にうかんしょうぶじんじゃ
丹生官省符神社
和歌山県 九度山駅
前日に初参拝を思い立ち、ご由緒を予習中に公式HPで情報をゲットした「花盛祭」でご縁を頂こうと参拝しました。
可愛らしい雰囲気のお宮さんでしたが、礼服を着た男性の人だかりが。
入口に受付が用意されていて、単なる参拝客を不信に思われたのか、視線が痛かったので、お祭りは諦め、すぐお暇するつもりでお詣りしていると、礼服の男性が一人横に来られて、盛大に鈴を鳴らし、「今日は鈴の音悪いわ!」と大声で宣いました。。
御朱印も「今日は忙しいので」と頂けず。。
居たたまれなくなり、揖もそこそこにお暇させて頂きました。
一般参拝者にヤキモチを焼いちゃう程、氏子さん達に崇敬されていらっしゃるお宮さんでした(笑)
その後参拝させて頂いた丹生都比売神社さんでは、穏やかな空気で包んで頂けました(^-^)
同じ神様をお祀りする近くのお宮さんでも、関わる人間の影響でこんなにも空気が異なるのかと勉強になりました。
荒廃したお宮さんが人の思いで清らかな場所になり、神様が喜んでお出でになるお宮さんが増えるといいなと改めて感じました。
こちらのお宮さんは、氏子さんにとってはとても居心地の良い場所なんだと思います(^-^)
《世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」その3》
慈尊院を後にし、丹生官省符神社へお詣り。
鳥居の横に180町石がありました。
800年前の参拝者もこうやって町石を見て高野山参拝の安全を祈願したのでしょうか。
風化が進んだ町石に時の流れが刻まれています。
社務所で気さくな宮司さんより高野山の方角を教えていただきました。参拝の際は社務所前のレンガを探してください。
その2へ
https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrttk/Hrttktr/Drzzp/15895/60759/
その4へ
https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrttk/Hrttktr/Dkkapa/15904/60816/
816年弘法大師によって創建されたと伝わります。
《拝殿》
《本殿》(重要文化財)
つくりが丹生都比売神社と似ています。
《119段の石段》
慈尊院から石段を見上げて。
鳥居の近くに180町石があるはず…。
《180町石》(画面右)
高野山参詣道の町石道スタート地点。
ここから高野山壇上伽藍まで約180町(約20Km)。1町ごとに道標として町石が設置されている。
境内にある町石道の案内板
丹生官省符神社を出た場所にある179町石
社務所前に埋められているレンガ
ここから矢印の方向に高野山がある。
《御朱印》
高野山を開創することが出来た空海は、参道中央正面上壇に丹生高野明神社(丹生七社大明神から丹生神社・現丹生管省府神社)を創建奉祀し諸天神への祈願地としてこの地を天と神に通じる地、即ち神通寺の壇とし、慈氏寺の壇と併せて萬年山慈尊院と称されました。
数多くの御社殿等が建ち並び荘厳を極めていたが、明治の神仏分離令等により建物は除去され、本殿の三棟が往年の姿を留めています。
明治時代に慈尊院から独立し、1946年に現社号に改められたと。
社号の管省府は国家より、高野山の荘園は非課税であるとお墨付きを貰っている証。管省府が発給された田は「管省府荘」という荘園になり、高野山にも寺領として管省府が与えられていました。現在の宗教法人と同じですね。
119段ある途中の踊り場、石造りの一の鳥居と町石の一番目
拝殿 神仏習合のなごこり、お寺風です。
登山で高野山詣りをする時は、初めに立ち寄り登山の報告と道中の安全を祈願します。北向きに鎮座するのは高野山に向かって拝むようにするためなのでしょうか。
本殿は工事中です。左側に高野山遥拝所があるのですが、工事中の建物があり遠慮です。
二番目の179町石。駐車場横にあります。
町石を拝し高野山・金剛峯寺へと続く道。遠慮しました。
狩場明神との出会いの図。
二の鳥居 神仏習合の神社に多い両部鳥居。
一の鳥居と紅葉 見とれて踏み外さないよう足元注意です。
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