しょうみょうじ|高野山真言宗
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称名寺について
加古川城跡
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兵庫県加古川市にあるお寺です。
山号は佛頂山 宗旨宗派は高野山真言宗 寺格は高野山遍照院末 ご本尊は阿弥陀如来です。
聖徳太子により開山されたと伝えられています。
開山当初は西光寺という名称だったそうです。
鎌倉時代に雁南庄(今の印南郡の一部)領主であった糟屋有教が 加古川城を築いた時期から糟屋氏の菩提寺としたそうです。
今は加古川城は残っていませんので 加古川城跡ということになります。
伽藍は 不動堂(本尊 不動明王) 大師堂(本尊 弘法大師) 観音堂(本尊 聖観音菩薩) 阿弥陀堂(本堂) 毘沙門堂(本尊 毘沙門天) 八幡宮 と見どころ満載です。
駐車場もあってお参りしやすいです。
山門の手前に柱門
立派な山門
由緒書
手水舎
本堂
不動堂
内陣
大師堂
真言宗 仏頂山 称名寺
聖徳太子により開山との話もあるようです。
境内には大きなイチョウの木があります。
またこの辺りは加古川城跡で、秀吉も立ち寄ったようです。
本堂(おそらく)
不動堂
大師堂
手水舎
鐘楼
観音堂
境内にある火伏八幡
歴史
真言宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。寺の付近一帯は加古川城跡です。天正五年(1577)加古川城で加古川評定(信長軍と毛利軍が戦うきっかけとなった会議)が行われました。また、糟谷(内善正)武則(12代加古川城主)は、黒田官兵衛の推挙によって羽柴秀吉に仕え、三木合戦においては箕谷ノ上付城(三谷ノ上付城)に布陣して活躍したとされています。
また境内には地人が憐れんで建てた南北朝時代の七人の武者の七騎供養塔があります。これは南北朝時代、出雲守塩治高貞が加古川で追っ手に襲われた際、主君を守ろうと奮死した従臣7名を供養するために建てられたものです。後に塩治高貞は、人形浄瑠璃等の代表的な演目「仮名手本忠臣蔵」に登場する塩治判官のモデルとして取り上げられ、忠義話として紹介されます。
山門を入るといちょうの大木があり、このいちょうの木は昔から加古川の町の目印でした。
名称 | 称名寺 |
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読み方 | しょうみょうじ |
電話番号 | 0794-22-2262 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
ご由緒 | 真言宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。寺の付近一帯は加古川城跡です。天正五年(1577)加古川城で加古川評定(信長軍と毛利軍が戦うきっかけとなった会議)が行われました。また、糟谷(内善正)武則(12代加古川城主)は、黒田官兵衛の推挙によって羽柴秀吉に仕え、三木合戦においては箕谷ノ上付城(三谷ノ上付城)に布陣して活躍したとされています。
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体験 | 武将・サムライ |
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