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東大寺ではいただけません
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とうだいじ|華厳宗

東大寺
奈良県 近鉄奈良駅

11月~2月(8:00~16:30)3月(8:00~17:00)4月~9月(7:30~17:30)10月(7:30~17:00)

東大寺について

世界から愛される「奈良の大仏」


奈良時代、聖武(しょうむ)天皇が天下泰平を祈願して、743年に建てました。ご本尊の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は奈良の大仏として世界的に有名です。1998年には世界遺産にも登録されました。境内には大仏殿を中心に、南大門・金剛力士像・二月堂・三月堂・戒壇堂・正倉院など、多くの見所があります。

くぐると願いが叶う?柱の穴は大仏さまの鼻のサイズ


東大寺の大仏殿には、穴の開いた柱があります。この柱の穴は大仏の鼻の大きさと同じくらいと言われています。この穴をくぐることに成功すると、ご利益をいただくことができると言われています。

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のぶさん
のぶさん
2022年08月31日(水)
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東大寺は聖武天皇の皇太子基親王の菩提を追修するために、神亀5年(728)に建てられた金鍾山寺に源を発し、天平13年(741)に国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格してなった大和国国分寺(金光明寺)を前身とする。天平15年(743)に盧舎那大仏造顕(造立)の詔が発せられ、都が紫香楽(滋賀県甲賀市信楽町)から平城に還ると、大和国金光明寺で盧舎那大仏の造像工事が始まり、天平21年(749)仏身が鋳造。同時に大仏殿の建立も進んで、天平勝宝4年(752)に盛大な開眼供養会が営まれた。その後、西塔や東塔、講堂や三面僧房などが造東大寺司の手によって造営され、東大寺としての七堂伽藍順次整った。
東大寺は国分寺として建立されたので、天下泰平・万民豊楽を祈願する道場であったが、同時に仏教の教理を研究し学僧を養成する役目もあって、華厳をはじめ奈良時代の六宗、さらに平安時代の天台と真言も加えた各研究所(宗所)が設けられ、八宗兼学の学問寺となった。
平安時代に入ると、斉衡2年(855)の大地震によって落下した大仏さまの頭部は真如法親王によって修復されたものの、失火や落雷などによって講堂や三面僧房、西塔などが焼失、南大門や大鐘楼も倒壊した。しかも治承4年(1180)に平重衡の軍勢により大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼かれた。しかし翌年には俊乗房重源によって復興が着手され、文治元年(1185)に後白河法皇を導師として大仏さまの開眼供養が行なわれた。翌文治2年に周防国が東大寺造営料所に当てられてから復興事業は着々と進み、建久6年(1195)に大仏殿落慶(供養が行なわれた。こうした復興に伴い沈滞気味であった教学活動も活発になり、鎌倉時代には多くの学僧が輩出した。
ところが永禄10年(1567)に至って三好・松永の乱が起こり、二月堂や法華堂、南大門や転害門、正倉院や鐘楼などわずかな建物を残して灰燼に帰した。時まさに戦国時代であったから、東大寺の復興は難渋をきわめ、大仏さまの仏頭も銅板で覆う簡単な修理しか出来なかった。ようやく江戸時代に入って公慶上人が諸国勧進と諸大名の協力を幕府に懇願して復興に取りかかり、その結果、大仏さまの開眼供養が元禄5年(1692)に、さらに大仏殿の落慶供養が宝永6年(1709)に行なわれた。以後、伽藍の整備は歴代の大勧進職によって続行された。
明治時代になって起こった神仏分離令と寺社領没収は東大寺の存立に危機をもたらし、宗制上華厳宗を名乗ることなど寺院改革を迫られたが、それでも明治・昭和時代の大仏殿の大修理をはじめ、諸伽藍の維持に努め、現在に至っている。東大寺はその歴史から貴重な文化遺産を今なお多く蔵しているが、そればかりでなく二月堂修二会をはじめ伝統的な仏教儀礼の宝庫でもあって、毎年日本全国はもとより、世界各地から多くの人々が参詣に訪れている。

東大寺の動物
東大寺の建物その他
東大寺(奈良県)
東大寺の建物その他
東大寺(奈良県)
東大寺の像
東大寺(奈良県)
東大寺の建物その他
東大寺(奈良県)
東大寺(奈良県)
東大寺の仏像
東大寺の建物その他
東大寺の建物その他
東大寺の仏像
東大寺(奈良県)
東大寺(奈良県)
東大寺(奈良県)
東大寺(奈良県)
東大寺(奈良県)
東大寺(奈良県)
東大寺(奈良県)
東大寺(奈良県)
東大寺の山門
東大寺(奈良県)
東大寺(奈良県)
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歴史

728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まり。華厳宗大本山。741年に聖武天皇が護国信仰に基づいて国分寺の建立を命じられた際、金鐘寺を大和国分寺として金光明寺と称した。743年になり聖武天皇が大仏造顕の詔を公布、745年に金光明寺にて造営が開始された際、東大寺となった。大仏は752年に開眼供養が行なわれたが、大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年になる。その後1180年に平重衝によって、1567年には松永久秀によって伽藍が焼失。現在の伽藍は1709年に再建されたものである。

