しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ
志波彦神社・鹽竈神社のお参りの記録一覧(3ページ目)
竹駒様参拝後に鹽竈様へ参拝。
古札返納して新札拝受。
こちらの神社は、神社参拝を始めたきっかけともなるお社ですので、ある意味自分にとっての崇敬神社です。
辰年ver.のうまくいく守りとお塩もいただきました。
うまくいく守りは金色の干支のチャームがついてるので、頑張ってあと10年かけてコンプリートしたいと思います!
隋門には門松が。
着々と新年を迎える準備が進んでますね!
初詣のお賽銭で拝殿が傷まないようにするためか、ビニール製のネットでフェンスが設けられてました。
志波彦神社も同様に。
大絵馬は辰年へ。
龍の手元にはお塩が描かれてオリジナリティを出してました
天気も良くて冬のために空気が済んでいるので、前回の参拝のときよりも鹽竈港と松島がクリアに眺められました。
うまくいく御守
干支の金チャームが付けられてます。
昨年のウサギは外して神棚へ。
あと10年頑張って続けます!
前回の参拝記録はホトカミを始める前だったので、鳥居と御朱印くらいしか画像がなかったので、今回は境内の主だった様子を写真に撮ってきました!
休みの日にすることもなく、思いつきで仙台へ遊びに。その道中でなんとなく鹽竈様にお参りしようと思って少し足を延ばしてみました。
職場でスピリチュアルに詳しい方がいて、その人から鹽竈の参拝のルートやら神社での神様からのサイン等など色々教えてもらって以来、参拝のときはその事を念頭に置いてお参りしてます。
(と言っても、自分には霊感とか皆無なのでパワースポットとか行っても全然何も感じないんですけどね(^_^;))
こちらのお社の参道は3つのルートがありますが、基本は男坂と言われる表参道から向かいます。
ここの石段は東京の愛宕神社の出世階段よりも遥かに段数も勾配もあり、ここを登り切れるなら愛宕階段は余裕のよっちゃんです。
因みにここの石段を登ってるときは「疲れた」「しんどい」と言ったネガティブな気持ちは持っては行けないそうです。この石段を上った先に祀られている左右宮に祀られている武甕槌神と経津主神は武人の神様なので、弱気な人間の気持ちや参拝に来る人の態度を見ているそうです。
それとこの石段沿いの何処かに龍穴があるそうなんですが、相変わらず何も感じられませんでした苦笑
手水で清めたら、まずは左右宮をご参拝。
漸くコロナが落ち着いたためか、鈴が鳴らせるようになってました。
こちらのお社は先程も話した通り武人の神様なので、ここではお願い事というよりも決意を述べます
(例えば「試験に合格したいのでしっかり勉強しますので、全力で試験に臨めるようお力添えをお願いします」といった感じ)
その後、向かって右側にある別宮を参拝。
こちらは塩の神様である塩土老翁神が祀られてます。
こちらは生活に欠かせない塩の神様であるとともに道開き(開運)の神様ですので、左右宮での決意成就のための道を開いて貰うよう祈願します。
因みに各社に垂れ下がる神幣が揺れていれば、そこに神様が坐しているサインとの事です。
参拝後は楼門をくぐって左に進み志波彦神社へ向かいます。
その途中にある赤門を潜りますが、そこに垂れ下がる神紋入りの垂れ幕が門をくぐる際に少しでもフワッと靡けば、塩土老翁神が道を開いてくれたサインだそうです。
次に志波彦神社をお参りしますが、こちらではお願いごとはせずに、ただ無事に参拝できたことを感謝します。
最後に鳥居を通って七曲坂を通って帰ります。
こちらの七曲坂は一番古い参道で、神様が通ったルートでもあり、くねくね曲がった道は龍の形を表しているそうで、そこを通ることで神社からのパワーを頂けるそうな。
スピリチュアルの全てを肯定するつもりも否定するつもりもありませんが、初めて参拝したときに左右宮に垂れ下がる複数の紙幣の中で風もないのに一つだけ異様にブラブラと揺れてたり、待てど暮らせど風も吹かず垂れ幕がピクリともしなかったのに、諦めて帰ろうと門をくぐった瞬間にフワリと揺れたりと何とも不思議な事を体験しました。
少なくともそれまで悩んでた事で塞がってた気持ちは楽になりました。
鹽竈・志波彦神社の間にある祓所の横を通ったところに鹽竈神社側に斜めにもたれかかるように櫟の樹が生えてますが、その根本に湧き出る清水を割り箸で掬ってイボに塗るとポロリとイボが取れるとの言い伝えがあるそうです。
また、こちらで授与されるお清めの塩は効果抜群のお塩なので、お参りしたときは絶対に入手した方がいいと進められました。
実はこちらの神社は浅葉なつさんの著書の「神様の御用人」シリーズにも登場しています。
作中の武甕槌さまと経津主さまはさもありなんな描かれ方ですが、塩土老翁神さまは中々面白い感じに描かれてます。この作品は大好きで何度も読み返してますが、神と人との関係について考えさせられるとても面白い小説です。
当社は陸奥国一ノ宮で尚且つ宮城県最大のパワースポットですので、是非是非お参りしてみてください。
表参道(男坂)の一ノ鳥居
額号には堂々と陸奥国一ノ宮と掲げられてます
鳥居のある麓から境内を見た様子
この道沿いの何処かにパワーが吹き出る龍穴があるそうなんですが、分かる方いますか??
