からすのみや
鴉宮大阪府 千鳥橋駅
授与所:09:00〜16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
2024年十日戎その10。
此花えびす様にお詣りしました。
咲くやこの花えびす様の十日えびす期間中、福笹や福熊手の授与を拝殿の船先のところで行っており、授与所も開き参拝客もいて良い日にお参りできました。
末社が多数あり拝殿、本殿と横一列に並びます。まるで船団のようで壮観です。
拝殿に船がありえびす様もまつられているので、こちらのえびす様は商売繁盛より前からのご利益である海上安全をも担っていたのでしょう。昔の地形では神社東側、現在学校のある場所も川で、鴉宮を突端に川が南北に分岐していました。
神社は通常隣地より小高い境内ですが、鴉宮社殿が向く南側は境内より高さがあります。暗渠化した正蓮寺川の堤防だった名残ですね。正蓮寺川は埋め立てられ地下に高速道路があります。
西側の一の鳥居。昔の地形では神社南側は正蓮寺川堤防、東も正蓮寺川分岐だったので昔からの陸続きはここ西側だけということになります。
鳥居側の由緒書き。侍JAPANの守護マスコットにもなっている八咫烏をまつるのでサッカー関連の御守も授与しています。
十日えびすの福笹と福熊手は拝殿で授与しています。
酉島町、伝法町の複数神社からなる末社。
琴平社。
稲荷社。
伊勢神宮遥拝所。
伊勢神宮遥拝所から見た境内。社殿は全て正蓮寺川を向いています。
本殿。
御朱印はクリアファイルから取り、賽銭箱に初穂料を納めるよう書かれています。授与所で伺ったところ宮氏様に日付を書き入れしていただけました。
正蓮寺川公園から見た神社。堤防のなごりで神社より道路が高くなっています。
神社南側には暗渠化され地上は公園、地下は高速道路になった正蓮寺川があります。
秀吉公が旅の祈願をしたとき、この神社の後ろにあった鎮守の杜から三本足の烏が現れたとされ、無事に帰国を果たしたことで「鴉宮」という名前をいただいたそうです。
《一の鳥居》
《由緒書き①》
もともとは鎌倉時代に地元の伝法村を守る神様として創建されました。
《手水舎②》
コロナ禍で使えませんでした。
《由緒書き②》
👁チェックポイント‼️
この鴉宮のように"宮"で終わる社名は、戦後に神社本庁の所属下ではそれなりの由緒がないと正式名称では使えません。使えるかもしれませんが暗黙の了解で使わないのが鉄則ですが、
この神社は秀吉公に"宮号宣言"という"宮"という社名を名乗ることを認めさせる宣言を出されている珍しい神社です。
《拝殿前》
茅の輪っぽいものがまだありました。
《拝殿前》
面白いのが、船首が賽銭箱の後ろに取り付けられています。航海安全を守った由緒ならではですね。
《本殿》
現在は三本足の烏が現れたという森は無くなっていますが、この住宅街を挟んだ児童公園には八咫烏神社という小さな社があります。
《末社・琴平社》
同じく航海安全の御神徳を持つ神様ですね。
《末社・稲荷社》
いつもお世話n(🤛
《社務所》
この神社以外にも、近くに祀られて後世に合祀された神社の御朱印が用意されてます。現在は全て書き置き対応でした。
澪標住吉神社から徒歩3分。 御祭神は天照大神。
豊臣秀吉が旅の無事を祈願して訪れたところ、社殿奥の森から三足の鴉が現れて数々の瑞兆を示したという。
平穏に帰国を果たした秀吉は感激氏、当社を「鴉宮」と名付けたそうです。
三足の鴉、八咫烏(ヤタガラス)。サッカージャパンのユニフォームと同じものです。
拝殿です。
拝殿には船の船頭が。
水の都大阪らしい。
名称 | 鴉宮 |
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読み方 | からすのみや |
参拝時間 | 授与所:09:00〜16:00 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 06-6461-3592 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主祭神》 天照大神 《配祀神》 住吉大神 蛭子大神 |
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創建時代 | 健法三年(1215年) |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 神明造 |
体験 | 祈祷おみくじ絵馬七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ伝説 |
概要 | 鴉宮(からすのみや)は、大阪府大阪市此花区伝法に鎮座する神社。 伝法川跡の南岸(左岸)に鎮座する。伝法の集落は伝法川を境に北組と南組に分かれていたが、当社は南組の鎮守にあたる。 |
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歴史 | 由緒[編集] 鎌倉時代の建保3年(1215年)4月、村と港の繁栄を祈念して、伝法村の中心に伝母頭神社として社殿を建立。文禄元年(1592年)2月に当社を訪れた豊臣秀吉が旅の無事を祈願したところ、社殿奥の森より三足の鴉が現れて数々の瑞兆を示したという。平穏に帰国を果たした秀吉は感激し、当社に「鴉宮」の名を贈った。それに合わせ、鴉が巣を成している森地に遷宮したと伝えられている。 江戸時代に入ると神領を没収されるなどして衰退したが明治時代に復興、酉島町の住吉神社、秀野町の住吉神社を合祀して現在に至っている。 本殿、拝殿、中門及び透塀は国の登録有形文化財に登録されている。 |
アクセス | 交通アクセス[編集] 阪神なんば線 伝法駅下車、東へ約200m。 国道43号、伝法4丁目交差点から東へ約300m。 |
引用元情報 | 「鴉宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%B4%89%E5%AE%AE&oldid=99069345 |
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