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東大寺の基本情報

住所奈良県奈良市雑司町406-1
行き方

JR大和路線・近鉄奈良線「奈良駅」から市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分
近鉄奈良駅から徒歩約20分

アクセスを詳しく見る
名称東大寺
読み方とうだいじ
参拝時間

11月~2月(8:00~16:30)3月(8:00~17:00)4月~9月(7:30~17:30)10月(7:30~17:00)

参拝料

大人600円、小学生300円 ※団地割引有

御朱印あり

真ん中に「華厳」と力強さを感じる筆遣いで書かれています。その下に梵字印と「東大寺大佛殿」の朱印が押されています。その他にも20以上の御朱印を拝受できます。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0742-22-5511
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.todaiji.or.jp/
お守りあり
SNS

巡礼の詳細情報

神仏霊場巡拝の道

詳細情報

ご本尊盧舎那仏
宗旨・宗派華厳宗
創建時代奈良時代
開山・開基良弁
文化財

盧舎那仏,俊乗房重源上人坐像,僧形八幡神坐像(国宝)
阿弥陀如来立像,愛染明王坐像(国指定重要文化財)

ご由緒

728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まり。華厳宗大本山。741年に聖武天皇が護国信仰に基づいて国分寺の建立を命じられた際、金鐘寺を大和国分寺として金光明寺と称した。743年になり聖武天皇が大仏造顕の詔を公布、745年に金光明寺にて造営が開始された際、東大寺となった。大仏は752年に開眼供養が行なわれたが、大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年になる。その後1180年に平重衝によって、1567年には松永久秀によって伽藍が焼失。現在の伽藍は1709年に再建されたものである。

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Youtube

Wikipediaからの引用

概要
東大寺(とうだいじ、英: Todaiji Temple)は、奈良県奈良市雑司町にある、華厳宗大本山である日本の仏教寺院。山号はなし。本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。 正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。現在の別当(第224世)は橋村公英。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 聖武天皇による東大寺大仏造立後に、国内では鎌倉大仏(現存)、雲居寺大仏(現存せず)、東福寺大仏(現存せず)、方広寺の京の大仏(現存せず)などの大仏も造立され、先発した東大寺大仏・大仏殿の造形、建築意匠・構造は、それらの大仏・大仏殿に対し多かれ少なかれ影響を与えた。ただし江戸時代の東大寺大仏殿再建の際には、上記とは逆に、同時代に京都に存在していた方広寺大仏殿を手本として、東大寺大仏殿の設計がなされた(後述)。 江戸時代には上記のうち、東大寺大仏(像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、京の大仏(像高約19m)の三尊が、日本三大仏と称されていた。 東大寺は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界文化遺産に登録されている。
歴史
歴史[編集] 大仏(盧舎那仏像)西側より →詳細は「東大寺の歴史」、「東大寺大仏殿」、および「東大寺盧舎那仏像」を参照 創建と大仏造立[編集] 創建当時の大仏殿復元模型(大仏殿内所在) 8世紀前半には大仏殿の東方、若草山麓に前身寺院が建てられていたことが分かっている。東大寺の記録である『東大寺要録』によれば、天平5年(733年)、若草山麓に創建された金鐘寺(または金鍾寺(こんしゅじ))が東大寺の起源であるとされる。一方、正史『続日本紀』によれば、神亀5年(728年)、聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くなった皇子・基王の菩提を弔うため、若草山の麓に「山房」を設け、9人の僧を住まわせたことが...Wikipediaで続きを読む
アクセス
アクセス[編集] 鉄道[編集] 近鉄奈良駅(徒歩約20分[1][2]) JR奈良駅(徒歩約35分[2]) バス[編集] 奈良交通市内循環バス外回り系統で「東大寺大仏殿・春日大社前」下車(徒歩約5分[1]) 自動車[編集] 駐車場有。身体障害者専用駐車場もある。 ^ a b “東大寺(とうだいじ)”. スポット情報 奈良市内エリア. 近畿日本鉄道. 2015年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月22日閲覧。 ^ a b “東大寺”. NAVITIME. 2024年9月23日閲覧。
行事
年中行事[編集] 東大寺二月堂の修二会(お松明) 1月1日 除夜の鐘(鐘楼) 1月1日 – 3日 正月三が日(大仏殿・二月堂) 1月7日 修正会(大仏殿) 悔過法要が行われる。 2月3日 節分・星祭り(二月堂) 日中、「還宮(げんぐう)」と「節分豆まき」が行われる。還宮とは古くなったお札やお守り等を火にあげる儀式のこと。節分豆まきは、午後2時ごろ、二月堂の舞台の上から行われる。「星祭り」は、星に「除災与楽」を祈る法会。夕刻、二月堂本堂に万灯明を灯し、「星曼荼羅」を掲げてこの法会を勤める。 3月1日 – 14日 修二会(お水取り)(二月堂) 詳細は「修二会」の項を参照。奈良時...Wikipediaで続きを読む
引用元情報東大寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA&oldid=101981350
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