とうだいじ|華厳宗大本山
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奈良市散策。華厳宗の大本山、東大寺に参拝。久しぶりというか数十年ぶりにですが変わらない風貌。世界最大級の木造建築物 大仏殿(金堂/789年建立)、高さ25mの南大門、迫力のある仏像、圧倒的な存在感を魅せる世界遺産の寺院。直書きの御朱印をいただきました。
宗派:華厳宗
寺格:大本山
本尊:盧舎那仏(奈良大仏、国宝)
創建年:8世紀前半
開山:良弁
開基:聖武天皇
別称:金光明四天王護国之寺
札所等:
法然上人二十五霊跡第11番(指図堂)
大和北部八十八ヶ所霊場第12番(真言院)
南都七大寺第1番
神仏霊場巡拝の道第14番(奈良第1番)
文化財:金堂(大仏殿)、南大門、盧舎那仏ほか(国宝)
中門、念仏堂、大湯屋、石造獅子ほか(重要文化財)

大仏殿に向かって歩いて行きました。
子供の頃から何度訪れたか分からないほどですが 寺社巡拝を始めてからは初となります。
東大寺様は華厳宗の大本山です。
御本尊は盧舎那仏(大仏さん)をお祀りされています。
東大寺様には山号がないそうです。
東大寺様は752年に聖武天皇の勅願にて良弁を開基として創建されました。
と歴史の教科書ならこんな感じですね。
もう少し掘り下げてみます。
全ての始まりは728に東大寺様の敷地に創建された「金鐘寺」という小さなお寺でした。幼くして亡くなった我が子を弔う為に聖武天皇と光明皇后が建てたプライベートな祈祷所です。この「金鐘寺」を任されていたのが東大寺様の初代住職となる良弁でした。
良弁は740年に新羅から帰国したばかりの学僧の審祥を「金鐘寺」に講師として招き 日本で最初となる「華厳経」の講義を行わせました。それを聴いた聖武天皇は「宇宙のすべては繋がっている」という壮大な思想に衝撃を受けます。
当時の日本は大地震や大飢饉 そして天然痘のパンデミックにより 人口の数割が命を落とすという絶望的な状況に陥っていました。さらに藤原広嗣が乱を起こし追い討ちをかけます。この未曾有の危機に際して聖武天皇は講義で学んだ思想をベースにして「金鐘寺」をメガスケールアップさせる形で東大寺様と大仏さんの建立を発願されました。
良弁によりインスピレーションを得た この巨大プロジェクトを成功に導いた一人が かつて朝廷から弾圧されていたものの過去の遺恨をすべて水に流し圧倒的な民間パワーと土木技術を率いて現場監督を務めた行基です。
さらに大仏が完成した752年の開眼供養で大仏に魂の目を描き入れたのは はるばる海を渡ってやってきたインドの僧である菩提僊那(ボダイセンナ)でした。
聖武天皇、良弁、行基、菩提僊那の4人で東大寺様の創建の「四聖」と呼ばれています。
個人的に東大寺様の大仏建立は1933年にアメリカでフランクリン・ルーズベルトが世界大恐慌の克服の為に実施した「ニューディール政策」の先駆けと考えています。共通点を上げると
①失業救済
家や畑を失った難民を労働者として雇いお給料を支給して生活を支えた。
当時の日本の人口は450万人~600万人とされています。東大寺様の建立に携わったのは延べ260万人と言われています。
②経済の流通
国が莫大な予算(金・銅・木材)を動かすことでストップしていた国内経済を強制的に再始動させた。
ニューディール政策の基本は国がお金を出してダムや道路を造りTVA(テネシー川流域開発公社)などで仕事を作ることで経済を回すことでした。
③マインドの復興
行基の「みんなで少しずつ力を持ち寄って造ろう」という呼びかけが国民に未来への希望を与えた。
これはルーズベルト大統領がラジオの炉辺談話を通じて国民に語りかけ「私たちが恐れるべきは恐れそのものだ」と国民を励まし心理的な安心感(マインドの復興)を与えたことに該当するのでは?と考えます。
「見事な政策だね」と言ってしまうだけでは主に携わった人物があまりにも心優しい方ばかり。
繊細で心優しい理想主義者の 聖武天皇
観音菩薩に例えられる 光明皇后
実力と努力で国家の最高幹部になった 良弁
大衆の圧倒的支持を集めたカリスマ 行基
誰か一人でも欠けていたなら…
この巨大プロジェクトは完遂しなかったかもしれません。
そんなことを考えながら大仏殿や大仏さんの荘厳な姿を拝観していると少し涙ぐんでしまいました(T^T)
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最近やけに涙もろい(^-^;


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