とうだいじ|華厳宗
東大寺のお参りの記録一覧(3ページ目)
小学生時代に遠足に行って以来、久しぶりの東大寺でした。
東大寺で頂いた御朱印です。「華厳」の文字が雄大で壮美♡
東大寺南大門。巨大な木造の寺の門です。2層の屋根と2体の金剛力士で有名かと思います。
華厳宗大本山「東大寺」大仏殿。世界最大級の木造建築物です。
昔は入ることが出来た大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴があいた柱。今は閉ざされています。
奈良公園でお馴染みの鹿さん。鹿せんべいを持つ人を追いかけます。お気をつけて。
奈良の旅、飛鳥大佛に続いて、東大寺にお参りしました。
華厳宗の大本山ということで、南大門には大華嚴寺の扁額が掲げられています。
コロナ禍以前のような混雑ではないものの、海外からの方も含め、大勢の方がお参りされていました。
仁王様(金剛力士像)大きいだけでなく、躍動感ある立派なお体です。
門の大きさだけでもすごいものです。
大仏殿。実は何度もお参りしているのですが、いつも飽きずに大きいなあと感動してしまいます。
八角燈籠の音声菩薩像。聖武天皇の創建のころから、変わらず建っている燈籠です。大仏殿が兵火で焼け落ちても、この燈籠だけが建っていたと思うと、それもすごい気がします。
前日に飛鳥大佛を参拝し、続けて奈良の大佛参拝と、計画を立てず行き当たりばったりの旅なのですが、大佛尽くしの旅になりました。
桜の季節の参拝は初めてでした。この後、戒壇堂修理のため、ミュージアムに移されている国宝の四天王像を拝観しました。
今回は、他を回る時間の都合で、三月堂などはパスしてしまいましたが、またゆっくり参拝したいです。
大仏殿にお参りしました。ここは海外からの観光客の方も多かったですね。
おそらく、中学の修学旅行以来のような気がします。やはり大きいですね。
見上げてしまいました。
大仏殿と八角燈籠(小さいですが)
大仏殿
盧舎那(るしゃな)仏
虚空蔵菩薩
背中側から
中門
中門を通った際の天井
今年の2月の参拝です。
小学生の時、社会科見学で訪れた「奈良の大仏さん」に会いたくなって、参拝してきました。初めてみた大仏さんはとても大きく、昔の人はどうやってこんなすごいものを作られたのだろう。と驚いた記憶があります。
あれから数十年…。体も立派になったけれど「柱の穴くぐり」(鼻の穴くぐりと呼んでいたが…)に挑戦できるかな~と昔を懐かしみながら大仏殿へ。やっぱり大仏さんは大きいなと感動しながら、穴のあいた柱を探します…。残念ながらコロナの影響で中止され、柱の穴は塞がれていました。コロナの影響はこんなところにまで及んでいるのか~…。
ゴールデンウイーク明けからは、コロナは5類扱いとなるので、また近いうちに「柱の穴くぐり」できるかな? それまでの間、ダイエットしておこう😅
大仏殿
「柱の穴くぐり」の柱です。
柱に大仏さんの鼻の穴と同じ大きさの穴が開いていますが、塞がれていました💦
大仏さんの左手(レプリカ)
大仏さんの右手(レプリカ)
この日、続いては東大寺へ。 こちらも約3年半ぶりのお参りです。 興福寺を後に途中、奈良公園内の土産物屋や鹿とのふれあいを楽しみながら徒歩で向かいます。 東大寺(とうだいじ)は、奈良の大仏で知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とした華厳宗大本山の寺院で、ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の構成遺産の一つとして登録されています。
東大寺といえば日本人であれば誰もが知っている有名なお寺ですが、その起源は神亀5年(728年)、第45代天皇である聖武天皇と光明皇后が皇太子基親王(もといしんのう)の菩提を弔うために若草山麓に建立させた金鐘寺/金鍾寺(きんしゅうじ/こんしゅじ)という寺院であるとされ、天平13年(741年)に国分寺・国分尼寺の建立の詔が発布されたのを受け、翌天平14年(742年)大和国の国分寺と定められると金鐘寺は金光明寺(こんこうみょうじ)と寺号が改められます。 