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おんせんじ|臨済宗妙心寺派醫王霊山

温泉寺
公式岐阜県 下呂駅

参拝可能時間
日の出~日没
参拝自由

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり
20台

巡礼

その他の巡礼の情報

中部四十九薬師霊場第37番
下呂温泉周遊七福神

温泉寺について

昔から、どんな人でも自由に出入りできた温泉寺。今は宿泊はできませんが、日の出から日没までは自由にお参りしていただけます。
警備も案内人もおりません。なるべくご自分の気のおもむくままにお参りしていただきたいからです。ただ、それゆえに、御朱印も書置きで、お守りなどもご自身でおさいせん箱へご志納いただいてます。ご不便をおかけしてますが、住職らしき人物に遭遇された場合は、声をかけていただけますと御朱印もお持ちのものに直書きさせていただきます。

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惣一郎
2022年09月01日(木)
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【飛騨國 古刹巡り】

温泉寺(おんせんじ)は、岐阜県下呂市湯之島にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は醫王霊山。本尊は薬師如来。一羽の白鷺が下呂温泉の源泉を知らせたという「白鷺伝説」に由来する寺院。本堂前の薬師如来像の下からは温泉がわき上がっており、霊泉とされる。

下呂温泉は平安時代の天暦年間(947年~957年)以前から存在していたが、鎌倉時代の1265年に源泉が涸れてしまった。翌日、飛騨川の河原に一羽の白鷺が舞い降りたのを村人が気付き、その場に行くと温泉が湧き出ていた。白鷺は高く舞い上がり、中根山中腹の松に止まった。その松の下には一体の薬師如来が鎮座していたため、その後「湯島薬師堂」が創建された。江戸時代に入ると、1671年に禅昌寺八世剛山和尚を中興開山に迎え、「醫王霊山 温泉寺」として再興した。

当寺は、JR高山本線・下呂駅の北北東600mの、飛騨川東岸の小山の斜面にある。ちょうど山の裾野、温泉街の外れの位置にあって、観光客にとっても参拝しやすい場所にある。境内の低い場所は墓地になっていて、一番高い場所に本堂などの伽藍が並んでいる。本堂周辺はさほど広くはないので、いくつかの建物でいっぱいになっている。ただ、手書きの参拝案内もあり、見どころはたくさんあって面白い。

今回は、旅行情報サイト<じゃらん>と<4travel>で人気の寺院として紹介されていたため参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、自分たち以外にも数人参拝者が訪れていた。

温泉寺の建物その他

温泉街の通りから少し登ったところにある、境内南西端入口。

温泉寺の地蔵

本堂までの階段の左脇にある<子守地蔵尊>。

温泉寺(岐阜県)

真っ直ぐ伸びる階段を登っていく。階段途中の右側には駐車場がある。

温泉寺(岐阜県)

階段を百数十段登ると<山門>。「醫王霊山」と書かれた扁額と寺院幕により引きしまった外観になっている。

温泉寺の建物その他

山門下の看板に貼ってある案内図。親切さも有り難く、ご住職の人柄が見えてきて面白い。

温泉寺の建物その他

山門をくぐって左手にある<臨済宗妙心寺派の宗務所>。

温泉寺(岐阜県)

山門をくぐって突き当りにある建物。

温泉寺(岐阜県)

山門の右隣にある<鐘楼>。

温泉寺(岐阜県)

山門をくぐって、右斜め前にある<本堂>。

温泉寺の本殿

<本堂>全景。重層屋根と真っ赤な絨毯が印象的。本堂手前左側にあるのは<湯掛薬師如来>。柄杓で救ったお湯を、薬師如来に掛ける際、自分の身体の治したい部位に掛けると治るといわれる。

温泉寺の本殿

<本堂>正面。

温泉寺の本殿

<本堂>内部。

温泉寺の建物その他

本堂内は基本無人だが、授与品が並んでおりセルフで拝受できる。書置きで数種類用意されている御朱印もこちらでセルフで拝受する。

温泉寺(岐阜県)

堂手前右側にある<旧飛騨屋邸地蔵堂>。史跡で、1807年建立。飛騨屋は元禄期より北海道にて松生藩の下、アイヌやロシアと交易し、北前船などで材木や魚介類を本州に輸送した大財閥。この檜皮葺の地蔵堂は飛騨屋久兵衛4代目益郷が毛呂本店屋敷内に建立したものを移築している。

温泉寺の本殿

最後に斜め前から<本堂>。見た目も綺麗で華やか~♪ (^▽^)/

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歴史

1265年、しらさぎに姿を変え、飛騨川畔の温泉源泉を村人に伝えたという薬師如来を本尊としておまつりしています。
源泉を知らせたしらさぎは、そのまま山の中腹の松に羽を休め、その後を追った村人が松の下に鎮座された薬師如来を発見しました。以来、その場所に湯之島薬師堂を建立し、その薬師如来をおまつりしました。
室町時代、安土桃山時代には主に東海地方の武士が湯之島薬師堂に寝泊まりし、負った傷を癒しました。
江戸時代に入ると、甲斐国(現・山梨県)武田信玄の配下で金山採掘技術集団の武川家が下呂へ移り、3代目武川久右衛門倍良により、湯之島薬師堂は臨済宗妙心寺派・温泉寺に生まれ変わりました。そして、傷や病を癒しに訪れる方は、当時年間3万人を数えたと言われています。
遊行僧・円空や木食上人も当寺を訪れ、湯治客とともに本堂で寝泊まりしました。
江戸時代中期から後期にかけて、願かけに柱に書かれた願文や、絵馬が今も本堂に多数残っています。

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温泉寺の基本情報

住所岐阜県下呂市湯之島680
行き方

JR高山線 下呂駅より徒歩15分

中央道 中津川ICより車で60分
東海環状道 美濃加茂ICより車で60分

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名称温泉寺
読み方おんせんじ
参拝時間

参拝可能時間
日の出~日没
参拝自由

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0576-25-2465
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@onsenji.jp
ホームページhttp://www.onsenji.jp/
お守りあり

巡礼の詳細情報

中部四十九薬師霊場

第37番

詳細情報

ご本尊南無薬師如来(通称・湯薬師如来)
山号醫王霊山
宗旨・宗派臨済宗妙心寺派
創建時代1671年
開山・開基剛山祖金禅師・武川久右衛門倍良
文化財

飛騨屋久兵衛の墓(県指定史跡)

ご由緒

1265年、しらさぎに姿を変え、飛騨川畔の温泉源泉を村人に伝えたという薬師如来を本尊としておまつりしています。
源泉を知らせたしらさぎは、そのまま山の中腹の松に羽を休め、その後を追った村人が松の下に鎮座された薬師如来を発見しました。以来、その場所に湯之島薬師堂を建立し、その薬師如来をおまつりしました。
室町時代、安土桃山時代には主に東海地方の武士が湯之島薬師堂に寝泊まりし、負った傷を癒しました。
江戸時代に入ると、甲斐国(現・山梨県)武田信玄の配下で金山採掘技術集団の武川家が下呂へ移り、3代目武川久右衛門倍良により、湯之島薬師堂は臨済宗妙心寺派・温泉寺に生まれ変わりました。そして、傷や病を癒しに訪れる方は、当時年間3万人を数えたと言われています。
遊行僧・円空や木食上人も当寺を訪れ、湯治客とともに本堂で寝泊まりしました。
江戸時代中期から後期にかけて、願かけに柱に書かれた願文や、絵馬が今も本堂に多数残っています。

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