石段から麓を移した様子
かなりの急勾配ですが、決してネガティブな気持ちを持ってはいけません。
左右宮
武甕槌神と経津主神という最強の武人系天津神2柱が祀られてます。
まっすぐ表参道を見通せる位置にあるので、男坂を登る際は失礼のないように。
別宮
特別な宮という意味で、御祭神たる塩土老翁神が祀られてます。東国平定した武甕槌神様と経津主神様はそれぞれ鹿島香取へと戻りましたが、塩土老翁神はこの地に残って人の子に塩の作り方を伝えたそうです。
志波彦神社のお社ではお願いでなく感謝を捧げます
社務所庭園から眺める塩釜港
奥には日本三景の松島が望めます
鹽竈博物館
仙台藩主の伊達家が奉納した太刀やお神輿、当時の製塩技術について展示されてます。
イボ取りのケヤキ
場所がわからず、3回目くらいの参拝でやっと辿り着きました。その時は何とはなしに道を通ったら見つけたというまさかの偶然
御神木
境内社
志波彦神社御由緒
鹽竈神社御由緒
境内案内図
帰り道は七曲坂を通って。
最古の参道らしく、木の根や石がゴロゴロむき出しの未舗装なので、通る際は足元注意!
大変立派な神社で、パワーいただけました。結婚式、七五三などたくさんの参拝者がいらっしゃっいました。御朱印は鹽竈神社でいただきました。
鹽竈神社鳥居
鹽竈神社本殿
なで牛
志波彦神社鳥居
志波彦神社本殿
志波彦・鹽竈神社の参拝記録
志波彦神社
当社はもと宮城郡岩切村(仙台市岩切)の冠川の畔に鎮座され、「延喜式」に収められている陸奥国百社の名神大社として、朝廷の尊信殊の外厚いものがありました。明治4年5月国幣中社に列格され、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されました。さらに昭和7年当時の内閣に陳情請願し国費を以て御造営することとなり、昭和9年現在地に工事を起し、明治・大正・昭和三代に亘る神社建築の粋を集めて竣工し、昭和13年9月御遷座申し上げました。本殿・拝殿何れも朱黒の極彩色漆塗りで、昭和38年塩竈市の文化財に指定されました。
鹽竈神社
当社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。
当神社創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。つまり、奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城市市川)に設けられ、その精神的支えとなって信仰されたと考えられます。
前回は御釜神社に行ってお参りをしました
自身にとっては4年ぶりの宮城県
憎き新型コロナウイルスのお陰で北海道外に出るのを4年も我慢しました
そんな御釜神社をあとにしてから今度は志波彦神社・塩竃神社に行くのですが
ここで灰色の雲がついに泣き出しました
とは言っても、小雨程度の雨です
ひょっとしたら歓迎の意味だったのでしょうかね?
4年ぶりの志波彦神社・塩竃神社、今回は前日の浅虫温泉周辺で妻が靴擦れを
してしまい、やむなく緩い坂道を歩いて上ります
雨は傘が必要ないほどの小雨ですが、長時間歩いているとしっとりと濡れてくる感じです
今回は雨にあたる時間を短くすべく最初に志波彦神社に行ったのですが、善知鳥神社に続き
この旅で2回目の茅の輪くぐりとなりました
今度は塩竃神社に向かいます
お参りを済ませてから社務所に行くと御釜神社が末社ということが解り、ここで御釜神社の
御朱印を直書きで頂きました
志波彦神社・塩竃神社の御朱印は2社分の初穂料なのか?と思ったのですが、こちらは
2社分で500円でした
塩竃神社でお参りを済ませてから、お次に待っているのは急な石段です
ここで塩竃神社にお別れをし、急な石段を下りるのですが
鳥居の先にちょこっとだけ見えているお寿司屋さん、5年前の2018年の訪問時はなんと
1,000円のとってもリーズナブルなにぎり寿司がメニューにあったのですが、翌年に行くと
並にぎりでお値段は1,600円になってました
このお寿司屋さんに行くのも楽しみだったんですけどね
ちなみに、妻はこの石段は下らず緩い坂道を下りて行き仙石線の電車に乗って仙台に
私はというと東北本線の塩釜駅に向かうのでした
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