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新熊野神社ではいただけません
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いまくまのじんじゃ

新熊野神社
京都府 東福寺駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

神社南側の路地を入ると有料駐車場あり

おすすめの投稿

きどっち
きどっち
2021年10月27日(水)
1265投稿

JR京都駅から東に約1kmほど、三十三間堂からは南に約500mのところに鎮座しています。
新熊野と書いて「いまくまの」と読みます。

新熊野神社HPより~~~~~~~~~~

当社は熊野信仰の盛んな平安時代末期、永暦元年(1160年)、後白河法皇によって創建された神社です。後白河天皇は1155年に即位され、1158年に退位されましたが、退位後も引き続き院政を敷かれ、そのときのお住まいとなったのが、現在三十三間堂の東側にある法住寺です。当時は「法住寺殿」と呼ばれ、その鎮守社として新熊野神社が、鎮守寺として三十三間堂が創建されました。その造営に当たったのが法皇の命を受けた平清盛・重盛父子です。
 法皇は一生のうちに34回熊野に参詣されていますが、当時の都人にとって熊野に参詣することは大変なことで、そう何回も行けるわけではありません。そこで、熊野の新宮・別宮として創建されたのが当社で、当社は長らく京の熊野信仰の中心地として栄えました。当社が「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野という当時の都人の認識が、その由来となっています。
 その後350年間、当社は繁栄を極めましたが、応仁の乱以降、度々の戦火に見舞われ、一時は廃絶同様の状態になってしまいました。それを再建されたのが、江戸時代初期、後水尾天皇の中宮東福門院(3代将軍徳川家光の妹)で、現在の本殿は寛文13年(1663年)聖護院宮道寛親王(後水尾上皇の皇子)によって修復されたものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

またこちらは能楽発祥の地だそうで、能楽の祖である観阿弥・世阿弥父子が、この新熊野神社で「新熊野神事能楽」を披露。
これを観ていた足利三代将軍義満はとても感動し、2人を観阿弥・世阿弥と名乗らせることになった機縁の地だそうです。

御朱印は4種類あり、いずれも八咫烏のスタンプが押されています。
大きく分けて2種類で、一つは角印が押された正式な御朱印、もう一つは「くすのき大権現」のスタンプが押されたもので、それぞれ「新熊野社」と書かれたものと、「新熊野神社」と書かれたものになるそうです。
「社」は神仏習合だから「社」の一文字となり、もう一つの「神社」は現在の新熊野神社としての御朱印だそうですよ。
2つ以上の御朱印をお願いすると、椥(なぎ)の葉が入ったお守りをいただけます。

新熊野神社の鳥居

鳥居

新熊野神社の建物その他
新熊野神社の本殿

拝殿

新熊野神社の本殿

御祭神
 熊野牟須美大神(千手観音)

新熊野神社の建物その他

拝殿の屋根には八咫烏

新熊野神社の本殿

本殿

全国的にみても珍しい「熊野造り」の社殿だそうです

新熊野神社の建物その他

本殿への参拝を済ませたところで、経路順に参拝していきます

新熊野神社の建物その他

拝殿左側より進んでいきます

新熊野神社の末社

上之社

御祭神
 速玉之男大神(薬師如来)
 熊野家津御子大神(阿弥陀如来)

新熊野神社の末社

中之社

御祭神
 天忍穂耳命(地蔵菩薩)
 瓊々杵尊(龍樹菩薩)
 彦火火出見尊(如意輪観音)
 鵜葺草葺不合命(聖観音)

新熊野神社の建物その他

ここから「京の熊野古道」です

稲葉根王子(稲荷神)と荼枳尼天

新熊野神社の建物その他

熊野曼荼羅

熊野本宮八葉曼荼羅を基に描いたものだそうです

新熊野神社の建物その他

熊野本宮八葉曼荼羅の説明書

新熊野神社の建物その他

八咫烏

新熊野神社の建物その他

左から
制多迦童子、弥都波能売神(不動明王)、矜羯羅童子

新熊野神社の建物その他
新熊野神社の末社

若宮社

御祭神
 天照大神(十一面観音)

新熊野神社の末社

下之社

御祭神
 稚産霊命(釈迦如来)
 軻遇突智命(文殊菩薩、普賢菩薩)
 埴山姫命(毘沙門天)
 弥都波能売命(不動明王)

新熊野神社の建物その他

花の窟

新熊野神社の建物その他

左から
 軻遇突智神(文殊菩薩)
 埴山姫神(毘沙門天)
 軻遇突智神(普賢菩薩)

新熊野神社の末社

樟大権現

新熊野神社の自然

「影向(ようごう)の大樟」
後白河法皇お手植えの樟と伝えられており、推定樹齢900年とされる

新熊野神社の建物その他

樟大権現(樟龍弁財天)

新熊野神社の建物その他
新熊野神社の手水

手水舎

新熊野神社の建物その他
新熊野神社の歴史

由緒書

新熊野神社の建物その他
新熊野神社の建物その他
新熊野神社の建物その他

境内の模型が置かれていました

新熊野神社の御朱印

御朱印

新熊野神社の授与品その他

いただいた由緒書と椥のお守り

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歴史

熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(1160)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社に創建した。上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や杙木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
皇室の尊崇が厚く、車行きは広壮、社殿は荘厳を極めたが、応仁の乱で荒廃し、元本殿(市指定有形文化財)は寛文13年(1673)に聖護院親王により再建されたものである。
境内の樟は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。
足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。

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新熊野神社の基本情報

住所京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
行き方

「今熊野」バス停下車 徒歩3分

アクセスを詳しく見る
名称新熊野神社
読み方いまくまのじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号075-561-4892
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@imakumanojinja.or.jp
ホームページhttp://imakumanojinja.or.jp
おみくじあり
絵馬あり

巡礼の詳細情報

京都十六社

第3番

御本尊:熊野牟須美大神

詳細情報

ご祭神《主》伊邪那美命,《配》後白河上皇
創建時代永暦元年(1160)
創始者後白河上皇
本殿熊野造
文化財

【京都市指定有形文化財】本殿
【京都市指定天然記念物】影向の大樟

ご由緒

熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(1160)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社に創建した。上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や杙木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
皇室の尊崇が厚く、車行きは広壮、社殿は荘厳を極めたが、応仁の乱で荒廃し、元本殿(市指定有形文化財)は寛文13年(1673)に聖護院親王により再建されたものである。
境内の樟は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。
足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。

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