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ほんのうじ|法華宗本門流

本能寺

京都府 京都市役所前駅

6:00~17:00 大寶殿宝物館 9:00~17:00(入館は16:30まで)

投稿する
075-231-5335

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印(2種類)

本能寺では「本能寺の御朱印」と「日蓮宗の御首題」の2種類の御朱印をいただけます。

行事に合わせた御朱印が頒布されています。

本能寺の御朱印

300円
直書き

真ん中に妙法法華宗、左に洛中大本山本能寺と書かれ、右上に本門八品の印、右下に織田家の家紋である木瓜紋、信長・本能寺の文字の印、真ん中に寺紋の雁金紋と本門八品相応能弘之寺 大本山本能寺の文字の印、左下に本能寺の印が押されています。
「本門八品相応能弘之寺」は本能寺の寺名の元になった言葉です。
本能寺は「本能寺の変」の舞台です。
本能寺に滞在していた織田信長公は、家臣の明智光秀公による謀反で襲撃され、自害されました。
そのため、本能寺境内には信長公の墓所があります。
本能寺は焼失後、何度か移転しており、本能寺の変が起こった場所と現在の場所とは異なります。

御首題

300円
直書き

真ん中に南無妙法蓮華経、右に本門八品、左に上行所傳、左に洛中大本山本能寺と書かれ、右上に本門八品の印、右下に織田家の家紋である木瓜紋、信長・本能寺の文字の印、真ん中に寺紋の雁金紋と本門八品相応能弘之寺 大本山本能寺の文字の印、左下に本能寺の印が押されています。

このほか、行事に合わせた御朱印が頒布されています。

御朱印帳(13種類)

本能寺の御朱印帳は全部で13種類。織田信長公の家紋が入った御朱印帳や木製の表紙の御朱印帳、期間限定の御朱印帳などがあります。

織田家の家紋と天下布武の印が入った御朱印帳

2,000円

模様の入った白地に、表面には織田家の家紋である木瓜紋と天下布武の印、裏面の真ん中に寺紋の雁金紋と大本山本能寺の文字が入っています。
天下布武は、信長公が印章に用いた言葉で「武力を以て天下を統一する」という意味があります。

織田家の家紋が入った御朱印帳

2,000円

織田家の家紋である木瓜紋が入ったパール地に、表面にも大きく木瓜紋、裏面の真ん中に寺紋の雁金紋と大本山本能寺の文字が入っています。

織田家の家紋が入った御朱印帳


2,000円

織田家の家紋である木瓜紋が入った黒地に、表面にも大きく木瓜紋、裏面の真ん中に寺紋の雁金紋と大本山本能寺の文字が入っています。

織田家の家紋が入った御朱印帳

2,000円

織田家の家紋である木瓜紋が入った金地に、表面にも大きく木瓜紋、裏面の真ん中に寺紋の雁金紋と大本山本能寺の文字が入っています。

織田家の家紋が入った御朱印帳

2,000円

金銀が入った黒地に、表面には織田家の家紋である木瓜紋と、寺紋の雁金紋、大本山本能寺の文字が入っています。

表紙が木製の御朱印帳

2,500円

表紙が木製の御朱印帳です。
表面には織田家の家紋である木瓜紋と、寺紋の雁金紋、大本山本能寺の文字が入っています。

ピンク色の御朱印帳

ピンク色の和紙の御朱印帳です。
表面に寺紋の雁金紋と大本山本能寺の文字が入っています。

授与場所・時間

御朱印・御朱印帳ともに、本殿正面向かって後ろにある寺務所でお受けできます。

御朱印の受付時間は9時~17時。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

過去の限定御朱印

本能寺では、行事に合わせた限定御朱印をいただけます。ここからは2020年に頒布された過去の限定御朱印をご紹介します。

信長公忌特別御朱印


左面の御朱印は、真ん中に妙法法華宗、左に洛中大本山本能寺と書かれ、右上に本門八品の印、右下に織田家の家紋である木瓜紋、信長・本能寺の文字の印、真ん中に寺紋の雁金紋と本門八品相応能弘之寺 大本山本能寺の文字の印、左下に本能寺の印が押されています。
右面の御首題は、真ん中に南無妙法蓮華経、右に本門八品、左に上行所傳、左に洛中大本山本能寺と書かれ、右上に本門八品の印、右下に織田家の家紋である木瓜紋、信長・本能寺の文字の印、真ん中に寺紋の雁金紋と本門八品相応能弘之寺 大本山本能寺の文字の印、左下に本能寺の印が押されています。
御朱印にも御首題にも日付に、六月二日信長公忌と書かれています。
六月二日は本能寺の変で信長公が襲撃され、自害された日です。
毎年六月二日に信長公忌の法要が行われます。

