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氷室神社の御朱印・御朱印帳
右上の「東山鎮守」の上に「奉拝」書かれ、真ん中に「氷室大神」の墨書きされた下に「平城氷室」の印が押されています。日付に「氷室社務處印」重ねられています。 | |||
| 限定 | - | ||
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| 御朱印帳 | |||
| 参拝時間 | 《開門時間》
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| 電話番号 | 0742-23-7297 | ||
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氷室神社⛩️
非常に珍しい神三柱をお祀りされています。
主祭神
闘鶏稲置大山主命(つげのおおやまぬし、生没年不詳)とは、『日本書紀』に登場する古墳時代の豪族・闘鶏国造の一人。
大鷦鷯命(にんとくてんのう、旧仁徳天皇87年1月16日〉)は、日本の第16代天皇。『日本書紀』での名は大鷦鷯天皇(おおさざきてんのう)
額田大仲彦命(ぬかた の おおなかつひこ の みこ、生没年不詳)は、記紀に伝えられる古墳時代の皇族(王族)。応神天皇の皇子。『古事記』では額田大中日子命(ぬかた の おおなかつひこ の みこと)
社格等
式内小社(論)、旧村社
創建
和銅3年(710年)
本殿の様式
三間社流造
例祭
10月1日
主な神事
献氷祭
由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される。
和銅3年(710年)7月22日、元明天皇の勅命により、吉城川上流の春日山にある月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社)
春日野にある氷池(現・奈良春日野国際フォーラム 甍〜I・RA・KA〜一帯)で厳寒に結氷させた氷を氷室(荒池・鷺池を望む浅茅ヶ原一帯にあり、春日氷室、平城氷室、御蓋氷室などと呼ばれた)に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。
和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が行われると、以降毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を納めた。
奈良朝7代、70年余りの間はこの制度は継続したが、平安遷都後は廃止され、貞観2年(860年)2月1日に清和天皇の時代になって現在地に奉遷され、氷の作り方を教えた闘鶏稲置大山主命の他、天皇に氷を始めて献上した額田大仲彦命と氷を献上された大鷦鷯命の左右2神を併せ三座となった。
社殿が建立されたのは建保5年(1217年)とされている。
また、13世紀には日本三楽所のひとつである南都楽所が置かれ、奈良における舞楽の一大拠点へと成長していき、神職も楽人が務めるようになった。
春日社の別宮に属し、式年費用や営繕費、祭礼費などは春日社、興福寺の朱印高2万石、および社頭所禄、三方楽所料2千石などの一部によって賄われた。
明治時代となり神仏分離が行われると、興福寺との関係は断たれた。1870年(明治3年)には南都楽所が廃止され、他の二つの楽所と合わさって宮内省雅楽部(現・宮内庁式部職楽部)が成立している。
また、村社に列せられ、神饌幣帛料供進社になっている。
現在は、氏子と冷凍氷業界の奉賛により維持される形になっている。
要するに神社庁には属さない神社である。

神社では珍しい荒々しい太文字。

本物の氷🧊の上におみくじを置いて字が浮き出るしくみ。




迫力がある狛犬

拝殿は吹き抜け。
氷室神社の御朱印・御朱印帳コレクション全116枚
御朱印
115枚























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