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たがたいしゃ

多賀大社のお参りの記録一覧(3ページ目)
滋賀県 多賀大社前駅

きどっち
きどっち
2022年07月04日(月)
1275投稿

御祭神
 伊邪那岐大神
 伊邪那美大神

伊勢神宮のご祭神「天照大神」は、伊邪那岐大神と伊邪那美大神の御子であることから、
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と古くから言われているそうです。

御由緒などは他の方も多く掲載されていますし、あえて今回は記載せずにおきます。
その分写真が大量になっていますが😅
天照大神をもっとも好きな神様としている私としては、一度はお参りしたい神社だったんです。
とっても暑い日でしたが、参拝者も比較的少なかったようで、御朱印の書き手の方とも少しばかり他愛ないお話をさせていただきました。
摂末社も多く、その他見所もたくさんあって、満足いく参拝となりました。
強いて後悔を言うなら、延命そばを食べずに帰ったことでしょうかね。

多賀大社の御朱印帳

御朱印帳

多賀大社の御朱印

御朱印

多賀大社の御朱印

切り絵御朱印

多賀大社の鳥居

近江鉄道「多賀大社前」駅を下りてすぐに見える「昭和の一の鳥居」
「一の鳥居」は多賀大社境内から西へ約3.5kmほどの旧中山道沿いにあります。
一の鳥居もきっちり写真に収めたい!
ということで、帰りに立ち寄りました。
写真は一番最後に掲載しています。

多賀大社の周辺

近江鉄道「多賀大社前」駅

多賀大社の周辺

表参道は「絵馬通り」と呼ばれています。

多賀大社の周辺

表参道沿いの民家やお店の軒先には「笑門」の絵馬が掛けられていました

多賀大社の周辺

表参道を歩いているだけでも風情があって楽しいです♪

多賀大社の鳥居

大鳥居
その先には茅の輪もあり、しっかりとくぐってきました。

多賀大社の狛犬

大鳥居前の狛犬さん

多賀大社の建物その他
多賀大社の建物その他
多賀大社の歴史
多賀大社の建物その他

太閤橋

多賀大社の建物その他
多賀大社の歴史
多賀大社の末社

御神門をくぐる前に左手にある天満神社へ

多賀大社の末社

次に右手にある秋葉神社(右)と愛宕神社(左)

多賀大社の建物その他

御神門前の灯籠

多賀大社の山門

さていよいよ御神門をくぐります

多賀大社の建物その他

御神門の扉の彫刻には三つ巴

多賀大社の手水

手水舎

多賀大社の建物その他

手水舎に貼ってあった「インスタdeフォトコン」の案内
応募してみようかな

多賀大社の本殿

拝殿
他にも参拝されている方もいらっしゃったのですが、皆さんがいらっしゃらなくなるのを粘り強くまった渾身の一枚。
一瞬だけ独占した気分です。

多賀大社の建物その他
多賀大社の本殿

拝殿内の「お多賀杓子」

多賀大社の本殿

本殿

多賀大社の末社

左から
熊野新宮 天神神社 熊野神社

多賀大社の末社

左から
聖神社 三宮神社

多賀大社の建物その他

寿命石と祈願の白石

多賀大社の歴史
多賀大社の末社

左から
竈神社 年神神社

多賀大社の末社

子安神社

多賀大社の末社

金咲稲荷神社の鳥居

多賀大社の末社
多賀大社の手水
多賀大社の末社
多賀大社の末社
多賀大社の建物その他

能舞台

多賀大社の建物その他

神馬舎

多賀大社の建物その他
多賀大社の庭園
多賀大社の食事

名物「延命そば」

多賀大社の建物その他

大釜

多賀大社の建物その他

神輿庫

多賀大社のお祭り
多賀大社のお祭り
多賀大社の建物その他

梵鐘

多賀大社の建物その他

般若院跡

多賀大社の末社

夷神社

多賀大社の芸術
多賀大社の末社

日向神社(式内社)

多賀大社の手水
多賀大社の末社
多賀大社の歴史
多賀大社の末社
多賀大社の芸術
多賀大社の芸術
多賀大社の末社

神明両宮

多賀大社の周辺

おまけ
NHK大河ドラマ「花の生涯」に登場する井伊直弼が好意を寄せた村山たか女が幼少の頃、養女に来て住んでいたとされる処だそうです

多賀大社の鳥居

旧中山道に面する一の鳥居
ここにたどり着くまでかなり寄り道をしたのでクタクタになりました。

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平沢凛
平沢凛
2023年11月27日(月)
2017投稿