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御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり(駐車台数20台)

巡礼

洛中法華21ヶ寺

本能寺について

「本能寺の変」で有名な織田信長ゆかりの寺


誰もがその名前を知る本能寺。織田信長が命を落とした本能寺の変により消失し、豊臣秀吉により現在の地に移転しました。三男信孝の命によって建てられた信長公廊(信長公墓)には歴史好きならずとも手を合わせたくなります。

信長ゆかりの品が展示されている大賓殿宝物館は必見


本能寺の変の前夜、突然「三足の蛙」が鳴き出し異変を知らせたという伝説の香炉「三足の蛙」や信長が所持していた建盞天目茶碗 (けんさんてんもくちゃわん)をはじめ、貴重な宗教的遺物や宝物が展示されています。

おすすめの投稿

らんでぃー
2022年08月17日(水)
270投稿

六角堂の次は法華宗本門流の大本山、本能寺をお参りいたしました。 天正10年(1582年)、織田信長が明智光秀の謀反により自刃した「本能寺の変」の舞台として有名なお寺で、境内には信長公廟が置かれ、織田信長及び本能寺の変で討死した114名の信長の家臣を祀る供養塔があります。 もともとの本能寺は、油小路蛸薬師付近に寺領を構えていましたが、本能寺の変が起こった際に伽藍は焼失した為、天正17年(1589年)、豊臣秀吉によって現在の寺町御池に移築再建されました。 本能寺は応永22年(1415年)に日隆上人(にちりゅうしょうにん)によって創建され、当初の「本応寺」という寺号を永享5年(1433年)に六角大宮の西、四条坊門の北へ移転した際に「本能寺」と改め、その後は足利氏の庇護を受けるなどして天文14年(1545年)頃には、西洞院大路、油小路、六角小路、四条坊門小路にわたる方一町に寺領を得て伽藍を造営し、30を超える子院を有するまで興隆します。 しかし本能寺の変を含めて五度の火災に見舞われるなど焼失と再建を繰り返す歴史で、現在の本堂は昭和3年(1928年)に建てられたものになります。 その背景から、本能寺の寺号は「能」の「ヒ(火)」の文字を嫌い、「ヒ(火)が去るように」との願いから異体字である「䏻」の文字が使用されています。

本能寺(京都府)

本能寺・総門(表門)

本能寺の建物その他

本能寺・寺院名碑
 「本䏻寺」と刻まれています。

本能寺(京都府)

本能寺・由緒書

本能寺(京都府)

本能寺・本堂

本能寺(京都府)

本能寺・織田信長公廟

本能寺(京都府)

本能寺・塔頭/竜雲院

本能寺の山門

本能寺・塔頭/源妙院

本能寺(京都府)

本能寺・塔頭/本行院

本能寺の建物その他

本能寺・塔頭/高俊院

本能寺(京都府)

本能寺・塔頭/定性院

本能寺(京都府)

本能寺・塔頭/蓮承院

本能寺(京都府)

本能寺・塔頭/恵昇院

本能寺の本殿

本能寺・本堂

本能寺(京都府)

本能寺・大宝殿宝物館

本能寺(京都府)

本能寺・大宝殿宝物館
 織田信長が所持していたといわれる香炉「三足の蛙」(レプリカ)

本能寺(京都府)

