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たがたいしゃ

多賀大社のお参りの記録一覧
滋賀県 多賀大社前駅

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惣一郎
惣一郎
2022年05月09日(月)1269投稿

【近江國 式内社巡り】

多賀大社(たが・たいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社。式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命。旧称は「多賀大明神」、別称は「お多賀さん」。「おたまじゃくし」という単語は、当社がお守りとして授けるしゃもじが由来とされる。

創建は不詳。奈良時代712年編纂の『古事記』写本の真福寺本には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」との記述があり、これを当社に関する記述とする説がある。ただし『日本書紀』には、伊弉諾尊が、国産み、神産みを終え、最初に産んだ淡路島に幽宮(かくりみや:終焉の住まい)を構えたとの記述があるため、「淡海」は「淡路」の誤写であると考える説もある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「近江國 犬上郡 多何神社 二座 小」に比定されている。
戦国時代には神仏習合が進み、近江守護・六角高頼が神宮寺として天台宗・不動院を建立すると、神宮寺配下の坊人が全国にお札を配って信仰を広めたため、当社は中世から近世にかけて伊勢神宮、熊野三山とともに庶民の参詣で賑わった。俗謡では「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」、「お伊勢七度、熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」と言われた。また鎌倉期以降、僧・重源の逸話から長寿祈願の神として信仰され、豊臣秀吉は1588年に母・大政所の延命を祈願し、米1万石を奉納した。江戸時代になると1615年に社殿を焼失したが、徳川秀忠により社領350石の寄進を受け、徳川家光が1638年に社殿を再建した。1651年に彦根藩主・井伊直孝により社領150石の寄進を受け、その後たびたび火災や暴風による倒壊などの災難に遭うが、その度に幕府と彦根藩の厚い保護により再建してきた。明治に入り、近代社格制度のもと、最初県社兼郷社に列し、最終的には官幣大社に列格した。

当社は、近江鉄道彦根・多賀大社線・多賀大社前駅の東方600mの平地にある。境内はかなり広大で南面は東西に300m以上ある。東寄りに正規の入口があって、鳥居をくぐり、太閤橋を越え、御神門を抜けると、広いスペースの向こうに左右翼殿が長く伸びた豪壮な拝殿が現れる。周りには多くの境内社が立ち並び、まさに大社の外観。さすが昔からの信仰の篤い神社で、しっかり見て廻るのにはたっぷり時間がかかる。なお、昔は相当な観光地であったようで、境内の南側には門前町があり、飲食店、元旅館などが並んでいる。

今回は、近江國の式内社、旧官幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、境内には参拝者がぱらぱらと訪れていた。

多賀大社(滋賀県)

境内南端東寄り入口の<鳥居>と<社号標>。目の前に「絵馬通り」という門前街があって、食べ物屋、お土産屋が並んでおり、すでに大社、観光地のの雰囲気。

多賀大社の狛犬

鳥居前左側の<狛犬>。

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