この時代、長屋王(ながやおう/ながやのおおきみ)の変に象徴される権力闘争や藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の九州での蜂起といった政変や内乱、さらには天然痘流行や天平の大地震など、疫病や災害が多発したことで、世を憂いた聖武天皇は深く仏教に帰依することとなり、仏教による国家鎮護を目的として、当時の日本の各国に国分寺・国分尼寺の建立を命じて、大和国金光明寺はその国分寺の総本山と位置づけられました。 因みに国分寺の正式名は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」とも言い、国分尼寺の総本山は同じく奈良にある法華寺に指定されます。 聖武天皇はさらに天平15年(743年)に盧舎那大仏造顕(造立)の詔を発せられ、一時都を移していた近江国甲賀郡(現在の滋賀県甲賀市)の紫香楽宮(しがらきのみや)より再び都を平城京へと戻すと、大仏造立は大和国金光明寺に於いて行われることとなり、同時に大仏殿の建立も進んで、天平勝宝4年(752年)に盛大な開眼供養会が営まれました。 その後「造東大寺司」によって七堂伽藍が整備される頃には、平城京東方に当たる官寺から「東大寺」という寺号が用いられるようになったと云われています。 こうして国分寺の総本山として建立・整備された東大寺は同時に、仏教の教理を研究し学僧を養成する役目も擁して、奈良時代には南都六宗を、さらに平安時代には天台と真言も加えられ、八宗兼学の学びの場として栄えました。 平安京遷都後には伽藍の各所で荒廃が見られるようになるものの、隣接する興福寺とともに大きな大衆の力を持ち、多くの荘園を有していた東大寺は、他の「南都七大寺」と呼ばれた寺院の多くが奈良時代以降に衰退を重ねて江戸時代になる頃には当初の規模を想像できないほど荒廃していった状況と比べると、比較的その規模は維持されていきます。 しかし東大寺は中世以降、二度の兵火で伽藍の多くを焼失する歴史も有します。 一つ目は、治承4年(1180年)の所謂「南都焼討」で、平清盛(たいらのきよもり)の命を受けた平重衡(たいらのしげひら)ら平氏軍の襲撃によって興福寺は全焼、東大寺も主要伽藍のほとんどが焼け落ちるといった被害を、さらに戦国時代の永禄10年(1567年)には、永禄の変に端を発する東大寺大仏殿の戦い(多聞山城の戦い)で、松永久秀(まつながひさひで)、三好義継(みよしよしつぐ)の軍と「三好三人衆」~三好長逸(みよしながやす)、 三好政康(みよしまさやす)、岩成友通(いわなりともみち)と筒井順慶(つついじゅんけい)らの軍によって東大寺周辺で市街戦が繰り広げられ、二月堂や法華堂、南大門や転害門など一部の建物を除き、大仏殿をはじめ戒壇院などの東大寺の主要な建造物をことごとく焼き尽くすといった大規模な被害を被ることとなります。 この様に戦火で二度も焼き尽くされた東大寺ですが、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)や公慶上人(こうけいしょうにん)の尽力によりその都度再建に取り組み、明治・昭和時代には大仏殿の大修理をはじめ諸伽藍の維持に努めてきたことで、東大寺は今にその姿を残しています。
今では国内はもとより世界各国から参拝者が多く訪れる日本有数の観光スポットである東大寺ですが、その規模や地位を創建の時期から現在に至るまで比較的変わらずに守ってきた貴重な寺院であり、それは寺院復興に携わった先人たちの苦労の基に成り立っていることを忘れないでおきたいものです。
東大寺・南大門
東大寺・南大門
金剛力士(仁王)像/阿形像
東大寺・南大門
金剛力士(仁王)像/吽形像
東大寺・勧進所
東大寺・中門
東大寺・中門
持国天像
東大寺・中門
兜跋毘沙門天像
東大寺・大仏殿
東大寺・鐘楼
東大寺・鐘楼
東大寺・法華堂(三月堂)
東大寺・法華堂(三月堂)
東大寺・不動堂
東大寺・法華堂経庫
東大寺・世界遺産登録記念の石碑
奈良県奈良市にある東大寺の御朱印です。大仏殿で御朱印をいただきました。
東大寺では、仁王像、大仏殿、大仏様、二月堂、法華堂、鹿など見どころが沢山ありました。
全部は回れなかったので、時間に余裕がある時に来たいと思います。
【情報】
所在地:〒630-8211 奈良県奈良市雑司町406−1
駐車場:なし(周辺にあり)
参拝日:2023.1.3
【の見どころ】
【奈良御朱印巡り】
東大寺(中金堂、五重塔、国宝館、千手観音)⇒東大寺⇒東大寺
※正月なので、どこ行っていも大変混雑していました...
