つぼいはちまんぐう
壺井八幡宮公式大阪府 上ノ太子駅
参拝は24時間可能ですが、夜間は野生動物に注意下さい。
授与所は9時~17時の間対応が可能です。
ご祈祷は土日祝の上記時間が基本です(要予約)が、個別対応も可能な場合がありますので、お気軽にお問い合わせください。
つぼいはちまんぐう
参拝は24時間可能ですが、夜間は野生動物に注意下さい。
授与所は9時~17時の間対応が可能です。
ご祈祷は土日祝の上記時間が基本です(要予約)が、個別対応も可能な場合がありますので、お気軽にお問い合わせください。
氏子以外の参拝 | 歓迎 | ||
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御朱印 | |||
限定 | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 社務所横・石段下に、それぞれ約8台止められます。
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源氏というと関東・東国というイメージがある方が多いと思いますが、源氏は大阪から勢力を拡げていったのです。
その初めの地が当社となります。
庭園のような境内は様々な草木が四季折々の表情を見せます。
毎月ではないものの、月毎の御朱印を授与いたしておりますので、お参りをしつつ、季節の移ろいを感じていただければと思います。
◆壺井八幡宮(主なご神徳 武運長久・厄除け・勝運・安産)
第70代後冷泉天皇の永承6年(1051)奥州で安倍頼時とその子貞任・宗任の反乱が起こった際に、源頼義公に賊を平定するようにとの勅命が下り、頼義公は陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられた。
出陣に際し、石清水八幡宮に詣で戦勝を祈願し、12年3ヶ月の苦戦の末、康平5年(1062)に賊を平定した。
凱旋後、誓願の験ありとして、康平7年(1064年)5月15日に社殿を建立し、石清水八幡宮の御神霊を遷し祀ったのが、壺井八幡宮である。
◆正一位三社 壺井権現社(主なご神徳 武運長久・勝運・勉学・厄除け)
天仁2年(1109年)正月3日の夜、源義家公の5男左兵衛尉義時公の夢に、父祖三将軍が現れ「我等三者の霊を祭祀すべし。そうすれば王城を鎮護し、永く源家の守護神たらん。」と告げた。義時公は八幡宮西方に地を選んで社殿を造営。頼信公・頼義公・義家公三将軍の荒御霊を奉斎し、壺井宮と称し河内源氏の崇廟とした。
源氏三社(京都・六孫王神社、摂津・多田社、河内・壺井社)の一つである。
◆河内源氏の由来
寛仁4年(1020)多田満仲公の4男、源頼信公は、この地の香呂峰に館を営み居住し、河内源氏の祖となる。平忠常の乱を平定後、河内守に任ぜられる。
翌年、長子、頼義公が誕生。河内源氏の二代目となる。
長暦2年(1038)頼義公の長子・八幡太郎義家公が当地に誕生、続いて次男・加茂次郎義綱公、三男・新羅三郎義光公等が誕生する。この事により、当地は河内源氏の発祥の地となった。
◆壺井水
前九年の役の際の天喜5年(1057)源頼義公・義家公父子が賊と戦っている最中、飲料水が少なくなり、まさに敗北する状況に陥った。大将軍頼義公は、「諸軍渇きに堪えかね、まさに敗せんとす。伏して願わくば軍中に水を得さしめ給え。帰命頂礼八幡大菩薩南無通法救世大士、擁護の手垂れ給え。」と祈り、しばらく礼拝された後、自ら弓矢をもって岸壁を穿ったところ、そこより清水が湧き出し渇きはたちどころに除かれた。これにより、諸軍は大いに勢いを得ることとなった。
凱旋の際、この清水を壺に入れて持ち帰り、城域内に井戸を掘り底に壺を埋めて壺井水と称した。以後香呂峰の地名は壺井と改められた。この井戸は現在も完全に保存されている。
ところで、その湧水は現在、弓弭(ゆはず)の泉として北上川の源流となっている。
住所 | 大阪府羽曳野市壺井605-2 |
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行き方 | 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」より徒歩15分
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名称 | 壺井八幡宮 |
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読み方 | つぼいはちまんぐう |
通称 | 河内源氏発祥の地 |
参拝時間 | 参拝は24時間可能ですが、夜間は野生動物に注意下さい。
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参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 社務所の隣にあります |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 072-956-2824 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | hiroaki19820820takagi@yahoo.co.jp |
ホームページ | http://www.tuboihatimanguu.jp/ |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | ◆壺井八幡宮
誉田別尊・仲哀天皇・神功皇后 ◆壺井権現社 源頼信・源頼義・源義家・(源義綱・源義光・源義時) |
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創建時代 | 康平7年(1064) |
創始者 | 源頼義 |
本殿 | 流造 |
文化財 | ◆重要文化財
◆重要美術品
◆大阪府指定史跡
◆大阪府指定天然記念物
◆羽曳野市指定有形文化財
◆その他
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ご由緒 | ◆壺井八幡宮(主なご神徳 武運長久・厄除け・勝運・安産)
◆正一位三社 壺井権現社(主なご神徳 武運長久・勝運・勉学・厄除け)
◆河内源氏の由来
◆壺井水
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り重要文化財祭りアニメなどサブカル武将・サムライ花の名所有名人のお墓伝説夏詣 |
概要 | 壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市壺井にある神社。旧社格は村社。武家の棟梁・河内源氏の氏神であり、源義家(八幡太郎義家)が愛用したとされる黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる・重要文化財)や天光丸の太刀(重要美術品)などが伝わっている。京都市の六孫王神社や川西市の多田神社と並ぶ源氏三神社の一つである壺井権現社がある。 |
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歴史 | 歴史[編集] 一帯は河内源氏の本拠地で、寛仁4年(1020年)に源頼信が河内国国司に任じられて以降、頼信・頼義・義家の3代にわたって当地に居住し、河内源氏と呼ばれるようになった。 康平7年(1064年)5月15日、前九年の役に勝利して凱旋した源頼義が、河内源氏の氏寺・通法寺の北側で、現在地である河内国香呂峰の私邸の東側に社殿を造営し、河内源氏の氏神である石清水八幡宮(京都府八幡市)を勧請したのが当社の始まりである。この時、地名を香呂峰から壺井と改め、壺井八幡宮を武家源氏棟梁の河内源氏の総氏神とした[1]。また頼義は出家後に、当社の西側に化輪寺(花輪寺・けりんじ)を建立し、慈覚大師作の阿弥...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「壺井八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A3%BA%E4%BA%95%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=97964927 |
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