共に和田神社神域内にお遷ししていたが 昭和39年(1964) 社殿を復興御遷座。
平成10年(1998)は御創祀120年に当たり 奉祝に大石鳥居の奉建あり これを機に附属舎 境域整備等の奉賛事業を完了 平成11年(1999)奉祝祭斎行。

兵庫住吉神社(兵庫県)

正面鳥居

兵庫住吉神社(兵庫県)

御鎮座150周年記念事業について

兵庫住吉神社(兵庫県)

社号の石柱

兵庫住吉神社(兵庫県)

手水舎

兵庫住吉神社(兵庫県)

本殿

兵庫住吉神社(兵庫県)

扁額

兵庫住吉神社(兵庫県)

内陣

兵庫住吉神社(兵庫県)

由緒書

兵庫住吉神社(兵庫県)

境内社 橋本稲荷神社(宇賀魂大神)

兵庫住吉神社(兵庫県)
兵庫住吉神社(兵庫県)
兵庫住吉神社(兵庫県)

清盛塚

兵庫住吉神社(兵庫県)

十三重塔

兵庫住吉神社(兵庫県)

十三重塔について

兵庫住吉神社(兵庫県)

十三重塔について

兵庫住吉神社(兵庫県)

平相国菩提所 八棟寺無縁如来塔 の石柱

兵庫住吉神社(兵庫県)

史跡の石柱

兵庫住吉神社(兵庫県)

琵琶塚

兵庫住吉神社(兵庫県)

琵琶塚の由緒

兵庫住吉神社(兵庫県)

変な岩 なんじゃこりゃ

もっと読む
投稿をもっと見る|
8

歴史

神戸港の西へ続く海岸線、和田岬の手前、兵庫の津は、古来風浪を避ける場所が無く、大風浪時には船を避難させることが出来ず、地元では難儀をしていた。
明治十年新川が完成、船の通運が全く安全になったので、地元商家住民の熱望に依り、海の守護神と仰ぎ奉る住吉大神を守護神に勧請せんとする熱意が実り、浪速の住吉大社より御勧請することとなり、地元の人々の敷地奉献の至誠により約七百坪の境内地を造成し、豪壮な住吉造の社殿を竣工し、明治十一年六月三日、遷座奉祝祭を斎行した。
爾来、神社裏(西側)東方の能福寺に繋がる道路左右には、商家が軒を連ね、大正末年には、市電が柳原から中之島へ通じ、また、南西側に清盛塚が移設され、神社裏の道路左右には「清盛塚商店街」と名付けられ殷賑をきわめるに至った。
残念にも大東亜戦の戦火により社殿以下付属舎悉く罹災したが昭和三十九年氏子、崇敬者の赤誠溢れる助力奉賛により社殿以下を復興建立した。
平成十年は御創祀百二十年に当たり、奉祝に大石鳥居の奉建あり、これを機に付属舎、境内整備等の奉賛事業を完了、平成十一年七月二十五日に奉祝際を斎行した。

歴史をもっと見る|
14
名称

兵庫住吉神社

読み方

ひょうごすみよしじんじゃ

通称

兵庫の住吉さん

参拝料

なし

詳細情報

ご祭神《主》上筒之男命,中筒之男命,底筒之男命,息長帯比売命
ご由緒

神戸港の西へ続く海岸線、和田岬の手前、兵庫の津は、古来風浪を避ける場所が無く、大風浪時には船を避難させることが出来ず、地元では難儀をしていた。
明治十年新川が完成、船の通運が全く安全になったので、地元商家住民の熱望に依り、海の守護神と仰ぎ奉る住吉大神を守護神に勧請せんとする熱意が実り、浪速の住吉大社より御勧請することとなり、地元の人々の敷地奉献の至誠により約七百坪の境内地を造成し、豪壮な住吉造の社殿を竣工し、明治十一年六月三日、遷座奉祝祭を斎行した。
爾来、神社裏(西側)東方の能福寺に繋がる道路左右には、商家が軒を連ね、大正末年には、市電が柳原から中之島へ通じ、また、南西側に清盛塚が移設され、神社裏の道路左右には「清盛塚商店街」と名付けられ殷賑をきわめるに至った。
残念にも大東亜戦の戦火により社殿以下付属舎悉く罹災したが昭和三十九年氏子、崇敬者の赤誠溢れる助力奉賛により社殿以下を復興建立した。
平成十年は御創祀百二十年に当たり、奉祝に大石鳥居の奉建あり、これを機に付属舎、境内整備等の奉賛事業を完了、平成十一年七月二十五日に奉祝際を斎行した。

「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