多賀大社にお参りしました。

多賀大社の末社

夷神社

多賀大社の建物その他

神輿庫

多賀大社の本殿

拝殿

多賀大社の鳥居

金咲稲荷神社

多賀大社の末社

竈神社・年神神社

多賀大社の本殿

日向神社

多賀大社の手水

手水舎(西)

多賀大社の鳥居

鳥居(西)

多賀大社の手水

手水舎

多賀大社の本殿

反り橋

多賀大社の鳥居

鳥居

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惣一郎
惣一郎
2022年05月09日(月)
1269投稿

【近江國 式内社巡り】

多賀大社(たが・たいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社。式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命。旧称は「多賀大明神」、別称は「お多賀さん」。「おたまじゃくし」という単語は、当社がお守りとして授けるしゃもじが由来とされる。

創建は不詳。奈良時代712年編纂の『古事記』写本の真福寺本には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」との記述があり、これを当社に関する記述とする説がある。ただし『日本書紀』には、伊弉諾尊が、国産み、神産みを終え、最初に産んだ淡路島に幽宮(かくりみや:終焉の住まい)を構えたとの記述があるため、「淡海」は「淡路」の誤写であると考える説もある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「近江國 犬上郡 多何神社 二座 小」に比定されている。
戦国時代には神仏習合が進み、近江守護・六角高頼が神宮寺として天台宗・不動院を建立すると、神宮寺配下の坊人が全国にお札を配って信仰を広めたため、当社は中世から近世にかけて伊勢神宮、熊野三山とともに庶民の参詣で賑わった。俗謡では「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」、「お伊勢七度、熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」と言われた。また鎌倉期以降、僧・重源の逸話から長寿祈願の神として信仰され、豊臣秀吉は1588年に母・大政所の延命を祈願し、米1万石を奉納した。江戸時代になると1615年に社殿を焼失したが、徳川秀忠により社領350石の寄進を受け、徳川家光が1638年に社殿を再建した。1651年に彦根藩主・井伊直孝により社領150石の寄進を受け、その後たびたび火災や暴風による倒壊などの災難に遭うが、その度に幕府と彦根藩の厚い保護により再建してきた。明治に入り、近代社格制度のもと、最初県社兼郷社に列し、最終的には官幣大社に列格した。

当社は、近江鉄道彦根・多賀大社線・多賀大社前駅の東方600mの平地にある。境内はかなり広大で南面は東西に300m以上ある。東寄りに正規の入口があって、鳥居をくぐり、太閤橋を越え、御神門を抜けると、広いスペースの向こうに左右翼殿が長く伸びた豪壮な拝殿が現れる。周りには多くの境内社が立ち並び、まさに大社の外観。さすが昔からの信仰の篤い神社で、しっかり見て廻るのにはたっぷり時間がかかる。なお、昔は相当な観光地であったようで、境内の南側には門前町があり、飲食店、元旅館などが並んでいる。

今回は、近江國の式内社、旧官幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、境内には参拝者がぱらぱらと訪れていた。

多賀大社(滋賀県)

境内南端東寄り入口の<鳥居>と<社号標>。目の前に「絵馬通り」という門前街があって、食べ物屋、お土産屋が並んでおり、すでに大社、観光地のの雰囲気。

多賀大社の狛犬

鳥居前左側の<狛犬>。

多賀大社の狛犬

鳥居前右側の<狛犬>。

多賀大社の建物その他

鳥居をくぐったところにある<神橋>。形態は太鼓橋、そり橋。豊臣秀吉が当社に寄せた信仰から<太閤橋>とも呼ばれる。橋自体は江戸時代初期、寛永年間(1624年~1644年)の造営。

多賀大社の末社

神橋を越えた右側で、神橋に向かって建っている<愛宕神社>(左)と<秋葉神社>(右)。

多賀大社の末社

神橋を越えた左側で、神橋に向かって建っている<天満神社>。

多賀大社の山門

神橋を越えたところにある神域入口の<御神門>。

多賀大社の手水

御神門をくぐって、参道左側にある<手水舎>。

多賀大社(滋賀県)

手水舎近くから見た<社殿>全景。拝殿両側の翼殿が大きく豪壮な構え。

多賀大社(滋賀県)

手水舎近くから見た左前方の<社務所>。御朱印はこちら。

多賀大社(滋賀県)