御朱印

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歴史

本能寺は日隆聖人を御開山と仰ぎ『法華経』の根本義と日蓮大聖人の真意を説き明かし、お題目を唱えて信じ行ず大霊場である。
御開山の日隆聖人は応永22年(1415年)伯父にあたる日存・日道両聖人と共に妙本寺(現在の妙顕寺)の綱紀の粛清に務めたが志を遂げられず同寺を去った。
そして油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を建立し、日蓮大聖人の念願である人々の口に「南無妙法蓮華経」を唱えさせるべく教化を始めた。
本能寺は1415年から1432年までは「本応寺」と寺名を使い、1433年から現在まで「本能寺」を使用している。
その理由は「本門八品相応能弘之寺」の言葉より本応寺・本能寺という寺名にした。
また現在能という寺をに替えて使用しているが、これは五度も火災に遭遇したので匕(火)を嫌いの字に替えたものである。
上杉本の「洛中洛外図屏風」では「本能寺」と書かれている。

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本能寺の基本情報

住所京都府京都市中京区下本能寺前町522
行き方

地下鉄東西線「市役所前駅」すぐ
京阪電車三条駅より徒歩5分
阪急電車京都河原町駅より徒歩10分

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名称本能寺
読み方ほんのうじ
参拝時間

6:00~17:00 大寶殿宝物館 9:00~17:00(入館は16:30まで)

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-231-5335
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.kyoto-honnouji.jp/
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詳細情報

ご本尊三宝尊
宗旨・宗派法華宗本門流
創建時代1415年(応永22年)
開山・開基日隆・小袖屋宗句
札所など

洛中法華21ヶ寺

文化財

伝藤原行成筆書巻(国宝)
花園天皇宸翰御賀札・銅鏡(重要文化財)
本堂・表門・信長公御廟所拝殿(登録有形文化財)

ご由緒

本能寺は日隆聖人を御開山と仰ぎ『法華経』の根本義と日蓮大聖人の真意を説き明かし、お題目を唱えて信じ行ず大霊場である。
御開山の日隆聖人は応永22年(1415年)伯父にあたる日存・日道両聖人と共に妙本寺(現在の妙顕寺)の綱紀の粛清に務めたが志を遂げられず同寺を去った。
そして油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を建立し、日蓮大聖人の念願である人々の口に「南無妙法蓮華経」を唱えさせるべく教化を始めた。
本能寺は1415年から1432年までは「本応寺」と寺名を使い、1433年から現在まで「本能寺」を使用している。
その理由は「本門八品相応能弘之寺」の言葉より本応寺・本能寺という寺名にした。
また現在能という寺をに替えて使用しているが、これは五度も火災に遭遇したので匕(火)を嫌いの字に替えたものである。
上杉本の「洛中洛外図屏風」では「本能寺」と書かれている。

体験御朱印博物館お守り武将・サムライ札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
本能寺(ほんのうじ)は、京都市中京区下本能寺前町にある法華宗本門流の大本山の寺院。山号はなし。本尊は本門八品上行所伝の南無妙法蓮華経。本能寺の変の舞台として知られる。現在の寺院には、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源妙院、龍雲院の7院の塔頭がある。株式会社本能寺文化会館の株主であり、本能寺に隣接するホテル本能寺や境内にある博物館の本能寺大寶殿宝物館などを経営している。 住職は「貫首」と呼ばれており、現在は140世の桃井日英が福井県敦賀市の本勝寺より晋山し貫首を務めている。
歴史
歴史[編集] 本能寺址、「本能寺の変」当時の所在地、中京区元本能寺南町(蛸薬師通小川通西南角) 本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、応永22年(1415年)に京都油小路高辻と五条坊門の間に、日隆によって創建されたものである[1]。寺地は北を五条坊門小路[2]、南を高辻小路、東を西洞院大路、西を油小路に囲まれた地であった[3][4]。 日隆は妙本寺4世・日霽に師事するが、法華経の解釈をめぐり本迹勝劣を主張した日隆は、妙本寺5世・月明と対立。応永25年(1418年)、本応寺は月明により破却され、日隆は河内三井(本厳寺)・尼崎(本興寺)へ移った[5][1]。永享元年(1429年)、帰...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] 京都市営地下鉄東西線 京都市役所前駅 徒歩すぐ 京都市営バス(3・4・5・10・11・15・17・32・37・51・59・205系統)、京都バス(16・17・21・23・41・43・55・61・62・63・64・65系統)、京阪バス(19・84B・86B・87B・88B系統)「河原町三条」下車すぐ
引用元情報本能寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA&oldid=91640132

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