じそんいん|高野山真言宗
慈尊院
和歌山県 九度山駅
8:00〜17:00
九度山は、高野山表参道口で古くから宿泊客や参拝客で賑わっていました。
その由来は、弘法大師が月に9度高野山上より20数キロの山道を降りてきて母公を訪ねてきた事からと言われています。
南海高野線九度山駅からは、徒歩20分。高野山金剛峯寺を総本山とする真言宗寺院。
ご本尊は弥勒菩薩です。
817年の創建。弘法大師が高野山開創の際、参詣の要所地に表玄関の伽藍を造り、
そこでは庶務を司る政所を設置しました。
そこでは宿所や冬季避寒修行の場とされてきました。
弘法大師の御母方である玉依御前は、我が子か開いている「山」を一目でも見たいと一念し、ご高齢でありながらも当寺院へ参られました。
しかし、高野山は女人禁制の「山」ということで山頂へ叶う事はできず、入滅後、
弘法大師は、母公が弥勒菩薩になられた霊により、お廟を建てて、自作の弥勒菩薩と共に安置されました。
現在の建物は1477年に移築されました。それ以降、「女人高野」ということでお参りはここまでとなり、現在でも「子宝、安産、病気疾病」等を願って祈願する参拝者が訪れます。
今回は、「ホトカミ 女人高野」巡りの縁で約33年ぶりの参拝です。
その訳は「ゴン」のところで。
境内は、女性らしい優しさとおおらかさを兼ね備えた雰囲気に感じ。
ゆったりとした寺院を醸し出していました。
山門です。
山門に続く築地塀。
弘法大師堂です。
多宝塔です。
納経所、本堂と一緒の建物です。
本堂です。
乳型のお守りとなっています。
中庭はゆったりとした感じです。
弁財天が祀られています。
みくじ石。
弘法大師像に仕えているのは、案内犬の「ゴン」です。
ゴンは、白い雄の野良犬です。昭和60年代にここに住み着いては誰が教えたわけでもなく、高野山への参詣者を案内するようになり、朝には出発して、夜には戻ってくる様になりました。
最初は九度山駅からガイドするようになり、のちに慈尊院から高野山へと案内犬として勤めてきました。
実は今回の慈尊院への目的は、会社仲間と高野山へのハイキングの際にお供した経験があり、お参りも兼ねての参拝です。約30年以上の話でこの頃は老犬で、案内としては晩年の話です。
ちなみに、慈尊院の「鐘」をよく好み、鐘がゴ〜ンと鳴るところから「ゴン」と付けられたそうです。
弘法大師にも案内犬の伝説があったところから再来とも言われていたそうです。
また、現在でも「カイ」という犬がおり、晩年「ゴン」と一緒に飼われていました。こちらはガイドはしません。
このゴンのお話は、童話にもなっています。
いただいた御朱印です。
書体も女性的な優しさの文字です。
《世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」その2》
昨日お詣りした丹生都比売神社近くで120町石を見たので、次はスタート地点の180町石を見たくなり丹生官省符神社に隣接する慈尊院へ。
弘法大師母公のお寺で、女人高野として有名です。
近日中に高野山へ参拝したいことをお伝えしつつ、お参りしました。
その後、御朱印をいただいた住職さんからお下がりの菓子をいただきました。
「どうぞ、今日はお母さまの命日ですから。」
「?・・・・・・!!」
なんと今日は弘法大師母公の命日でした。
呼んでいただいたのでしょうか…。
その1へ
https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrttk/Hrttktr/Dmpss/131730/60600/
その3へ
https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrttk/Hrttktr/Dryzt/131108/60781/
《山門》
奥の階段を上ると丹生官省符神社。
ここが高野山参詣の道「町石道」の入口。
《境内》
《御朱印》
【南海御朱印めぐり・慈尊院】
弘法大師母公のお寺として有名な慈尊院。
816年、弘法大師が高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山の庶務を司る政所を置いたのがはじまりとされています。
そこへ、大師の母公が高齢にも関わらず、香川県より我が子の開いた山を一目見たいとの思いから当寺へ参られ、弥勒菩薩を篤く信仰したそうです。大師は高野山から政所へ通ずる「町石道」を通って月に九度も母を訪ねて来たと伝わり、周辺の地名「九度山」の由来となりました。母公が亡くなると大師は廟堂を建立し、自作の弥勒仏と母公の霊を祀ったそうです。
後に、母公が入滅して本尊に化身したという信仰が盛んになり、当寺は女性に縁の寺として知られるようになります。弥勒菩薩は「慈尊」とも呼ばれることから当寺には「慈尊院」の名がつき「女人高野」とも呼ばれるようになったとか。
ご朱印
山門
大師堂
キレイに整えられた境内
多宝塔と拝堂
御廟(本堂)
ご本尊「木造弥勒仏坐像」は国宝です。
多宝塔の奥には丹生官省符神社への石段があります。
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