手水舎近くから見た右前方の景色。能舞殿(※)や境内社などが見える。

※はじめ神楽殿かと思ったが、当社では拝殿と幣殿の間にある。

多賀大社の本殿

先に<拝殿>にて参拝する。当社の社殿は本殿が昭和戦前1930年の新築で、その他は昭和の大造営、平成の大造営での建立。

多賀大社の本殿

<拝殿>正面。広々として豪華。

多賀大社(滋賀県)

拝殿から振り返って見える景色。

多賀大社の建物その他

まずはじめに、社務所の授与所にて御朱印を拝受。

多賀大社の建物その他

ここから拝殿をじっくり見て廻る。まず拝殿左側(西側)の翼殿の門。

多賀大社(滋賀県)

中央の<拝殿>。

多賀大社(滋賀県)

拝殿右側(東側)の翼殿の門。

多賀大社の末社

右側翼殿の右側にある<熊野神社>(左)と<三宮神社>(右)。この後、境内の北東側を見て廻る。

多賀大社の鳥居

熊野神社、三宮神社の社殿の右手にある<金咲稲荷神社>の鳥居。

多賀大社の鳥居

最初の鳥居をくぐって直進すると右側に手水舎があり、その先参道左側に千本鳥居が現れる。

多賀大社(滋賀県)

千本鳥居が終わったところで参道が右折し、その突き当りにある<金咲稲荷神社>の社殿。

多賀大社(滋賀県)

金咲稲荷神社近くから見える、本社の<本殿>。

多賀大社の建物その他

熊野神社・三宮神社社殿、金咲稲荷神社鳥居の南側にある<寿命石>。
僧・俊乗坊重源が三度当社に参籠し、20年の寿命延長を感得した言い伝えがある。
白石に願いを書いて、寿命石に載せると御利益があるとのこと。

多賀大社の末社

寿命石の東側にある<竈神社・年神神社>と<子安神社>。この後、境内の南東側を見て廻る。

多賀大社の建物その他

<さざれ石>。

多賀大社(滋賀県)

さざれ石近くから見た<社殿>全景。

多賀大社の建物その他

<古札納め所>と<奉納樽>。

多賀大社(滋賀県)

<能舞殿>は、境内東側で最も大きな建物。

多賀大社の建物その他

能舞殿前から見た<社殿>全景。何度見ても良い。(o^―^o)

多賀大社(滋賀県)

能舞殿の南側にある<神馬舎>。

多賀大社の建物その他

神馬舎近くに青銅燈籠と絵馬掛けがある。

多賀大社の本殿

遠くの<拝殿>を望む。この角度からだと、拝殿、神楽殿、幣殿、本殿が縦に並んでいるのがよく見える。

※当社では、拝殿と幣殿の間に神楽殿がある珍しい形式。びっくり。

多賀大社の絵馬

当社の絵馬は<しゃもじ>の形。

多賀大社の建物その他

手水舎近くを通って、境内西側に移動しながら<社殿>を望む。

多賀大社の建物その他

江戸時代初期に徳川幕府による二度の大規模造営を記念した<大釜>。

多賀大社の建物その他

大釜の西隣の<神輿庫>。毎年4月22日の古例大祭(他がまつり)の神輿を収めている。

多賀大社の建物その他

神輿庫の西隣の<鐘楼>。神仏習合の名残り。梵鐘は戦国時代1555年の銘。

多賀大社の建物その他

鐘楼の西隣の<太閤蔵>。1588年に太閤豊臣秀吉が生母・大政所の病気平癒を当社に祈願し、全快の礼に米1万石を奉納したが、その寄進で建てた蔵。

多賀大社(滋賀県)

社務所の西側にある<参集殿>。

多賀大社の末社

参集殿の門の西側にポツンとある<夷(えびす)神社>。

多賀大社(滋賀県)

境内の西端にある<日向神社>と<神明両宮>。日向神社は、なんと延喜式内社。
この南側には鳥居、神橋、社号標、狛犬、手水舎があり、まるで独立した神社みたい(実際は本社の西参道入口)。(^▽^)/

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じるる
じるる
2021年12月08日(水)
355投稿

多賀大社は、私と名前が同じなのでめちゃくちゃ親近感あります!

多賀大社の鳥居

お天気がいいです。

多賀大社の狛犬

お馬さん!

多賀大社の建物その他

太閤橋
豊臣秀吉寄進だそうです。
あまりにも急で、這いつくばって登ることに……

多賀大社の本殿

とても趣きがある拝殿

ちょうど七五三の祈祷をやってました。

多賀大社の食事

長寿そば

多賀大社の食事

鮎の甘露煮が入ってて美味しかったです。

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