御朱印・神社お寺の検索サイト
妙法寺と、冬の陣講和の地である熊野大神宮は隣あっていて、住宅密集地の中なのに荘厳な雰囲気があります。願い事を書いた護摩木を火にくべてきました。ついでに、厄よけぜんざいが振る舞われていたので…続きを読む
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西洞院押小路下がるにある御金神社へ。黄金に輝く鳥居がまぶしい。
先日、映画館で『本能寺ホテル』観たんで久しぶりに寄る。直虎ではこないだ桶狭間だったが、合戦シーンは右往左右する井伊家の陣中くらいで、織田信長の姿は描かれなかったな(市川海老蔵が演じるとか…続きを読む
春の彼岸で四天王寺へ。たくさんの露店が出て楽しいです。境内の片隅では蜂須賀桜が咲いています。徳島藩を治めた蜂須賀家ゆかりのものだそう。
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こちらは、織田方が毛利と戦う決意をした(加古川評定)加古川城のあった場所で、現在は称名寺があります。当時の城主は糟屋武則で、官兵衛の推薦を受け秀吉の小姓となり、のちの賤ヶ岳の合戦では「賎ヶ…続きを読む
大阪三大夏祭りのひとつで、愛敬・人気・縁結びの神さま、愛染さん(勝鬘院)に今年も来ました。大阪の夏のはじまりです。
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東福寺塔頭のひとつである光明院へ。
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東福寺塔頭のひとつ芬陀院へ。別名を雪舟寺ともいい、鶴亀を模した石のある庭と悟りの窓で知られる。最近では、JTのCMのロケ地として使われている。
長宗我部盛親と、藤堂高虎が激突した「八尾の戦い」。久宝寺小学校前には、盛親の陣所跡に物見の松や供養塔がある。また、近鉄八尾駅近くにある常光寺には、藤堂軍戦死者の墓所がある。本堂には戦いで…続きを読む
昨年に国宝となった石清水八幡宮へ。境内に残る信長塀をはじめ、戦国時代には日本中の武将から篤く崇敬された。また、幕末には禁門の変で、長州藩が嵯峨野の天龍寺、対岸の天王山と共にここを陣地に選んでいる。
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細川ガラシャの墓がある崇禅寺へ。すぐそばには、嘉吉の乱で家臣である播磨の国主赤松満祐に討たれ、この寺に首を捨て置かれた「悪御所」こと足利義教の墓もあった。さらに、浄瑠璃「崇禅寺馬場の仇討」…続きを読む
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加古川から自転車で10キロほど、志方町というひなびた田舎まで北上する。志方小学校横に観音寺という場所があるが、ここが官兵衛の妻光姫が生まれた志方城址である。金子ノブアキが演じた光の兄櫛橋…続きを読む
今日の目的地である源光庵へ。旧暦である慶長5年8月1日(1600年9月8日)、関ヶ原合戦の前哨戦となった伏見城の戦いで、徳川家康の、三河以来の家臣だった鳥居元忠ら1800人がこもる伏見城…続きを読む
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建仁寺の塔頭「禅居庵」の一部である摩利支尊天へ。軍神であり、イノシシに乗る姿でおなじみの摩利支天が祭神であるだけに、境内はイノシシだらけだ。
殺生関白こと豊臣秀次の眠る瑞泉寺へ。謀反の疑いをかけられ、高野山に追放された挙句切腹させられる。さらにその首は三条河原にさらされ、妻妾、幼児などを合わせて30余人がその前で処刑された。彼…続きを読む
谷町八丁目にある久本寺へ。ここは『あさが来た』の山王寺屋こと、江戸時代に大坂で両替商として栄えた「天王寺屋」の菩提寺です。創設者の天王寺屋五兵衛は1623年(元和9年)に、現在の住吉区の…続きを読む
紅葉の名所であり、「涅槃の庭」が有名なこちらへ。三井家菩提寺でもあり、中興の祖である三井高利をはじめ、広岡浅子の父・高益ら一族の墓がある。『土佐堀川』では、浅子と五代友厚が出会うのがここ…続きを読む
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洛北の等持院へ。霊光殿にある歴代室町将軍の木像が有名(片隅には、42歳の時に徳川家康が寄進したという、自身の姿を彫った木像もある。どれも撮影不可のため写真はない)。足利家菩提寺でもあり、…続きを読む
平日ですがそんなの関係なしに大混雑の東福寺へ。塔頭の一つである、西郷隆盛と月照ゆかりの即宗院を初めて見学してきました。慣れない着物と草履のため、採薪亭跡はなんとか行けましたが、東征戦亡の碑…続きを読む
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世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である慈尊院と丹生官省符神社を訪ねる。空海の母に由来し、別名を女人高野とも言う。乳房を貼り付けた絵馬が有名かな。
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