【奈良の鹿】
奈良公園に沢山鹿がいるので、鹿せんべいあげてふれあえます
以上
京都、奈良ツアー2日目。
東大寺の大仏殿です。
大仏殿の中は写真が撮り放題とのことで、嬉しかったです。
南大門も写真追加。
運慶・快慶の金剛力士像は迫力があります。
ホトカミではお堂ごとに紹介が分かれていますが、全体としては一日掛けても全て見切れるかどうか。
見どころが多過ぎて、時間がタイトなツアーでは一部しか見られませんでした。
またいつの日か行って見られなかった所を周りたいです。
大仏殿 国宝
八角灯籠 国宝
大仏殿
大仏殿
鴟尾
火災避けの呪いアイテムらしい
盧舎那仏 いわゆる奈良の大仏様
大仏様のお顔が出される扉
盧舎那仏
鴟尾
虚空蔵菩薩
盧舎那仏と虚空蔵菩薩
広目天
大仏の裏
多聞天
如意輪観音
鹿
中門
賓頭盧尊者像
鹿
参道
ドラクエウォーク おみやげ
大仏殿の入場券(表)
大仏殿の入場券(裏)
中門 兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)
兜跋毘沙門天の足元
中門 持国天
中門 持国天の足元
南大門の金剛力士像(阿形)
南大門の金剛力士像(阿形)
南大門の金剛力士像(吽形)
南大門の金剛力士像(吽形)
世界遺産記念碑
書道家 榊莫山
南大門
篠原ともえ がデザインしたという御朱印
2000円で購入しました。
念願の東大寺。紅葉の1番綺麗な時に参拝できたことに感謝。
奈良駅のセント君😆
かわいい鹿がたくさんいました🍁
二月堂。
二月堂からの景色。好きです😊
この景色の美しさ。写真で伝わっているかなぁ🙄
プリン美味しかった🍮
もうおなじみの大仏さまを拝観させていただきました。
お天気のよい土曜日ということで、たいへん多くの観光客、参拝客がこられていましたが、なにせ中も広いので大仏殿に入るのに、そんなに並ばずに入れました。が・・・大仏さまの正面で立ち止まるのが今日は禁止ということで、止まってお参りすることができず残念。
でも改めて、日本人って、1,000年以上も前にこんな建物(たしか世界最大の木像建築物だったとと記憶しています)や仏像を建立するなんて・・・やっぱり世界に誇れる場所ですよね。
でも阿修羅さまはじめ奈良時代の有名な仏像は、作者不明なんですよね・・・想像力すごい!
大仏殿の出口近くで3人の方が一生懸命書かれていました。
参道は人と鹿とで大混雑。鹿のふんを踏まないように気をつけて歩きました。
山門です。「大華厳寺」という看板が・・・
山門横の「阿吽(あうん)」
同じく反対側の「阿吽」
大仏殿。ほんとうに堂々とした建物です。
大仏さまは正面から撮れなかったので、横から撮影しました。
いろいろ知りたくて、ボランティアガイドさんを事前に予約。
ファイルにどっさり資料入れてきたガイドさん
歴史・仏像の話し盛りだくさんでじっくりじっくり鑑賞しました。
南大門から大仏殿入るまで1時間20分かかったのはちょっと時間配分大丈夫か不安だったけど…
仏像大好き、話したいガイドさん。
仏像に興味持ち始めた私、Win-Win。
仏様に会う前に身なりを整えようって意味で池があるらしい
ガイドさん
年齢教えてくれなかったけど子どもは50歳との事で親子だね〜って感じ。
十二神将見てた時に未年と言い、本当にうちの母と同い年と発覚😆
ものすごい知識量と脚力!!
ちなみにガイドは無料。
ガイド団体への寄付金が1000円。交通費かかれば実費。
ど迫力!!!
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